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長編小説「きみがくれた」中‐㊴

「口癖」


“霧島はいつも何の前触れもなくいなくなる”

「マスターにこの話したことあったっけ?あいつの放浪癖に冴子がブチ切れたっていう」

「ブチ切れ?」

「うん。“冴子中坊相手にマジ切れのち即撃沈”の巻。あれ何年前だったっけなー…あいつが中1だか中2だったか‥」

「なんだか波乱の予感がするね。」

「そうだよ大変だったんだから。その後“俺、トバッチリ喰らいまくりで辟易”の悪夢。」

 亮介はあの時起きた“事件並みの事故”をマスターに話して聞かせた。

「マジで、思春期真っただ中の問題児が大人たちを振り回す振り回す‥って実際俺たちが勝手に振り回されてるだけなんだけどね。しかも俺と冴子だけ。絹子さんは全然、ストームの外にいた。完全に温帯低気圧だった。」

“あの子にはね、あの子なりの理由があるから”

“いろんなことを、考えているのよ”

 ばあちゃんは行き先も告げず何の前触れもなくいなくなった霧島を心配する様子もなく、“お腹が空けば帰って来るから”となだめるように冴子に言った。

「まだ小学校に上がる前のガキの頃からあいつはしょっちゅう姿をくらませてたって。だから絹子さんにしてみればほとんど日常茶飯事だったんだろうな‥」

「その日は俺と冴子がたまたま絹子さんを訪ねた日で、そこに夏目もいてさ。霧島は今日も学校に来なかったって、夏目は絹子さんの家で霧島が帰って来るのを待ってたんだ。それで冴子が家にも学校にもいないって、しかも夏目んとこにも行ってないってことは相当ヤバいってなって。」

「聞けばあいつがいなくなってから3~4日は経ってるって、こりゃさすがにマズいだろうってなってさ。俺と冴子はまだあいつがそんなヤツだとは知らなかったから、‥つまり、ある日突然誰にも何も言わずに勝手にどっかいっちまうようなヤツだってことをね、俺たちはその時初めて知ったんだ。」

「そういう前情報っつうか、免疫がなかったせいもあって、マジで驚いたんだよね。だってまだ中学生だぜ。1日だってヤバイじゃん。けどそれがあいつの“普通”だってんだからそりゃびっくりするよ。」
 
 そう話す亮介に、マスターも「確かにそうだね」と頷いた。
「まだ義務教育中の子供が、それが日常ということになると‥ていうことだよね」

「そうなんだよ。しかもその“日常”が絹子さんにとっても“普通”のことだったっていうのがさ。それに、そこにいた夏目も――あいつ、心配して学校から駆け付けたのかと思ったら全然違ってさ。」

「‥うん、なんか違う気がするね。」

「あいつは何にも心配してなかった。むしろ絹子さんと二人縁側で並んでプリン食ってたから。」
「あはは。この温度差、だね。」
「いやマジで笑い事じゃなかったんだよ。冴子なんかあいつが3~4日帰ってないって知った途端、沸点MAXで怒り心頭だったし。“帰って来たらタダじゃおかない!”って。」
「あ、その口癖!その日に誕生したんだね。」
 マスターはそうおもしろそうに笑った。

「いやだから笑えないんだって。あん時はマジで“タダ”じゃ済まなかったんだから。」

“冴子、霧島にマジ切れ事件”―――

「あれは忘れもしない、季節はちょうど今くらいの…秋も深まる夕暮れだった――‥」
 亮介は深刻そうな顔を作って見せると、コーヒーを一口飲んで姿勢を正した。

 亮介たちが居間で“霧島協議”をしていると、”数日振りの本人”が庭に姿を現した。
 マーヤは“お帰り!”と立ち上がり、けれど冴子はそれを遮るように縁側へ飛び出した。

“一体どこで何をしていたの?!”

“開口一番”頭から霧島に怒鳴った冴子は、霧島を庭に足止めしたまま間髪入れずに叱りつけた。

“何を考えているの?!”
“なぜいつも勝手にいなくなるの?!”

“学校を無断で休むなんて!!”
“絹子さんにどれだけ心配かけてると思ってるのよ!!”

 冴子の怒りは“沸点を超えてさらにヒートアップしていった”。

“こんなことしていいと思てるの?!”
“何も言わずにいなくなるなんてどういうつもり?!”

 霧島は目の前で“怒り爆発”の冴子に対して、反論も言い訳もしなかった。
 ただその激しい感情から目を逸らし、けれどそこから立ち去ることもしなかった。

「冴子はその霧島の態度に余計腹が立ったんだ」

“黙ってないでなんとか言いなさい!!”
“言いたいことがあるなら言いなさいよ!!”

