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長編小説「きみがくれた」下ー⑭

「貢物」


 包みの中身はサンドイッチだった。
 
 霧島は運転席で‘石の宮’の地図を広げしばらく眺めた後、一度だけこちらを向いてエンジンをかけた。
 
 亮介に言わせれば‘石の宮’という街は“オシャレマダムの生息地”で、“和洋とりどりの超高級お屋敷住宅”と“ガーデニングフェア級の庭園”でできている。
 “裕福なお花好きの奥様方”が多くて“配達の注文も増えている”のは“有難いけど、楓の森からは遠くて正直手が回らない”。
 
 
 
 霧島が運転をしている姿を初めて見た。
 真剣な眼鏡の横顔。
 ハンドルを握る手元をじっと見つめていると、時折こちらに目を向けてくれる。
 
 同じ車なのに亮介の時とは全然違う。
 亮介はハンドルを握る手の位置がおかしいのかもしれない。
 霧島は楽に握っているように見えるけれど、亮介はいつも両手に力が入ったような掴み方をしていた。
 
 走り方はずっと静かで、揺れも少ないから同じ体制で座っていられる。
 止まるときも走るときも、亮介のような荒々しさは全くない。
 
 亮介は運転の最中、ずっとしゃべっている。
 この後の仕事がどうだとか、明日の天気はこうだとか、美空が最近どうしたとか、陽は自分にそっくりだとか‥
 いろんなことをしゃべっているけれど、いつも何を言っていたのかはほとんど覚えていない。
 
 
 眼鏡を掛けた横顔は真っすぐに前を向いている。
 その様子をじっと見ていると、ここに居るのは霧島なのに、なんだか別の人にも見えてくる。
 ハンドルを握る手、真剣な眼差し、無言の口元―――
 車が止まると傍らの地図を覗き、ついでにこちらにも視線を向ける。
 気遣うようなその瞳に、ここに居るのは霧島だと確認する。
 助手席で丸くなったまま、霧島の動きのひとつひとつをじっと見ていた。
 眠らないように気を付けながら、その姿をじっと見ていた。
 
 
 
 1件目の家はコンクリートでできていた。背の高い黒い門扉がそびえ立ち、それ以上先はっこからでは何も見えない。
 霧島は後ろの座席から大きな花束を取り出すと、門の前でボタンを押した。
 扉が開き、中へ入って行く。
 
 黒に近い灰色の石畳を歩いて行く途中、石の柱の間から建物に囲われた広い庭がちらりと見えた。
 中央に背の低い緑と、青や黄色、紫色の背の高い花が規則正しく植えられている。その周りに広がる芝生の緑は青々と茂って見えた。
 
 玄関先に植えられた白いハナミズキは満開に咲いていた。
 
 
 家の中から戻って来た霧島は、両手に白い紙の手提げ袋を提げていた。
 
 こちらを見下ろし、そのまま車へ戻る後へ着いて行く。
 
 
 2件目の届け先は赤茶色のレンガでできていた。
 広々とした庭は黒い柵で囲われ、道路沿いに門扉が3か所あった。
 
 一番小さい扉の前でチャイムを鳴らし、霧島はそこでしばらく待っていた。
 
 遠くに見えるドアが動き、中からマリコと同じような髪の白い女性が出て来た。
 その人はこちらへ近づくにつれて歩みが遅くなり、少し離れた位置で足を止めた。そして門を開けることもなく霧島をまじまじと見上げていた。
 
「アネモネです、ご注文のお花をお届けに上がりました」
 
 霧島はそう声を掛け、大きなリボンで飾られた花カゴを差し出した。
 
「よろしければ玄関までお運びしましょうか」
 
 けれど女性は何も答えない。
 こちらへ手を伸ばす素振りすらしなかった。
 
「――あの‥?すみません、こちら池上様のお宅でよろしいでしょうか」
 
 霧島は丁寧にそう尋ねると、門扉の脇に目をやった。
 
 すると女性はようやく我に返り、慌てた様子で口を開いた。
 
「あ、あらやだ、ごめんなさい!あの、ちょ、ちょっと待って、ねぇ、今お代を‥私ったらごめんなさい、ちょっとぼんやりしてしまって‥」
「いえ、お代はもう頂いていますので、こちらへサインだけお願いします」
「あら?あら、まぁそうだったかしら、あの、ちょっとあなた、待っていてくださる?私、ちょっと‥」
 女性はそう言って体をひるがえし、もと来たレンガ敷きの道を戻って行った。
 
 霧島は両手に花カゴを抱えたまま、またしばらく待つことになった。
 
 
 足元をもつれさせつついそいそと戻って来たその女性は、紺色の布の四角い包みを持っていた。
 
「これ、ねぇ、戴き物なのだけれど、とってもおいしいのよ。真珠邸、ってご存知かしら。真っ白いお饅頭なの、ふわふわでね、中の餡も白いのよ。こちらのお店の名物。甘い物、お好きかしら。」
 女性は乱れた白髪を片手で整えながら、その包みを霧島に差し出した。
 
 結局霧島は花カゴを玄関まで運びに女性の後へ着いて行った。
 
 “戴き物”という言葉には聞き覚えがあった。
 ずっと昔、ばあちゃんの家には“戴き物”がたくさん届いていた。
 
 
 戻って来た霧島は遠く玄関先で手を振る女性にお辞儀をして、車へ乗り込んだ。
 
 
 
 
 アネモネに戻る頃にはもう日が傾きかけていた。
 店先にお客さんの姿はなく、窓から作業台の周りを片付けている亮介が見えた。
 ゴミ箱代わりの大きな段ボール箱に大量の葉や茎の切れ端を豪快に放り込んでは上から片足を突っ込み勢いよく踏みつけている。
 
