腐ったエッセイ
梅雨の日曜日が好きだ。
だって、キラキラした人達の予定が台無しになるから。
予定のないはみだしものの僕にとってはちょうどいい。
TikTokには、胸の大きな女性が踊ってる。ひとつも面白くないのに、ベッドで画面を15分も眺める僕は、この世で1番面白くない。
昨日、直属の上司の異動を報じられた。異動が多い会社だから、2.3年もすれば異動になる可能性がぐっと上がる。きてしまったかと不安になりながらも、色々人間関係に傷が入った人だったから、もしかしたら彼自身はスッキリしているのかもしれないと分からない本心に思いを馳せる。
それでもお世話になった人だから、何かを渡そうと思った。
そして気付いたら、みんなを代表して僕が買ってくることになっていた。
プレゼントというのは、何を渡したかという結果が受け手側にとっては大きなものになるかもしれないが、本質はあげる側が相手を想っている時間の方がよっぽど大きくて尊い。だから本来は感謝したいと思った人間たるもの全員が、対象の人を想ってプレゼントを選び、お金を出し、渡すべきなんだと思う。でもみんなそんなことを何も思っていない。僕はそれを悲しく思う。
毎回プレゼントで思い出すことがある。昔付き合っていた彼女に、サプライズで誕生日プレゼントに、アルバム写真集をつくり、最後のページにディズニーシーのチケットを忍ばせたことがあった。
サプライズ好きの彼女だったので、何もしないフリをして前日の夜にサプライズを決行した。何もしないフリをしたのは、特別な日にサプライズを期待される時点で僕のサプライズの概念は破綻するからだ。
当然喜んでくれるとそう思った。
けれど彼女の反応は意外だった。
「ディズニーかぁ。ディズニーの気分ではないんだよなあ。ディズニー行くには色々準備がいるし」
僕はすごく落胆した。彼女の反応を見て、この人を幸せにすることもできないし、僕も幸せになれないと悟った。
人生は自分が思っている何倍も思ったようにいかない。どれだけ自分が本質を知った気になっても、相手が求めているものが違ったらなんの意味もない。よくある価値観の違いという、ありふれた言葉は、想像以上に僕たちを突き放す。
結局、上司にはお酒のセットと、お洒落なせんべいを何個か買った。「これはみんなからです」その文言付きで僕の手元から旅立つのだろう。
雨が上がって、みんなの予定が進みだす。心をどこかに放り投げてhave a nice dayとつぶやく。
TikTokは躍る女性から躍る男性に変わった。躍らない人より踊ってる人の方が絶対に幸せだろう。
TikTokからradikoに変える。オードリーのオールナイトニッポン。心地よさに僕は眠る。
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