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現代社会というシステムの中にいる人間  #自分ごと化対談(生命誌研究者 中村桂子氏)≪Chapter2≫

※本記事は、YouTubeで公開している自分ごと化対談【「命」か「経済」か?コロナ禍で顕在化した社会問題を『生き物としての人間』の観点で議論する】(https://youtu.be/5cEd33Vbp0I)について、Chapterごとに書き起こし(一部編集)したものです。

生き物としての人間がいて、はじめてシステムがうまく回る

 
<中村> 
(加藤秀樹著「ツルツル世界とザラザラ世界-世界二制度のすすめ-」を)とっても面白く読ませていただいたんですけれども一つだけ疑問があって、加藤さんはお仕事柄、社会を「システム」として見てらっしゃると思うんです。それはシステムも色々問題があるから、それをお考えになることはとても大事なんだけど、私はそこにいる「人間の考え」、「思い」、「価値観」そこのシステムを作っている人間が、どういう人かっていうことが、もっと大事だと思っていて…。すごく見事なシステムがあったとしても、そこで動いてる人があんまり物を考えない人だったら、決して良い社会にならないと思うのです。

システムはもちろん大事なんですけど、人間のところにもうちょっと目を向けていただけると、本当の意味の生き物としての人間が生きやすい社会が、この考えの中で作れるんじゃないかなと…。

<加藤>
それは仰る通りですね。社会のしくみを考えることを主な仕事にしているので「システム屋」と言ってもいいくらい…(笑)。
ただ、私の問題意識は、私たちが今直面している問題は現代社会のシステムそのものだということです。

近代になって人が経済、政治、社会のいろんなしくみを少しづつ積み上げてきた。その過程では、それらはどれも必要なもので、積み上げていくことが進歩だと思っていた。ところが、気がついたら、世界が気が遠くなるような膨大なシステムになって、人間はそれによって動かされ、がんじがらめになって、多くの人がもがいたり、弾かれたりしている。もはや、人間が動かしているとは言えないような状況になっている、と思うのです。まさにチャップリンの「モダンタイムス」の世界です。

それが、ツルツル世界。
なので、もう一つ違う世界=ザラザラ世界を作って、そこでは、中村さんがおっしゃるような人間が「生きもの」として暮らし易い「緩いシステム」を作ろう。それが「世界二制度」の提案です。
今のシステムが問題だから、システムを二つに分けようというのは、矛盾しているようにも聞こえるのですが…(笑)。

そこで大事なことは何かというのが(本の)5章、6章で書いた文化のことと身体性なんです。要するに今のシステムは、経済成長を前提とする仕組みを作って、政治もその前提に乗って動いている。そして世界をマシーンのようにして、我々はその中でかなりヘトヘトになっている。

大企業のトップですら、すごい競争の中で本当に神経をすり減らして、多分しんどいんですよね。それをザラザラに変えてみませんか、という提案で、じゃあそのザラザラの中でやってる人間がどういう風にそこを動かしていけるのか、そこで人間というのがどうなのかというのを最後に書いたつもりなんです。

ザラザラの中で面倒かもしれないけど、自分でいろんなことをやる。本では「家事」と書きましたけれど、日々生きていくための作業なんですね。例えば、家の中でロボットを使うのはやめましょう。皿を洗うのだって機械もある。だけどもやっぱり手で洗って、たまには割って、その中でいろんなものを学んだり、そこで皿一個洗う中にもクリエイティビティがある。そういうことの積み重ねが、中村さんがおっしゃる思いとか価値観など、「人間」を作っていく。

ザラザラ世界では、ツルツル化の中で身体でやらなくなったものを、もう1回自分の身体でやるっていう人が中心になる。身体を使うことを通して生きもの的な思いや価値観を身につけようということを書いたつもりです。それが「身体性」とか「型」なのです。

野中郁次郎さんのアメリカ海兵隊の研究やトヨタを引用したのも、同じ理由からです。一つの組織の中でも、身体を通して共有することによって兵隊や職工も理念がわかるし、司令官や部長も現場の状況がわかる。だからある意味では任せられる。がんじがらめにしなくてもいい。

システムをガチっとルールで決めなくても、whyとwhatを共有してればhowは任せられるということを書いているのですね。日々生きるということを人々が共有している社会では、ああしろ、こうしないといけないといったシステムの「きまりごと」が少なくてすむ。そのためには、やはり身体を使って生きているという事がベースに必要になると思うのです。

これだけ人間が沢山いて複雑なことをやっていると、ある程度のルールとかシステムというのはどうしても必要なわけですけれども、その中の「自由度」というんでしょうか。難しくても、そっちを目指さないといけないんじゃないかと思います。

