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書くことと語ること

well being 良い状態でいること。

生きていれば、常にいい状態でいることは難しい。だから人間は状態を良くしようと行動に出る。それが習慣であるならば、それは難しいことではないが、たいていのことは少し面倒で継続することが容易ではない。全くもってこの世界は上手くできている。

僕にとってnoteに書くことと、stand.fmで語ることの2つが精神の状態をゼロ以上に保つことに役立っている。

noteの過去の自分の記事から、「幸せ」というキーワードで検索をかけると40もの記事が引っかかった。これは幸せに渇望している証であり、幸せの実態を掴もうとしていることの裏返しなのかもしれない。実際、満たされているときに幸せについて考えることは少ない。

過去の記事を読むと僕は幸せについて、幸せは刹那的であり、きらめいた瞬きの様なものであると書いていた。そして、僕の強く求めるものの中にそれと相反する「永遠」があった。瞬きである幸せを永遠の状態にする方法。冒頭の通り、well being は至極難しいことだ。

そこで出会ったのは書くことと、語ることだった。

書くことには2つの要素があった。
1つは整理であり、もう1つは構築だ。
起きた事象に対して自分の考え、気持ち、価値観、思想を整理する。そうすることで気持ちは整理され、マイナスの感情は薄れた。そして、文章を書くことを繰り返すと、自分に一本の道理があることに気付いたりする。幸せや永遠を求めていたり、あらゆるものを天秤にかける思想であったり、進化論から淘汰をキーワードに生きていたりと、そういうことが固まっていって自分が構築されていることに気付いた。ああ僕はこういう人間なのだと。そう改めて思うことが増えたように思う。

もう1つの語ることは今、僕にとって発展途上だった。
人前で話すことが苦手な僕はstand.fmという音声配信アプリを使って無機質な画面に向かって自分のペースで語る手段を選んだ。
語ることも整理と構築をもれなく与えてくれる。
自分の思いを一方的に喋る。スマートフォンは文句も相槌もせずに黙って聞いている。自己満足的だが、心を整えるのにはとても有効であった。

これからも幸せが何か追い求めて、書いたり語ったりするのだろうけど、きっとこの行為自体がwell being 幸せに近づく為の行為なのであろうと僕は思う。

これをストレスなく続けられていることに運命を感じている。

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