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身を守るための敬語、本物を知らない社会-脱線どちて雑談

アニメ番組『一休さん』に登場する、“どちて(どうして)?”が口癖のキャラクター「どちて坊や」。その「どちて坊や」の問いかけのように、世の中の出来事に対する”素朴な疑問”から話がはずむ、ゆかいな雑談です。

何が出てくるかわからないガチャガチャみたいなトーク「脱線!どちて雑談」。
脱線こそ雑談の醍醐味。脱線からうまれる初耳の話を、お楽しみください!

敬語は「身を守るための言葉」

■加藤
言葉というのはすごい気になりますね。

スタッフを見ていてもね、やたら丁寧に、「これ教えてください」って言えばいいのに「ご教示ください」と言うのです。

スタッフ同士で言うのは間違っているだろうと思いますね。

政治家で多いのは「させていただきます」という言葉。
政治家なら「します」と言え!とかね。

そんなのが溢れていて、要するに、”防御”だと思っています。揚げ足を取られないように、いっぱいくっ付けて丁寧そうに言って、目くらましみたい。

□谷野
敬語って、身を守るための言葉です。
相手との距離をとって、間合いを詰めないための護身の言葉が、敬語ですね。
「ソーシャル・ディスタンスの言葉」とも言えます。

いきなりタメ口で話すと「なんだこの野郎!」となる。
相手との距離が近すぎると危険なので、「大変お世話になります」「何卒よろしくお願いします」のように、複数の敬語を重ねて自分を防御する。

だから、メールでも手紙でも挨拶でも、敬語が形式化しているのだと思います。
初対面の人に使っても、怖い人に使っても、目上の人に使っても、どんな人に使っても大丈夫な言葉が敬語だからです。

■加藤
病院に行くと「患者様」とかね。そのくせに医者は威張っているけど(笑)

□谷野
病院は、「患者」ではなく「お客様」になりましたね。
患者は医療を消費する消費者としてのお客様ですね。

学校の場合は、親がお客様でしょうね。
親がモンスターペアレンツという過激な消費者として現れていますね。

■加藤
本当、そうですよね。テレビなんか聞いていてもね、「容疑者の方」とか言っているでしょう。
「容疑者」でいいのにね。

□谷野
お客様からのクレームやSNSで炎上するのを、丁重な敬語を多用して防止しているのでしょうね。

言葉のうえでの「平等化」

□谷野
「職業の差別表現をなくす」というので、「バレリーナ」とは言わなくなって「バレエダンサー」と言うようなりました。

テレビや広告などでは、「スチュワーデス」というのも「CA(キャビンアテンダント)」と言います。

「保母」も「保育士」になり、女性限定にする言葉はNG。

「看護婦」は「看護師」になりました。

使う側は差別する意図なんてなかったんですけど、男女平等になるように統一したおかげで、元の言葉がもっていたニュアンスが消えてしまいましたね。

■加藤
最近ね、料理屋とか、佃煮屋とか言わないようにする傾向があるらしいですね。

佃煮”店”とかね料理”店”とかね。

なんで”屋”がダメなのかなぁと思っているけども。

□谷野
たぶん「下に見ている」からではないでしょうか。
上から目線というか、軽い差別表現なんでしょう。
佃煮屋を経営している人が、「うちは佃煮屋です」と自分で言うぶんには、
自らへり下ったので大丈夫なんです。

広告業界もそうで、広告代理店は、自分のことを「広告屋です」って言いますけど、
得意先に「あなた広告屋だよね」って言われたらカチンとくる(笑)

■加藤
なるほど(笑)

□谷野
自分が言うにはいいけど、相手に「広告屋」って言われたら、
下に見られた感じがするんです。

これも要するに、ツルツル化だと思いますよ。「平等に、対等にしなきゃいけない」世の中なのに、差別されていることへの不快感なんです。

■加藤
やっぱり、佃煮屋とかうなぎ屋というのは、”屋”じゃないと雰囲気が伝わって来ないですよ。

□谷野
うなぎ屋って言った方が、うなぎの蒲焼の匂いがしますよね(笑)
「うな丼ショップ」って言われた瞬間に、工場の機械が作ったうな丼のようで美味しそうじゃない。

それだって「言葉のツルツル化」ですよね。

■加藤
そうですね。「言葉のツルツル化」っていうのは多いですね。

□谷野
だから、世の中、全部ツルツルになっていないと、気持ち悪いのでしょうね。
「あ!こんなところにザラザラした表現が!ツルツルな言い方に直せ!」と思うのでしょう。