歌舞伎でも武道でも、練習して練習して練習して型を身につける。そうやって「守・破・離」、守って、破って、離れるという自由を得る。そこまでいくのは達人しかできないわけですけども、それのもっと柔らかい、軽いものをなるべく大勢の人が身につけると、システムが緩くて済む。
その柔いものというのが、日々の生きるための「作業」を通して得られる礼儀とか倫理なのだと思うんです。

「自分が戦っていたのはシステムだった」水俣病からの便り

<中村>
そこを全部お考えになっているのは本当に素晴らしいと思うのですが、システムという言葉にこだわったのには、水俣病で大事な役割をしている緒方正人さんを思い出したからです。ご存知ですか?漁師さんです。「チッソは私であった」という本があります。

彼は6歳の頃に、お父様が水俣病ですごい無残な死に方をするのを見てるんです。本人も、もちろんお魚を食べてるから水俣病にかかるんですね。若い時はチッソとの闘争の先頭に立って戦うんですけども、結局戦った結果、すごく虚しくなっていくんです。

それはなぜかと一生懸命考える、すごい考える人です。一生懸命考えた結果、自分はチッソの社長や通産省の官僚に会いに行く時に、人間と会って話したかった。ところが向こうにあるのは「システム」でしかない。「社長」というのは会社の上に乗っかってる存在でしかなくて、人間として存在してないということに気がつくんです。それってあると思うんです。不祥事があった時にお辞儀なさるけど、人間として謝ってるんじゃなくて、立場でやってらっしゃるから誠意が出ませんよね。たまたまここにいた、みたいな。自分が本当に辛い思いをして、それこそ命を掛けて戦ってるのに、自分が戦ってるのは人間じゃなくて「システム」だということに、ある時気がついてしまうんです。

もしこれが「システム」なら、社会全体がシステムじゃないか、現代という社会がそれで動いてる、自分もその中にいる。もし自分がチッソの社員だったら同じ事やってたんじゃないかということに気が付いて、チッソは私であったと思って、水俣病の申請認定を取り下げる。とことん考え続けた緒方正人さんが、「自分が戦ってたのはシステムだった」という発見は、ものすごく大きなことだし、それが分かってしまったら、とっても虚しかっただろうなと、その気持ちよく分かるんです。人間が動いてるようでありながら、実はシステムが動いてるんだって、今の社会は。人間として動いていないということを、水俣病という非常に厳しい事態の中で見つけた。

彼は国は大事だけれど、僕にとって大事な国はアメリカとか日本とかいう国じゃなくて生まれた国、「生国」が大事なんだと言います。実は私、水俣病にはとっても関心がありましたけど、生半可なことで近づくのは無理なテーマですよね。だからずっと水俣病のものを読みながらも、自分としては関係したり発信したりすることはしてなかったんです。

そしたら水俣50周年の時に(2006年)緒方さんから手紙が来て、「生命誌は僕が水俣の中で考えたことと全く同じだと。だから50周年の時に必ず来てくれ」と言われて、初めて水俣に行きました。ものすごくきれいな海で、こんなところでなんでそんなことが起きちゃったかっていうくらい綺麗な海だし、みかんの山があって、美しい自然のある場所です。そういうところで、水俣病という辛い事件が起きて、しかも漁師として働き続けながら、それと向き合ってきた。だから言葉が哲学とかそんなものを越えて心に訴え、考えさせます。人間としてこうありたいなと思う存在なんですね。その方が生命誌と同じことを考えてるから話したいって言われたのが、生命誌を始めて以来、一番と言ってもよいくらい印象的なことでした。

<加藤>
それまでに何かやり取りは。

<中村>
全くありません。生命誌の発信はしていましたけれど、水俣病については、自分から発信することはしていません。生半可でやれる問題ではないじゃないですか。もしやろうと思えば、かなり時間を使わなければならないし、ちょっとそれはできないなと思って、自分ではやってなかったんです。

もちろん鶴見和子さんとか、実際に関わってらっしゃる方とお話をしたり、石牟礼さんの本を読んだりはしていましたけれど、自分から発信はしていません。50周年の時にそう言われて気づいたのは、ザラザラ世界って、私のようにDNAから入っても、水俣病体験の中で、漁師という現場で考えても、重なるのだということです。その時の「システム」ということが、頭にあって、加藤さんがシステムが大事なんだけど、そこを乗り越え「ここにいる人」、人間に注目なさるところに共感するのです。


過去の自分ごと化対談はこちら
・第一弾 JT生命誌研究館名誉館長・中村桂子氏
・第二弾 プロ登山家・竹内洋岳氏
・第三弾 小説家・平野啓一郎氏
 https://www.youtube.com/playlist?list=PL1kGdP-fDk3-GPkMkQsCiYupO4L9rS3fQ


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