福井初のミュージカルスクールからエンターテイメントの可能性を届けていく【前編】
松井笑那(えな)さんは、神奈川県藤沢市出身の21歳。中学時代からミュージカルを始め、国内外での舞台経験を基に海外で指導に当たっていました。高校卒業後もカンボジアやフィリピンの孤児院、アフリカのスラム街の子どもたち延べ100人以上とミュージカルを創作していた松井さん。ささいなきっかけで福井を訪れそのまま住むようになり、福井県坂井市にあるミュージカルスクール「Naz(ナーズ) House」を立ち上げました。これまで20カ国以上訪れた松井さんは福井のどんなところを気に入ったのでしょうか。
言葉が通じなくても感動できる
松井さんとミュージカルとの出会いは中学時代に遡ります。
6歳からクラシックバレエをはじめ、
踊ることが大好きだったという松井さん。
中学1年生の時にミュージカルに出合い、
2年生の時には劇団のユースシアターに参加するようになります。
ミュージカルのどんなところに惹かれたのでしょうか。
松井さん(以下、松井):ミュージカルは話の内容を理解して、セリフを覚えて、さらに歌って踊らないといけない。忙しく動き回ることが好きな私には合ってるんですよね(笑)。高校1年生の時には海外公演にも参加させてもらいシンガポールで舞台に立ったのですが、言葉が通じなくても身体表現で気持ちは伝えられるし「日本語じゃなくてもこんなに感動できるんだ!」と感じました。それ以降どこにいっても臆することなく挑戦できる気がして、何かを始める時のハードルが一気に下がったような気がします。
ミュージカルを演じるのは毎回楽しくて充実感もあるのですが、次第に楽しいだけじゃできない世界も見えるようになりました。上手い下手で海外公演に参加できるかどうかが決まるし、周りを蹴落として役を掴み取る人もいる。観る人だけでなくお芝居する人も幸せであってこそ、エンターテイメントだと思っていたので、少しずつ違和感も生まれていましたね。
誰かを輝かせることが好き
本当のエンターテイメントって何だろう。
そんなことを考えていた松井さんでしたが、高校生になり活動の幅を広げ、
次第にエンターテイメントをつくる側の楽しさに気づいていきます。
松井:高校ではダンス部に入っていました。普段はわりとチャラチャラしながら練習してるんですが(笑)、1年に2回あるコンクールの時はみんなものすごく真剣になるんです。毎回3ヶ月間くらい集中して作り上げていくんですが、その時に作品のテーマを考えたり、フォーメーションを考えてノートに書いたりすることが楽しくて。ゼロの状態から自分のイメージをかたちにしていくことが得意なんだなって気づきました。
もちろんミュージカルも続けていて、いろんな団体にも出会いました。例えば高校2年生の時に参加した「ヤングアメリカンズ」というアメリカの表現教育集団のワークショップでは、ありのままの自分を表現することを重視していて、一歩踏み出せない人の背中を押す様な取り組みにエンターテイメントの可能性を感じたし、北九州で障害を持つ子どもたちにミュージカルを教えた時は、みるみる子供たちの表情が明るくなっていく様子を見て、「これだ!」と思いました。私は誰かが輝けるように手伝うのが好き。そこが楽しいんだなって。
海外で教壇に立つ
高校卒業も控え、周りは大学受験モードになっていくなか、
松井さんも次第に将来のことについて考えるように。
ミュージカルを通してさまざまな人に出会うなかで、
人生一つのルートだけではないことを痛感した松井さん。
次に選んだ舞台は、海外でした。
松井:大学にも合格していたのでそのまま進学という選択肢もありましたが、世界情勢はいつ変わるかわからない。大学ならもっと後でも通うことができると思い、卒業を待たずにアフリカに行きました。モザンピークやケニア、南アフリカなどを回りながら、スラムの子どもたち60人と2週間でショートフィルムをつくる活動をしたり、20カ国をバックパックしながら回っていました。
世界各国を訪れていた松井さんが特に印象深かったのが
カンボジアでの経験だったそう。
ミュージカルのワークショップだけでなく、
なんと現地の学校で教壇に立つことになります。
松井:カンボジアに渡ったのは高校を卒業して4ヶ月後のことです。現地の孤児院でワークショップを開催することになっていました。途中で日本に帰国し、バイトをして旅費をかせいでいたので、ワークショップ以外にはやることがなくて。そんな時に「近所に日本人学校があるからそこで教えてみたら?」と誘われ、教えることになったんです。さらに、現地にあるプノンペン大学の日本語学科でも、休暇中の教授の代わりに講師を任されることになり、面白い経験をさせてもらいました。
まさか私が福井に住むなんて
現地で起こるさまざまな出来事も明るく軽やかに乗り越えていく松井さん。しかし、世界中で急拡大していた新型コロナウイルスの影響で、
帰国を余儀なくされます。
松井:現地では国外への渡航に制限がかかりそうだと言われていて、「帰国できるうちに日本に戻ろう」と計画しました。近隣の国の空港が続々と閉鎖されるなかで、シンガポール経由沖縄行きというルートでなんとか帰国できたんです。当時はみんなパニック状態だったのですが、せっかくならこの状況を楽しもうと、落ち着くまで海外で知り合った仲間を頼って国内を回っていました。福井にやってきたのもネパールで一緒だった友人に誘われたのがきっかけ。2、3日だけ滞在するつもりが、まさか住むようになるとはその時は思いもしませんでした(笑)。
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ミュージカルをつくる楽しさを感じながら、海外を転々とした松井さん。後編は、福井で住むようになった経緯やミュージカルスクールの立ち上げたお話です。どうぞお楽しみに。
※記事の内容は取材当時のものです。
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