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『三日坊主のさとり』~2話~

【剛力僧侶のさとり】

太陽がめざめる前。人も動物も寝静まり、寺の中は冷たい空気に覆われていた。

ハッ! ハッ! ハッ! 

早朝の冷たい空気をはねのける。熱のこもった声が、寺の一角から聞こえてくる。そこは道場であった。

ハッ! ハッ! ハッ! 

道場の中心に立ち、武術の型を繰り出している。むき出しの上半身は、もはや筋肉を超えて骨の硬度に近い。鍛え抜かれた肉体から、白い蒸気が生まれる。まるで、肉体自体が呼吸をしているようであった。

ハッ! ハッ! ハッ! 

その鍛え抜かれた肉体の主人が『剛力僧侶』その人である。武の道にさとりを見出し、日々厳しい鍛錬を繰り返していた。

「剛力僧侶!」

そこに一人の訪問者が現れる。剛力僧侶が声に反応し、修練を止める。そして道場に現れた訪問者に目を向ける。

「そなたは……『三日坊主』か?」

「な、何故その呼び名を――⁉」

三日坊主は自分の嫌う呼び名を聞き。つい質問で返してしまった。剛力僧侶は、質問に答えずに厳しい表情を見せて一言。

「修練中なのだが?」

三日坊主は我に返り、その場で膝をついて剛力僧侶に頭を下げた。

「剛力師匠の修行を受けさせてください」

「……」

ハッ! ハッ! ハッ!

三日坊主の言葉に返事せずに、剛力僧侶は修行に戻った。

「どうか!」

三日坊主はかまわず、頭を下げて懇願する。

「私の修業は生半可ではないぞ?」

「承知の上です!」

三日坊主は間髪入れずに答えた。

「よし! 我に続くがよい‼」

「はい!」

剛力僧侶の隣に並び、見よう見真似で武術の型を繰り返した。

ハッ! ハッ! ハッ!

ハァッ! ハァッ! ハァッ!

そこから道場での稽古が昼まで休みなしで続いた――。

「よし、昼食とする!」

剛力僧侶の休みの合図がようやく発せられ。三日坊主はその場に崩れるように倒れこんだ。

「はぁッ~はぁッ~はぁッ~」

三日坊主は呼吸もままならない状態であった。しかし、そこに剛力僧侶の追い打ちがきた。

「休憩はきっかり1時間。昼食後は寺の裏門前にて集合。倒れている暇はないぞ!」

そう言い残すと、剛力僧侶は「ガハハ!」と豪快に笑って道場を後にした。

取り残された三日坊主は力を振り絞って立ち上がり、ゆっくりを動き出した。

「ひとまず……水を……水を……」

よろよろと、よろめきながら水を求めて井戸へと向かった。

かろうじて、水分補給だけすまし。剛力僧侶との待ち合わせ場所である寺の裏門へと向かった。

剛力僧侶はすでに裏門で待っていた。何やら念入りに準備運動をしている姿が遠くから確認できた。

「遅い!」

待ち合わせの時刻より前のはずだが、剛力僧侶は三日坊主に対して喝を飛ばした。剛力僧侶いわく「休息もまた修行だ!」ということらしい。

理不尽な発言と一緒に、午後からの修業のメニューが告げられた。

「剛力僧侶……。今……何とおしゃいましたか?」

衝撃のあまり、聞き返してしまった。

「二度言わせるな! これより、山頂の本殿に参り日が落ちる前に寺に戻る‼」

剛力僧侶が三日坊主の問いを跳ね返すように言い切った。

「山頂の本殿は朝から出立して、日没までに帰れるかわからないような距離ですよ?今からだと……深夜に……」

「走る!」

『ここに剛力僧侶あり!』誰もが納得する解決策を教えてくださった。

繰り返しになるが――『彼が剛力僧侶その人である』。

「行くぞ!」

剛力僧侶が走り出した。

三日坊主も勢いにのまれ、共に走り出した。しかし、剛力僧侶との距離はみるみる離れていった。三日坊主は、まるで鹿の様だと思った。跳ねる様に駆け上がる剛力僧侶の背中はあっという間に視界から消えた。

