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最後の晩餐とは、もしかして毎日やってくるのかもしれない。

最後の晩餐に食したいものとか

宝くじ1億円当たったら何を買うとか

考えたことがあるけれど

絶対にコレだぁ〜って言うものは出てこない

欲しいなぁっていうものは、なんとなくポツポツと浮かんでくるけれど

なんで欲しいの?どうして欲しいの?なんて問いかけをされたら答えられないものばかりかもしれない

それで、、、最後に食べたいものかぁー そうだなぁー

好きな食べ物はいろいろあるけれど、、

とうもろこし(出来れば焼きとうもろこしがベスト)と、茹でたての塩気の効いた枝豆やだだちゃ豆(冷えていてはテンションが下がってしまう)。

アメリカのサウスパサディナで19才の時に「タコ・トゥリート」というメキシカンファストフードで食べたビーフブリトー(現在は身近な西友ストアーで調達できる範囲で、当時のブリトーを再現できるように日日チャレンジしている)。

千葉県外房にある「女良食堂」の生姜焼き定食(最後に食べたのは何十年も前だけど。腐れ縁の友人(サーフィン仲間であり19才の時、一緒に「タコ・トゥリート」のビーフブリトーを食べた輩)からの情報では、現在も「女良食堂」は健在との情報をいただいた。なんだか知らないけど感慨深くなった)。。

余談だけれども、「女良食堂」の看板娘こと「女良のりこチャン(ぼくたちが勝手に名付けていた)」は今で言えば「癒し系の聖女」決して派手な顔つきではないけれど、真のあるスッキリとした顔立ちをしていた。

云々、、、

でもって、杏(果実も干しても大好き。大昔の駄菓子屋にあったあんず棒なんて至極の領域である。)が大好き。

ハワイ島で食べた「パパイア・グリーンサラダ」。きっと、、、ハッキリとはわからないから、きっとなんだけれど、、、日系のおじいさんが踊っていた、たしかあれは「カイマナヒラ」!を見て聴いて感動した後の「パパイア・グリーンサラダ」だったので、もしかしたらこの時のシチュエーションが肝心要だったのかもしれない。

ピーナッツ/出来ることならば千葉県八街産が好ましいが、日常の中で食べる目玉焼きのように、身近には買えない価格なのがもどかしい(気がつけばお腹がパンパンに膨らんでしまうくらい我を忘れて食べてしまう)。

パスタ(最近はカレー用ルーのレモンソースにちょっぴり香ばしく焼いたパンチェッタをからめ、最後にブラックペッパーを粉雪のように振りかけるバージョンに凝っている)。

と言った感じです。それで、、なんだかわからなくなって来たけれど思い出します。

そうそう、

昔むかし、そうだな少年が初体験をする年頃になるまでの年数くらい前の頃だったと思うから、30才は余裕で過ぎていた(あんまり覚えていないけど)。

うんギャァー(産道から出た第一声は覚えていないが、そんな感じである)と母からスッポって生まれてから、人生初めての京都旅行に行った時に泊まった宿で頂いた朝食のことを、最近よく思い出していることに気がついた。

ほわほわとした湯気が、天井へ向けてそそり立ち、そして上昇を続ける。

極上の白米が、器にこんもりと盛られる。

飾らない地元、京都の漬け物たちは、ほくほくの白米との出会いに浮かれてしまう。

舌に残らず旨味だけを残し、ぼくの身の中に流れるお味噌汁。

焼き海苔に、ちょびっとだけ醤油を染み込ませる。

器に盛られたほっかほかな白米の上に優しく載せて、

丁寧にお箸で赤子を抱くようにして、白米を焼き海苔で包む。

そのままバランスが崩れないようにしながら、口の中へと届けきる。

最初のひと噛みの手前で、温められた醤油の匂いが鼻を喜ばせる。

至極の時

梅干しに白米という組み合わせは正直なところ、幼き時から今まではちょっと苦手だったのだけど。

この旅で頂いた朝ごはんがきっかけとなり、白米に梅干しという組み合わせを好んで食べるようになった。

人間とは、何なんだろうか。

苦手が得手であり。

得手が苦手であるようだ。

最後の晩餐とは、もしかして毎日やってくるのかもしれない。

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