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マーク・トウェイン著、中野好夫訳『人間とは何か』岩波文庫赤、311-3

 人間は自由に振る舞っているのだろうか。
 これは愚問のように思われるかもしれない。王政から民主制、階級社会から自由な職業選択の時代、一国経済からグローバル経済へ、と人類は自由を求めて、様々な障害を解消してきた。現在の気候変動においても、結局人類が好き勝手に経済活動を行ってきた結果である。これらを考慮しても、人間は自由に振る舞っていないといえるのだろうか?

 この本の中では、人間の自由意志は一貫して否定される。本の構造としては、老人と若者の対話という形式を取っている。若者が自由意志の存在を証明しようとするが、老人はそれに対して徹底的に批判する。
 興味深いことに、老人は自由意志と自由選択という語を分けて使用する。自由意志は、やりたいことをやるときに、全く制限を受けないこと。(ストレートにやりたい、を行動にできるということだと思う)
自由選択は、単に心の働きにすぎない。この行為がよい、と判断するにすぎない。
 このうち、前者は存在しないと老人はいうのである。老人の話によれば、老婆を救うために有り金を渡して去っていった男は、単に気質や教育など、彼を形作る外部的要因が、彼をそうさせただけで、そこに自由な意志はないのだという。善意も結局、刺激に対する反応、自身の精神的満足のための行動なのだということだ。

 『人間とは何か』を読み終わると、自身の存在が揺らぎ、悲観的になるだろう。自分の人生はこれまでの自己を取り巻く要素への反応にすぎないのか?生きる意味はあるのか?

 その一方で、自由意志への徹底した批判は、救いの手にも見えてくる。
 現代は自由な時代で、働く場所も職業も、自分のやりたいことができ、「自己実現」が可能であると言われている。自分の置かれた状況は、自身の選択の結果である、ということである。なぜなら、自由に何でもできるのだから。
 しかし現実は異なる。私たちは生まれる環境も育つ環境も選べない。大人になったからと言って、あらゆる選択肢の中から最善を選べるわけではない。私たちの知りえる情報には限りがあるし、能力にも限りがある。現実を見れば、我々は明らかに環境により規定されている。それにもかかわらず、自由、自由と煽られ、結果に対する自己責任を問われるのだ。
 本書は、そのような自由意志を否定し、自己責任を弱めてくれるようにも見える。現代の自由について再考させられる一冊である。


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