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【今年の仕事振り返り】 2018年1月1日、私には何もなかった

2018年は、私にとっては本当に激動の1年でした。この1年を各仕事とともに、振り返っていきたいと思います。


そもそも昨年末に会社を辞めていたので、所属もない、仕事もない、お金もない、という割とどうしようもない状態で元旦の朝を迎えました。

そんな中でも拾う神はいるもので、学生時代にお世話になっていたねとらぼに相談した所、快く記事を書かせてくれることになりました。後に入社するプレスラボも学生時代からのご縁ですが、学生のときにいろいろ行動しておいたおかげで本当に命拾いしました。

ねとらぼでは、特に漫画ネタが書いていて楽しくて。こちらの育児漫画を紹介した記事は2000RTぐらいいきました。
当時いろんな人に「あれって作者に許可は取ってるの…?」と聞かれたんですが、許可取ってます〜!もちろん!

特にTwitter漫画勃興期だったので、Twitterでバズった漫画をねとらぼで紹介する→後に(ねとらぼに掲載されたことと関係あるのかはわからないけど)媒体での連載が決まったり、書籍化することになったり…という流れを間近で見られて面白かったです。「男子高校生を養いたいお姉さんの話」もそうでした。

私がねとらぼで書いた記事は、こちらの一覧にまとまっています。
http://www.itmedia.co.jp/author/209805/
※プレスラボ入社後はこっち↓
http://www.itmedia.co.jp/author/218667/

3月頃から、学生時代にライターインターンをしていたプレスラボからもお仕事をもらえるようになりました。


もともとネット発で有名になっていった方々には、強い憧れがありました。特にこのつぶらさんの記事以降、インフルエンサー取材というか著名人取材は積極的に取りにいくようになっていきましたね。その人が何を考え、生きてきたのか。今に繋がるルーツはどこにあるのかを探るのがとっても楽しい。

また業務委託としてとある会社さんにジョインし、常駐のライターとして取材・執筆・簡単な校正などもしていました。昨年辞めた前職では平均週に2〜3本ぐらいの企業取材をしていたんですが、その経験をそのまま活かしつつさらに新しいこともやらせてもらえて、短い間でしたが間違いなく得たものは大きい期間でした。

そして5月の半ばごろ、ライター・編集としてプレスラボに入社します。自由な社風だと知ってはいましたが、いざ社員として入ってみると思っていたよりさらに3倍ぐらい自由でした。

その頃、先輩に紹介いただいてこちらの記事を担当しました(取材・執筆)。

自分自身音楽は大好きで、中学生くらいまでは本気で音楽の仕事に就きたいと思っていたんです。紆余曲折あって文章の仕事を主軸にするようになったわけですが、一度は諦めた音楽にこういう形で携われたことが嬉しかったのと、音楽のことを文章で表現する楽しさに魅入られたタイミングでもありました。KAI-YOU編集の恩田さんが素晴らしい記事に仕上げてくださって、後にこの記事を読んだ企業から新規の依頼をいただけたりもしました。

以降、「自分の好きな人たちにもっと取材をしたい。彼らの考えや思いを文章にして、よりエモーショナルに表現していきたい」という思いがどんどん強くなって。中学生の頃から10年以上ニコニコ動画を視聴し続けていることもあって、ネット発のクリエイターやパフォーマーへの取材案件を頑張って増やし、いただける依頼も、そういう方々を取り上げるものが増えてきました。いわゆる歌い手、踊り手、YouTuberなどですね。

↑10月には、ついに人生で初めてライブレポートを担当させていただきました(しかも幕張メッセ)。自分が見聞きしたステージから、どの情報をチョイスし、どんな言葉で形容するのか。そもそもなぜこんな大仕事を、自分に任せてもらえたのか。じゃあ、自分だからできる表現って何なのか。そんなことを考えながら毎晩毎晩原稿を直していた所、実は納品後ちょっとだけ体調を崩しました(笑)

これらが秋頃の話なんですが、一連のインタビュー仕事は主に個人で動いていたものです。もちろん会社のほうでもいろんな案件を担当していて、特にこちらの漫画企画は反響が大きかったです。

全5話構成。各話の主人公たちに、それぞれちょっとずつ自分の要素が入っています。企画とプロットまでを担当し、ネーム・原稿作成は斎藤充博さんにお願いしました。ちなみに、今だから言える裏話。連載を通して登場し、悩める主人公たちにアドバイスをするカフェのマスターがいるんですが、実は初期の構想のモデルは『東京喰種』に登場するカフェのマスター「芳村」でした。見た目からその要素は消え去りましたが、セリフとかに残ってないですか。どうですか。

この仕事は編集としての初めての名刺になってくれて、また新たないくつかの依頼を運んできてくれました。企業の人事・採用担当者に向けた情報を発信するダイレクト・ソーシング ジャーナルもその1つです。

そのほか、11〜12月は大型案件や連載案件の仕込みが多く、それぞれ来年の公開に向け取材〜執筆〜編集をしていた感じです。ちなみに1月中に、1つ大きなリリースがありそう。


今年の1月1日は、本当に何もなかったんですよ、私。それがいろんな方に助けていただいて、お仕事をいただいて、仕事が仕事を呼んで。本当に「生かされて生きられた1年だったな」と思っています。環境が変わったことが良い方向に作用したのか、「仕事でこんな楽しい思いしちゃっていいのか…!?」と謎の不安も抱くほどでした。

そんな、お世話になった皆様に少しでも恩返しができるように。そして同時に、自分の「やりたい」もたくさん叶えられるように。来年もこの仕事を頑張っていきたいと思います。

<番外編>

お仕事ではないですが、これも結構頑張って書いたやつです。

その後約1年、出会う人出会う人に褒めていただくことになる私のTwitterアイコン。あれがどのようにして生まれたのかをまとめた記事です。SKIMAというサービスを使ったのですが、その模様を、実際の取引画面のキャプチャなどを入れながら紹介しました。


おわり


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