人間までが「材料」になっている

■加藤
以前から、聞く度に不快な表現があって、テレビなどの食べ物の番組で、みんな「食感」と言っているのです。

“歯ごたえ”とか“舌ざわり”とか、元々言葉あったのに。全部”食感”なんですよね。

それから、使っているものも、豚肉とか大根とか全部が食材”なんですよね。

外国では食材とは言わないのではと思っています。
ミートやベジタブルだし、全部そのまま言うだろうと。

□谷野
僕は、日本がものづくりの国だからじゃないかなと思います。
要するに工業国だから、何でも“材料”になってしまう。

一次産業、二次産業、三次産業と分けていますけど、
僕は、日本はすべて工業じゃないかと思っています。
農業も工業のようにしているじゃないですか。

■加藤
ビニールの中で作るのが進んでいる、みたいな感じになってますね。

□谷野
教育だって「人材を養成する」と言いますが、人を「作る」「製造する」って感じでしょ。

人間が何かの“材料”になっているのでしょうね。
農業国だとそういうふうに言わないのでは。

■加藤
そうでしょうね、本当にね。

□谷野
食べものは”食材”、人間は”人材”になっている。

■加藤
全部材料(笑)

だけど、どちて坊や風に言うとね、じゃあ何のための材料だって言いたくなりますね。

□谷野
お金のため、それ以外ないですよね(笑)

■加藤
そのお金が材料費として本人に払われることは少ないわけで。違う人がそのお金を取るわけですね。

□谷野
誰かが間で抜き取っているでしょうね。代理業とは、そういう職業です。
手数料をたくさん取って、現場で汗を流して働いている人には少ない額しか支払わない。

■加藤
一生懸命勉強して”人材”になったつもりでも、その材料費として返ってくるのはすごく少ないですよね(笑)

□谷野
返ってくるのは、給料だけじゃないと思います。
上司の命令に“従ってやり遂げた”、“苦痛を乗り越えた”というマゾ的な喜びを、
精神的な報酬として得ていますね。
金儲けの材料になった人間にとって、立派な歯車になること自体が報酬であり、
癖になる快感なんだと思います。

歯車の精度が上がることを“出世”と言いますね。

とはいえ、人間は“人材”じゃなくて、人間は“人間“ですからね(笑)

■加藤
食材で言えば、今の子どもは魚というのは切り身しか知らない、という話を聞きました。

頭としっぽがあって、というのではなくて。

切ってあるものしか見たことない。

“食材”だから、“魚”じゃないのですね。

□谷野
ある人が、デパートの屋上に保育園をつくったと言っていましてね。

駅から近いし、ついでに買い物もできるので利便性が良いのです。

その保育園は、園児を教育の一環で、デパートの魚屋さんに連れて行くらしいんです。

「魚を見せている」と言いますけど、これはおかしいじゃないかと。

近くの海とか川に連れて行けばいいし、水族館もあるしね。スーパーの魚屋さんに行って「これが魚だよ」なんて教える保育園っていうのもどうなのかな。

何より、そういう保育園を喜んでいる大人たちに違和感を覚えますね。

子どもたちは、魚はパックの中にいて動かないものと思い込むでしょう。

■加藤
ましてやね、頭だけあったりするとね、怪物だと思うよ(笑)

□谷野
スーパーの魚しか知らない子どもは、本物の魚を見たら、本物の方を偽物と思ったりするかもしれないですね(笑)

□□どちて雑談のアーカイブ□□
本投稿は、構想日本のYouTube企画「脱線!どちて雑談」(5話)の内容を元に、note記事用に加筆修正したものです。ぜひ、YouTubeもご覧ください。

過去のどちて雑談の動画はこちら
https://www.youtube.com/playlist?list=PL1kGdP-fDk396uM9C-x2CaPBM8FeOLZdF

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