 そして冴子の“憤慨”はさらに“ピークを振りきった”。

“‥勝手にひとりぼっちだと思うのはやめなさい”

“喉の奥で唸るような”冴子の太い、低い声。

「俺、あいつのあんなドスのきいた声初めてだった」

亮介でさえ“震えた”その“怒りが凝縮されたような”一言に、周りの空気が“一気に凍り付いた”。

“自分勝手な子供よあんたは”

 それはさっきまでの怒鳴り散らしていた声色とは全く別の、冷えた憤りを帯びていた。

“私たちが心配しないとでも思ってるの?”
“何の連絡もなく何日も帰らなかったら、私たちがどれだけ心配するか考えたことある?”
“どうせ周りのことなんか何も考えていないんでしょ?”
“自分のことしか考えてないから平気でこんなことができるのよ”

“霧島の目の前に立ちはだかる冴子の背中にはでっかく「正義」の文字が書いてあった”。と亮介は言う。

“一人立ちしたいなら、心配されているという自覚をもちなさい”

“自立したいなら周りを頼ることを覚えなさい”

“今のあんたは周りに迷惑をかけることしかできない、自己中なだけの臆病者よ”

「あの時‥確か冴子は霧島と出会って間もなかったんだ。それこそまだ1、2回顔合わせたくらいの時で。そんなほとんど何も知らない子供相手にあいつ、ガチ説教でさ‥。霧島は冴子の言ってることあんま分かってねぇんじゃねぇかなーって思いながら、俺は冴子の迫力に負けて、なんも口出しできなくてね」

“思春期だからって何してもいいってわけじゃないのよ”

“甘えるのもいい加減にしなさい”

“自分に何かあったら悲しむ人がいるってことをよく考えなさい”

“あんたのその身体はあんただけのものじゃないのよ”

 そして、まだまだ言いたいことがある冴子の“圧”に、そっと蓋をしたのがマーヤだった。

「あの時の夏目は‥さながら菩薩のようだった―‥」

 亮介はそう言って静かに目を閉じた。

“冴子さん”

“正義のマントをひるがえす冴子”の横に、“夏目は全く物怖じすることもなく”立った。

“聞いて、冴子さん”

 そんなマーヤの声が、硬く冷えた空気をほろりとほぐした。

“あのね、僕はこう思ってるんだけどね”

 縛られていた時間がするりとほどけ、霧島は初めて顔を上げた。

「夏目君は何て言ったの?」

“忘れ物みたいなものなんだよ”

「あれ、それってこの前ちょっと言ってた?」

「うん、あいつの放浪癖は忘れ物と同じだってさ」

“だから大丈夫だよ”

“冴子さんも霧島のことが大好きなんだね”

「あの時の冴子‥沸騰した鉄鍋に上からバケツの水ぶっかけられたみたいなカオしてたなぁ」

 亮介はあの瞬間、ただただ“呆気に取られていた”。

「焼け石に水って言うけどさ、あの時はその水の量がハンパなかったっていう。まさに瞬間鎮火。燃える油に巨大な濡れ布団かぶせたみたいな感じ?ああいう時人ってああいう表情(カオ)するんだなぁってなんか妙に冷静な目で眺めてたのを覚えてるよ。」

“振りかぶっていた冴子の怒り”は突然の“断絶”に遭い“行き場を無くした”。

「寝耳に水?ていうかむしろ熱湯?まぁどっちにしても夏目のあの一言で頭ん中バグりまくりだっただろうね」

 けれど、それでも冴子は引き下がらなかった。
“即行形成立をて直して”、“渾身の一撃をくらわした”。

“もし夏目君があんたに何も言わずにいなくなったらどう?!”
“そして、何日も何日も帰って来なかったら、連絡のひとつもなくどこで何をしているか一切分からなくなってしまったらどうする?!”

“どんな気持ちになる?!”

「冴子にしてみればそう言ってやることで少しでも霧島にこっちの身にもなってみろってことだったと思うんだ。相手の立場になって改めて今回のことを考えて欲しいってさ。でも―――それがまさか、あんな展開になるとはね‥」

 それは霧島にしてみれば“こっちの身にもなってみろ”どころの例えではなかった。

「あいつ、なんかすげぇリアルに想像しちまったみてぇでさ。いきなり人が変わったみてぇにがっくりきちゃって」

 それまで冴子の”罵詈雑言”に耐えていた霧島が、”まるで小さい子供みたいにしょんぼりした”。

 霧島が酷くショックを受け、言いようのない不安を覚えていたのが離れた場所から見ていても手に取るように分かった。
 そう亮介は話し、でもその”変容振り”は”なかなか衝撃的だった”。

 冴子もやはりその様子に戸惑い、けれど“謝るに謝れずにいた”。
「たかが例え話でそんなんなっちまうなんて思わないじゃん?そもそもそんなつもりなかったわけだから、冴子も内心“え?”って感じだったんだよ。」

 そんなところへ再びマーヤが“なんてことないようなカオして”こう言った。

“大丈夫だよ”