 店の前に車を停めて入口のドアを開けると、亮介が顔を上げた。
 
「おう!随分遅かったな!やっぱ道分かんなかっ‥」
 
 亮介は霧島の両手に下げた荷物に目をやった。
「なんだソレ、大荷物じゃねぇか。どした?どっか買いもんでもしてきたのか?」
 
 霧島は3件目に行った家でも銀色の紙袋と黒い四角い包みを渡されていた。
 
「ああ、あれか、あいさつでも周んのか。にしても随分と高級そうな菓子折りばっかじゃねぇか。奮発したな!」
 亮介はそう言いながら長いほうきで床を掃き、集めた茎葉をちりとりごと段ボール箱に押し込んだ。
 
 霧島は袋を全て作業台の上に置き、空のペットボトルを二つ隣に添えた。

「ん?」
「お茶とお水、ありがとう」
「ん、あぁ」
「あとこれ、ハンコもらってきた」
「あぁ、ご苦労様、助かったよ」
 
 霧島に片手で抱き上げられ、亮介と目線が合った。
「おい、これどうすんだ」
 亮介は作業台に目をやり、そのまま帰ろうとする霧島を呼び留めた。
 
「もらったやつだから」
「あ?」
「お客さんがくれた」
「は?なんで」
「いつものことじゃないの?」

「――‥じゃぁねぇな」

「―――‥」
 
 “贈答用”の“超高級菓子折り”が5個、“手作りのお惣菜”にお茶にジュース、“契約農家から毎日届く”“他には滅多に出回らない”“無農薬の果物”や“新鮮な有機栽培の野菜”。
 “高級果実の最新改良品種”に“ホテル仕様バスタオルの詰め合わせ”。
 配達先の女性たちが霧島に渡した“つまらないもの”の数々に、亮介は感心の声を上げた。
 
「うわ!なんだよコレ!真珠邸だって、俺でも知ってるぜ。このまんじゅう一個いくらすると思う?すっげぇ高ぇんだぜ!」
 
「おいおまえこれすげぇじゃん!玻璃(はり)って超カッケぇロゴ!!自体からして強そうな店名だなおい!へぇ、バームクーヘンだってさ!絶対ぇうまいだろこれ!」
 
「実際見んの初めてだけど全部超高級品ばっかじゃんか!さすが石の宮マダムだな!こっちは‥翡翠堂!!出たー!!マロングラッセだ!超有名!すげぇ‥やっぱ強ぇなぁ石の宮!」
 
 亮介は作業台に並んだ”つまらないもの”を一つずつまじまじと眺めながら、一人で興奮していた。
 

「―――そっか‥まぁそうなるかぁ‥、―――‥‥‥っかぁ~~~―――!!」
 
 亮介は変な叫び声を上げ、けれどどこかうれしそうにこちらを振り返った。
「ったくおまえってやつぁ‥」
 そう言いかけた時、霧島はやっと落ち着いた亮介の言葉の合間を縫って切り出した。
 
「まだある」
「え?!まだあんの?!」
 
 霧島が残りの荷物を車から出し終えると、亮介は作業台の上にずらりと並んだ“貢物”に唖然とした。

「なんだこれ‥凄まじいな」

 呆れた顔でそう言うと、けれど亮介は両手を腰に当て頷いた。

「あーあー、はいはい、そうでしょう、そうでしょう!」

 車に戻ろうとする霧島を呼び留めるように亮介はわざとらしく声を上げた。
 
「そらぁまぁ、ね、慣れていらっしゃるんでしょうね、こういうこと。も、当たり前の日常茶飯事的なことなんでしょう。はいはい、そうですかそうですか、ええ、そうでしょうとも。コレがフツーなんですよね。こういうのは当然のことだから断るのもヤボっつぅか逆に失礼っつぅか、むしろそーゆーのもめんどくせぇっつうか?素直に戴いてお礼ひとつで済めば?それで終わりって、その方が早いっつぅか、もはやなんも考えずにそーしちまうってスタンスっすか。なるほどなるほど、どうして断らねぇんだとかなんでお客様にこんな大層な品々を貰ってきちまうんだとか、そんなヤボなことは言っても仕方ない、てことですね、はいはい。それでは説教はやめときましょ。説教する方が呆れられちまうってことっスよね。」

 亮介が大げさな身振り手振りで演説していると、霧島は呆れたように溜息をついた。
 
「うるさいな、くれるから受け取っただけだよ。いつもそうなのかと思ったから」
「ぶぁっは!!はっはーーーっ!!は?!バぁカか?アホかおまえは?!!んなわけあるか世間知らずめ!どこの花屋が配達行った先でこんなハイグレードオンパレードな菓子折り山盛り戴いて帰って来んだよ!なんだよ超高級バスタオルって!イミわかんねぇだろ!」
 亮介はそう言っておどけた顔をして見せた。
「知るか。みんながみんな当たり前みたいにくれるから、いつもそうなのかと思うだろ。」
 けれど亮介はわざとらしい顔を崩さない。
 
「だから‥そのカオは何なんだよ、断った方がよかった?」
 変な顔のままの亮介に霧島はそう言い捨てて背を向けた。
「断ったらもっと遅くなってたよ。俺そういうの得意じゃないし‥」
 霧島はふて腐れたようにそう言ってもう車に向かっていた。
 
「大したモンだぜ」
 店のドアから顔を出し、亮介はまた変な顔をして見せた。
「何が」
 亮介は「自分の胸に聞いてみろ」と言った後で、「どうせ聞いても分からねぇんだろうけど」と付け足した。
 
「イミわかんね」
 霧島は車に乗り込み、エンジンをかけた。
 

「大したモンだぜ!」
 
 駐車場に向かって走り出した車に亮介はもう一度そう叫んだ。

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