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これからの家族のかたち。特に夫婦関係の話。

これからの家族のかたち、という言葉を聞いた時、結婚当初の自分のことを思い出した。
24歳でおめでた婚、やったことのない家事と育児、そして他人との共同生活が一挙に始まった。

当時は普通にサラリーマンをやっていた私は、共働きしているということを前面に打ち出して、夫へ家事育児への協力が少ないとぶちぶち文句を言ったり、妙にストレスを抱えていた。

私の夫は会社経営者だ。

社長、といえば聞こえはいいが、実態はどんな会社の社長かにもよるだろう。
たとえば、その会社が若いのか、それともある程度歴史があるのか、とか。結婚当初、夫の会社は起業したて。夫もひよっこ経営者として右も左もわからないような手探り状態だった。心の余裕など、皆無。

私と夫は、彼が新卒採用で入った大手企業を退職すると決めたあたりから付き合い出した。どんな夢を持っているのか語る彼に惚れたし、応援したいと心から思った。そして、私たちは大学時代からの友人で、ある種戦友でもある彼の戦い方をよく知っていた私は、夫なら大きな夢も実現可能、と信じた。

つまり、私たちの関係は、この「そばで応援したい」という私の暑苦しい希望から始まっている。

それが、結婚し、子供ができたら一変。私は私が持っているであろう権利をめちゃくちゃに主張した。

今は、女性もどんどん社会に出て、夫も家事育児を平等に分担し、とにかく平等を極めるべし、という時代になっている。私も「そうだそうだ!」と世相に便乗して細かい家事分担表なんかを作ったりした。それでも変わらない夫に憤り、諦めたり怒ったり、とにかく感情が暴れまくっていたように思う。

けど、私は夫に騙されて結婚した訳ではない。
サラリーマン家庭よりは波瀾万丈になること間違いなし、と自分で覚悟を決めて嫁いだ。安泰で凪状態の人生より、そういう冒険に満ちた将来を自ら希望したのだ。最優先すべきは、夫のサポート。関係の基盤が崩れてしまえば、その上に立つ私たちの未来は、かなり危ういものになる。

この自分の矛盾に気付いてからは楽になった。

変えるべきなのは夫ではない。私。というか、はなから自分のことしか変えられない。他人のことは、自分ではどうしようもないことなのだ。
ならば、自分だけでどのように日々の家事育児仕事を回していくか?
そちらに頭を使った方がいい。

古い夫婦像、と言われればそうかもしれない。けど、多様化が進む世の中で、このタイプの夫婦が残っていてもいいとも思う。
肝心なのは、流行や世の中の人の考え方に惑わされることなく、自分達の信念をどっしり持てることではないか。互いの価値観をすり合わせるために、夫と幾度となく深い会話を重ねて来られている私は、とてもラッキーだ。

夫婦生活、色々と思うことはある。2人とも人間だし。人間は愚かな生き物だし。
だけど、毎日のように現状を憂い、愚痴を言いながら暮らすと、すごくテンションが下がる。
楽しんで、嬉々として困難を受け入れた先に、びっくりするような成長が待っていると信じている。

ただ、私はぶっきらぼうで決して可愛い妻ではないと思う。ここは改善点。もう少し可愛くなろう。

#これからの家族のかたち  

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