心を病んでから立ち直った話[開き直ることの強さ]

こんばんは。
ひばと呼んで下さい。

タイトルの通り、昨年に乖離性健忘というものを患いまして、暫くの間療養をしていました。今も月一回程度の精神科の診察を受けています。

あまり耳に馴染みのない名前だと思います。
簡単にいえば「限定的な記憶喪失」です。
専門的な話ではないので、それくらいの認識で問題ないです。笑

以前の記憶が大きく抜け落ちた状態で生きていかざるをえなくなりました。

なかなか創造のしづらい話だと思います。

今まで何をしていたのか。
どういった人生を歩んできたのか。
友達の名前も顔も。
親や家族の名前も顔も。
大切だった人のことも。

忘れて生きていくことになりました。
嘘みたいな話ですが僕の身に起こったことです。

そんな発症当時は一言で「絶望」でした。
直後のこともぼんやりとしか思い出せません。
ただ生きているだけでした。

あれから一年少々、僕はこの文章を書いています。

記憶は残念ながら、大して回復していません。
精神科も月一回で通っています。

でも今は日常生活を
生きることができるようになりました。 


合間には読書、ブログ、動画、音声メディアなどで勉強することを習慣としています。

結論から言うと

「思い切って開き直る」

ことで最悪の状態から立ち直りました。

今回はこの数ヶ月間を

・記憶が欠けてからの日々
・変化のきっかけ・行動
・現在と、これから

3つくらいに分けて語ります。
よければお付き合いください。


・記憶が欠けてからの日々

乖離性健忘を発症したのは、昨年の5月。
知らない部屋に1人で寝ていました。
当然自分のことも何も分かりません(免許証でなんとか自分の名前は確認しました)。

一つはっきりと考えたのは
「これからどうなってしまうんだろう」
ということでした。

正直意識が戻ってからも激しいストレスのせいか、記憶がぼんやりしてしまっています…

家族も突然のことで大混乱だったそうです。

恐らく後にも先にも最大の親不孝です。笑

意識がはっきりしてるのは、一時入院することになった病院からです。
それから親と対面し、精神科で「乖離性健忘」の診断を受け、実家で療養しながら様子を見ることになりました。

過程をうまく説明できないのが申し訳ないです…本当に曖昧で。

僕の症状は、一般常識以外の過去の経験の大部分がスッポリと抜け落ちている状態です。
脳にダメージはなかったので、想像を絶するようなストレスによるものではないか、ということでした。


家族に会っても、自分の話を聞いても、何も思い出すことはありませんでした。
寧ろそんな異常な状況に気持ち悪さを感じ、毎日のように嘔吐をしていました。

なんか、この文章暗いですね笑
「とっつきやすく書いてやろう」って思ってたのに( ゚д゚)
少なくともこんな文章を書いたりするような元気も希望もありませんでした。

暗いエピソードを語りたいだけではないので、もうちょっとお付き合いくださいね^ - ^

変化のきっかけ・行動

上記の通り、自分の現状を受け入れることができずにしばらく鬱々とただ生きていました。

しかし家での療養にも徐々にですが慣れ、家族とも少しずつ打ち解けてきました。
多分、元通りにはなれませんが。

家族の支えは立ち直るきっかけのひとつだったと思います。
まるで他人のように接する自分は不気味だったろうに、本当に感謝しています。

人に「感謝」ができるようになったことも進展のひとつでした。

記憶をなくしてからお世話になった方々を思い出しました。
医療関係者の方は僕がこの世で一番尊敬する人達の一つです^ - ^

とはいえ社会に踏み出す勇気はまだありませんでした。
ここからは引きこもりニートみたいな生活の始まりです笑

iPhoneとiPadが家にはあったので、使い方を確認しながらネットに触れるようになりました。

そこで出会ったのがYouTubeです。

「体を動かしたいな」と思ったらフィットネス系の動画を見ました。なかやまきんに君には今でもお世話になってます。笑

「どんな仕事が向いてるんだろう」と思った時にも答えてくれる動画がありました。プログラミングの流行から、IT系やテクノロジーが進歩し続けている時代だと気付きました。

「もうストレスで悩みたくないな」と思った時はそんな気持ちに寄り添ってくれる動画を見ました。昔は今の自分のように悩み、それでも立ち直り成功している人達の言葉は僕を勇気付けました。

どんな精神状態の僕にも答えをくれるこのコンテンツに魅了され、毎日ひたすら見続けました。
知識豊富なクリエイターはみんな魅力的です。

そんな中で僕に最も突き刺さったのは

「他人の目を気にした人生は意味がない」
という言葉でした。

どんなに人に気に入られようと頑張ったとしても、結局別の人が自分の気に入らない所を見つけて嫌われるという「アンチは消えない」という理論でした。だったら自分のやりたいことを追求して楽しんだ方がよっぽどいいと。

目の覚めるような想いでした!

「どうしたらいいんだろう」
「どうせもう無理だ」
そんなことばっかり考えて生きていました。自分は心に傷を負った人間だから。

そんな自分が変わる為には、「行動」するしかないことにその時気付きました。

「一回どん底まで落ちてしまったんだから、やるだけやってみてから考えよう。死んでない限りはなんとかなるじゃん」

そう思いました。

翌日、両親に社会復帰をしたい意思を伝えました。
心配しながらも、応援すると言ってくれました。

翌月には就職先も決まりました。福祉系の仕事です。
選択肢が少ないこともありましたが、「人間性を鍛えたい」と思い人に接する仕事を選びました。

こうして社会復帰しました。
11月、記憶を無くしてから半年でした。

現在と、これから

社会復帰をして現在3ヶ月程が経ちました。
業務の内容も一通りマスターし、日中勤務をしています。

家族とも職場の仲間とも、問題なく付き合うことができています。ストレスを抱えづらい環境だったことは嬉しいことでした。

記憶の方は大きな進展はありません。
精神科の先生とは月一回の診察で会いますが、
「無理に記憶に拘らず、今の自分を受け入れる気持ちであれば大丈夫」と言ってもらえています。

話しやすくて参考になる話も聞けるので、まだしばらくお世話になりそうです。笑

普通の生活は、ほぼ問題なくできるようになったと思っています。

支えもあってのことですが、結論の通り

「思い切って開き直る」

ということが一番のトリガーになりました。

数ヶ月前の僕は、本当に人生のどん底でした。
何にも希望を持つ事もありませんでした。

それでも、生きることは諦めたくありませんでした。

それからいくつものきっかけがあり、まだ自分にもできることがあるかもしれないと思った時、
「どん底なら失敗しても同じだ」
と前向きに考え動き出すことができました。

完全に開き直りだったと思います。
今思っても「よく動けたな…」と半分呆れます。笑

でもそれで良かったです。
動かないと何も変わらないんですから。
動かなきゃ今もどん底のままでした。

「開き直り」や「思い込み」はパワーになります。
そのパワーで踏み出した一歩はその人にとって何よりも価値のあるものです。

せっかく踏み出した一歩だから、これからも歩き続けようと思います。
僕が経験したことや、成長する為に学んだことを伝えて、1人にでも希望を与えられるようにこれからも歩いていきます。

最後に、心にハンデをもっている方や生きるのが辛い方、なかなか踏み出せなくてモヤモヤしている方等、繰り返し伝えたいことはひとつです。

「思い切って開き直る」!

そうやって動き出すことが、きっと良い未来にとっての第一歩になります。
僕もあの時よりはマシな未来になりました。

生きる上での考え方や、得た知識を定期的に今後も更新していきます。
よければ応援して頂けると嬉しいです^^

それではまた次回^^

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