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かわいそうだと思い込んでいた僕はかわいそうな人だった

 スズメがちゅんちゅんと鳴く音が聞こえる。綺麗に咲いた桜の花を眺める。風を感じながら走る。どれも耳が聞こえるから、目が見えるから、走れる足があるからだ。そのことに気付くのはそれができない人がいることに気付いたときか、自らがそれができなくなったときかのどちらかだろう。そして、それができない人たちを見てはかわいそうだと思った。


 3年前のある日、それは突然やってきた。


当時大学4年生、就活から帰ってきてシャワーを浴びたら左の耳が聞こえづらい。


 音がこもっていて、自分の声が響いて聞こえ、ピーという耳鳴りがする。


 聞こえないというより、聞こえてくる音全てが不快に感じた。こわい。こわい。こわくてたまらない。


 なんだろう、、、


 寝たらよくなることを信じたが、夜が明けてもそれは治ってなかった。


 次の日、僕はすぐに病院に行った。


 診断結果は突発性難聴だった。

 僕はあまり理解できなかった。とにかく早く治したい。僕はドラマみたいに、治るものですか?と医師に聞いた。


 「治る人もいるし、治らない人もいる。」

 それが先生の答えだった。


 その瞬間はショックで頭が真っ白になった。待合室に戻ってからも、家に帰ってからも僕は泣いた。


  突発性難聴の原因はよくわかっておらず、ストレスや疲れから生じる場合が多いみたいだ。ストレスから発生する病気はその病気自体がかなりのストレスになる。早期治療が回復の可能性を高めるみたいなので早く病院に行ったのはよかった。薬を一週間分もらった。 


 幸いにも僕の耳は回復した。


 音が聞こえる。


 声が聞こえる。


 好きな音楽が聞こえる。


 僕は嬉しさというよりも、安堵というか、恐怖から解放されたような感覚だった。いつこの世界が無音になるか分からない、無音と隣り合わせの生活は例えようのないくらいこわかった。


 世界中に耳の不自由な人がたくさんいる。

生まれつき耳が聞こえない人もいれば、聞こえなくなってしまった人もいる。

音のない世界で強く生きている人たちをかわいそうだと思ってた。かわいそうなのは僕の方だった。

 回復して耳が聞こえるようになった僕は、彼らの気持ちに寄り添えるなんてそんな軽い言葉は言えない。ただひとつ知れたことは

彼らはずっとずっとずっとこの世界を強く生きている。
 

 

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