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日逢藍花名義で小説書いたり、絵を描いたりしてます。書きたいことを、書きたい時に書いてい…

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日逢藍花名義で小説書いたり、絵を描いたりしてます。書きたいことを、書きたい時に書いていきます。

最近の記事

再生産される舞台、そして『私たち』——劇場版レヴュースタァライトに寄せて

 それ以上でも、以下でもない。  この記事では、筆者が『劇場版レヴュースタァライト』を観劇して、感じたことや考えたことを熱情のまままに書き連ねていきたい。   一応、私と『スタァライト』の出会いを書いておこう。私はこの作品に触れて、精々まだ数ヶ月ほどしか経っていない。二年ぐらい前に演劇がテーマの作品ということでテレビシリーズを見始めた気がするが、結局は二話で打ち止めてしまった。映画を観に行ったのも、生来のミーハー精神とほんの少しの興味に過ぎなかった。  TVシリーズを流

    • 二十三歳、春の死生観 〜自殺について〜

      1,死生観とは何ぞや?  人生の経過とともに流動していく価値観のひとつに、「死生観」が挙げられる。言うに及ばず、各人が抱える生と死に関する価値観のことである。私はまだ大学を卒業して一年も経たないペーペーの若輩者であるが、ここで二十三歳なりに一旦、生と死について考えてきたことを開陳していこうと思い立った。いわば思想のアルバムとしてこの記事を書いていこうと思うのだ。  まずはざくっと死生観という概念について分析していこうと思う。ハイデガーを挙げるまでもなく、死は人間に思考、ある

      • 実存のパラドックス—生きづらさの源泉とは—

        もっとも手に入れたいもの(X)こそ、すなわち、もっとも手に入れることの困難なものである。 例えば先天的な身体障害のため不妊を宿命づけられた女性がいたとする。この女性はおよそ理想的なパートナーにも恵まれ、金銭的にも環境的にもなに不自由ない結婚生活を送っている。さて彼女の唯一の望みは愛しいパートナーとの愛の結晶である子供を儲けることである。しかし彼女にはそれが叶わない。彼女の絶望の源泉はまさにそこにある。叶わない望みだからこそ、もっとも強く希求してしまう。一見して矛盾めいて見え

        • ばらまかれた創作への爆弾、そして祈り—ヨルシカ『盗作』の解剖

           発売後すぐにこの記事を書き始めたはずなのに、気づけば二ヶ月もタイムオーバーしていた。この夏聞いた中で一番ゾクッとした怪談である。noteは初投稿であるが、今回は先日発売されたヨルシカの3rdフルアルバム『盗作−plagiarism-』(以下『盗作』と表記)についてだらだらと語っていきたい。  私のヨルシカとの付き合いはほんの半年ほどのものだ。三秋縋氏のツイートがきっかけだった。音楽に疎い私は、そんなアーティストが現在進行形で耳目を集めていることなどまったく知らなかった。二

        再生産される舞台、そして『私たち』——劇場版レヴュースタァライトに寄せて

        • 二十三歳、春の死生観 〜自殺について〜

        • 実存のパラドックス—生きづらさの源泉とは—

        • ばらまかれた創作への爆弾、そして祈り—ヨルシカ『盗作』の解剖