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麻雀と生態学 ~概論~

Riddle
点棒とかけて、遺伝子ととく。
その心は『どれだけのこせるか』。

麻雀って、生態学のようなうごめきを感じられて面白いなぁ、という妄想話である。

※補足資料を作成した。下記リンクにて。

導入(いらない)
私は麻雀を楽しんでいる。
正直言って、こんなに長く付き合うとは思っていなかった。

きっかけにも恵まれ続けていて、
ほんの少しずつだけれど、雀力も向上していっているように思う。

いましばらくは終わりが見えそうもないし、
まだまだこれからも、私にとっての麻雀ワールドは拡張していくのだろう。

そんな私の脳内に見える広大な景色の一部分を、
今回は文章というかたちで現像してみることにする。

本題
さて、早速だが麻雀というゲームについて少しだけ考えてみよう。

麻雀をプレイする上での、とりあえずの目的はなんだろう?
ここでいう目的とは、あくまで一般論の話だ。

プロになる、とか○○段位になる、とか楽しく遊びたい、とか、
そういった個人的な目標の話は、今は少しだけ忘れて頂きたい。

もちろん、ルールや所属によって具体的な目的・目標は異なってくる。

順位点やオカの大きいルールでは1位以外が霞んで見えたり、
段位ポイントを扱うネット麻雀だと、ラス回避が重く見られることも多いだろう。
タイトル戦なんかだと、目標順位にむけての条件計算がシビアに行われる。

いくつか細かい話をしたが、共通して言えることがありそうだ。
展開に応じて、目標とした値以上の点数を終局時に残す、という点では同じではないだろうか。

順位点や段位ポイントも、基本的には「点数差によって決まった」着順に付随する。
レートやチップも考えられるが、結局は素点いくら分、という数え方になる。

言い換えると、次のように表現できないだろうか。
麻雀の目的は『点棒(素点)をなるべく多く残すこと』である。

もちろん異論もあって然るべきだ。ただ、大きく逸脱してはいないはずだ。
少々強引かもしれないが、とりあえずこれで話を進めていこう。

ここで、点棒を遺伝子という物質に置換してみよう。
遺し、伝える因子。するとどうだ。

『遺伝子をなるべく多く残すこと』
遺伝子のコピーを、少しでも多く残していく。
……これは、生物が抱える"宿命"(好きなルビを振ってくれ)そのものなのだ。いわば、生物の目的である。

ということは、麻雀を生態学的な視点で捉えられそうではないか!?

この共通項が、麻雀というゲームの面白さ・魅力を語るためのツール、
および比喩表現として非常に優秀だと、昔からずっと感じている。

プレイヤーは、点数を残すために自身が最適だと考える行動を練り、実践する。
そうしてゲームを繰り返し、トータルスコアを積み重ねていく。
少しずつ、変化や修正を行いながら。

生物は、クローンだったり、子孫だったり、兄妹だったり……
すなわち自身の遺伝子のコピーを、少しでも残せるように多様な行動をとる。
次世代、次々世代へ。少しずつ、ランダムに変異を生じながら。

これは遺伝子から個体・個体群レベルに着目した、
遺伝、個体群動態、もとい行動生態学の考え方である。

話はこれで終わりではない。
生態学はそんなにヤワな学問ではない(だから麻雀もきっとそうだ)。
分子1粒から地球1粒まで、様々なスケールに拡大縮小できるのが生態学なのだ。

麻雀は相手が複数いるのが特徴だ。
ヨンマなら3人、サンマなら2人を相手にする。

プレイヤーが点数を残すために頑張って行動を構築してきたのと同様に、
相手もそれぞれ一人前の打ち手である。

同じような行動をとるとは限らない。
それぞれが各々の思惑をもって、ゲームを進行させていく。

つまりは相手も生物、他の生き物である。
種(species)と表現しても良いかもしれない。
まさに、多様性だといえるだろう。

固定メンツで無ければ、相手という生物的環境が変化する。
ネットでもリアルでも、たくさんの相手と戦う(関わる)ことになる。
人によって度合いは異なるが、相手に応じて自身の行動が変化することも(その逆も)、ままあることだろう。
紛うことなき生物群集の構築、そして種間相互作用だ。

このように、個体群から押し広げて群集レベルで見つめることもできるのである。

察しの良い方や麻雀に精通した方なら、
まだ私が語り足りていない事に感づいているだろう。

麻雀を語るうえで、とても重要な特徴をまだ書いていない。
それはルールのカスタマイズ性、自由度の高さだ。

先に述べたサンマとヨンマでは、そもそもルールが大きく違う。
更に、ドラ枚数や喰い断、バック、ローカル役、途中流局、ウマ……
正直いって書ききれないほど、たくさんのルールが存在する。

先程の相手の話とは違い、こちらは場として定まっている。
(定まっておらず揉め事になるのも、ある意味お約束だが)
これは物理的環境(非生物的環境)と表現可能だ。

例えば、サンマとヨンマで副露率が同じというプレイヤーはごく少数だろう。
ルールの違いに応じて、程度の差はあれど、打ち手の行動は必ず変わる。
生物の環境変動への応答と同じである(ex. 桜前線)。

ネット麻雀では膨大なデータの蓄積が可能なため、
そのゲームタイトル(=生態系)におけるルールに適した行動や、プレイヤー層の平均データなんかも解析できる。

昨今は、AIに牌譜を見させている方も多いだろう。
生態系生態学や、モデリングの話になってきたではないか。

あとは、ルールを作る側の立場にある方もいるだろう。
みんなが楽しめるような大会を開きたい。そのためには、どんなルールにしようか?
景観・環境作り、あるいは保全生態学に似た思考といえよう。

これだけ似通った項目があるのは、凄いことではないだろうか。

まるでとりとめのない話が続いたが、
私の主張はまとめると非常にシンプルなものだ。

我々は麻雀というゲームをプレイすることで、それだけで、
この世界で連綿と続いてきた生命のうごめきを体感できるのだ。

すなわち、麻雀は生態学だ。

私たちが生きて動いている以上、この面白さには抗いようがないのだ。
と、そんな思いが常に心の片隅にある。

だからこれからも、しばらくは付き合って向き合って行くことになりそうだ。
今後ともよろしく頼む。

謝辞
このコラムに、麻雀の戦略・戦術として有用な情報は無い。
ましてや、学術的な価値など言うまでもなく存在しない。

それでも最後まで読んでくれた物好きな方々へ、ありがとう。

参考文献
生態学入門 第2版(編:日本生態学会、発行:東京化学同人)

9/20追記
いくらか好意的な反応を頂いたため、
実戦譜と雑学を絡めたコラムを今後も不定期に更新していく。

10/15追記
補足資料の作成、及びレイアウトの微調整

↓次回


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