「縁側から庭に降りて、霧島の隣に行ってさ。あの通りのニコニコで‥」

“僕がどこかに出掛ける時は、何日も前に霧島に言うし”
“もし僕が出掛けるその日に会えなかったとしても、置手紙をしていくから”

“僕は霧島に黙っていなくなったりしないよ”

 ほとんど泣きそうになっていた霧島は、マーヤの“大丈夫だよ”で安心したようだった。

「あれはもう意外過ぎて冴子はもちろん俺だって逆に拍子抜けしたもんな。まさか、まさかだよ。てっきり霧島は反論すると思ってたから。夏目はそんなことしねぇよ!とか、だとしても俺はなんとも思わねぇよ!とかなんとかさ。」

「央人の反応が予想外で冴子ちゃんも戸惑っただろうね。自分の言葉が央人に正しく届いていなかったということだものね。」

「うん。それもそうだし、理解不能って方が強かったみたいだよ。それに加えて、冴子にしてみればあいつらのあの“二人だけの世界感”が無性に腹立たしかったんだ。自分の感情を丸出しにして霧島にぶつけていたのに、あいつはほとんど無反応、むしろ心ここにあらずって態度だったじゃん?なのに夏目の一言でまるで別人みたいに表情が変わって‥夏目が“僕は黙っていなくなったりしないよ”って言った時の、あいつの顔‥」

「冴子が嫉妬するのも分かる気がするよ」
 亮介の言葉にマスターは不思議そうな顔をした。

「嫉妬?」

「俺さ、最近冴子の気持ちが分かるような気がしてて‥ほらマスターが前に言ったでしょ、俺も意外とヤキモチ焼きだって」

「あぁ・・うん」

「それってさ、あいつらの独自の関係性に嫉妬してるっていう面では同じなのかなって。あいつの、その向こう側には常に夏目の存在があるんだよ。あいつが唯一心を許している夏目が‥俺や冴子のヤキモチって、あの二人丸ごとに向けたモンなのかなって。」

「‥なるほど」

「冴子の霧島に対する感情はただならぬものがあるって、俺がそう感じたのはこの時だけじゃないんだけど―‥冴子はさ、あの二人のああいう仲がうらやましい反面、理解できないところもあって、うまく呑み込めない消化不良な感じと、こんなに心配してる自分は蚊帳の外にされたっていう疎外感、その他いろいろ、言ってみれば何もかもがちょっとずついけすかねぇんだろうな。」

 亮介はあの夜冴子に“八つ当たりの無限連射”にあったことをぼやいていた。

「でも冴子ちゃんもあの二人のことをすごくかわいがってるよね」
 マスターはそう苦笑して
「その内側には複雑なものがあるのかな」と静かに言った。

「かわいさ余って憎さ100倍、ってやつかな。あの感じが冴子には分からないし踏み込めないけど、気になって首突っ込まずにはいられない。」

「あはは‥」

「ほら、あいつらマジで愛されてっから、俺たちに」

「うん。しかも溺愛だからね。」

「いやぁ、あの日の夜はほんとに大変だったよ。冴子は怒るし泣くし不満は延々続いてめちゃくちゃしつこいのなんのって。納得いかねぇだの意味が分からねぇだのさ、そんなん俺だって分かんねぇっつの。あいつらの“ああいうカンジ”はあのまま丸っと受け入れるしかねぇんだって。いちいち紐解いて1こ1こひっくり返してこっちの物差しで測り直したって合うメモリなんか一個もねぇんだからさ。それこそやるだけムダだって。答えなんか出ないんだから意味ないよ。」

 けれど冴子の不満はそれだけではなかった。

“央人はまだ子供よ?”

“亮ちゃんが放浪癖だなんて軽い言葉を使うからぼやけちゃったのよ”

“そんな適当に片付けられないわ”


「結局俺が全部悪モン扱い。最後の矛先は全部俺なんだからさ、冴子の”霧島最優先メーター”どうにかなんねぇかな」
 亮介はそう言ってコーヒーを啜った。


”帰って来たらタダじゃおかない”


「思えば冴子ちゃんは最初から央人のことをちゃんと心配してくれていたんだね。会って間もない頃でさえ‥」

 僕とは大違いだな

 とマスターはこぼした。

「男親と女親の違いってのもあるんじゃない?」

 
「それにマスターと冴子じゃ歴史も立場もベツモノ過ぎる」

 それこそ比べたって仕方ないよ。

 そう言う亮介に、マスターは小さく「ありがとう」と言った。


 あの日、店の入り口から突進してきた冴子の顔。
 部屋に入って来るなり霧島を抱きしめた。

 
”帰って来たらタダじゃおかない”


”まるで母親だ”


 
 「‥母親って、すごいね」

  
 「軽い言葉しか浮かばないけど、その一言に尽きる」
  そうマスターは小さく笑った。

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