三日坊主が七合目に入る時に、折り返してきた剛力僧侶とすれ違った。

「遅いぞ! 急げよー!」

返事をする暇もなく。剛力僧侶は転げ落ちるより、速く駆けおりていく。

山頂の本殿にたどり着いた時には、かろうじて日の光があるていどだった。本殿に着いたら、休息をとろうと考えていたがそんな暇はなかった。

夜の帳が降りはじめていた。暗闇の恐怖に負けて、休息は諦めて休まず山をくだった。

判断は間違っていなかった。しかし、日の落ちる速度は想像より速く。そして夜の山の暗闇は深かった。

唯一の救いは、寺までの道が一本道であること。そうでなければ、確実に遭難していた。

いつの間にか早く帰ることより、無事に帰ることが目的に変わっていた。おのずと、歩幅は縮まり慎重に一歩ずつ進んだ。

月が天辺に上がりきる頃に、ようやく寺に到着した。半分意識が飛んだ状態で宿舎にたどり着き。寝床に倒れこみ、完全に意識が飛んだ。

ゴーーン! ゴーーン!

早朝に起床の鐘が鳴り響いた。鐘の音で目は覚ましたが、起き上がることが出来なかった。筋肉の痛みと抜けきれない疲労が体の自由を奪ったのだ。

剛力僧侶に怒られることを覚悟して。ゆっくり朝食を食べて、支度をした。結局、道場に行く時間は昨日より遅くなってしまった。

ハッ! ハッ! ハッ!

道場に近づくと、すでに修行を始めている剛力僧侶の声が聞こえてきた。恐る恐る、道場へと足を踏み入れた。どんな喝が飛んでくるのかーー

「遅い! はじまっているぞ!」

「え?」

拍子抜けして、つい声が漏れた。

ハッ! ハッ! ハッ!

剛力僧侶はかまうことなく修行を続ける。慌てて自分も修行に参加しようとするが、その一歩が出なかった。頭の中で昨日の修行がよぎったのだ。

「また三日坊主か?」

「違います!」

反射的に言い返し、修行へ参加する。「三日坊主」と言われたことに対しての怒りによるやる気は対して持たなかった。昨日の疲れが合わさって、昼の休息まで体力がもたなかった。

「よし、昼食だ!」

剛力僧侶の昼食の合図と共に、その場にへたれこむ。が、午後の裏山修行を思い出し。水分補給に急いだ――。

水分補給を終え。寺の裏門に向かった。当たり前のように、剛力僧侶は昼休憩を終えて待っていた。

「昼休憩はもうよいのか?」

「は……はい」

三日坊主の言葉には、すでに力がなかった。

「ふむ。では、少し早いが山頂の本殿に向かうとしよう。行くぞ!」

剛力僧侶が走り出す。後に続こうとするが、思うように足が進まない。剛力僧侶は、昨日と変わらない速度で裏山を駆け上がっていった。三日坊主の速度は昨日より、格段に落ちていた。

山頂にある本殿に到着したのは日没後であった。途中で剛力僧侶とすれ違ったはずなのだが……。よく覚えていない。

少しだけ休息をとることにした。今更、急いだところであまり意味はなかった。

休息後、改めてこれから下る山道をのぞく。夜の闇に吞み込まれた道は、大きな穴にしか見えなかった。

「まるで……地獄への入り口だ……へへ」

一周回りおかしくなったのか? 何故か笑ってしまった。

「行こう……」

力なく、覚悟を決めて。山頂から寺へと向かった。走ることは、あきらめて一歩ずつ下っていく。

自分がどこまで来たのか? 寺のあかりは見えたのか? 何も考えることができない状態になっていた。疲労と眠気が限界を超えたのだ。

ただただ踏み出す一歩だけに集中していた。一歩、また一歩。少しずつ山を下る。そうすれば、いずれは寺にたどり着く。それだけは紛れもない事実である。

しかし、その一歩すら難しくなり。疲労と眠気で一瞬、意識が飛ぶ――。

「はぁっ⁉」

気づいた時には遅く。バランスを崩して転ぶ。下り坂が影響し、二転三転しても止まらない。とにかく、止まるために手をのばしたーー瞬間!

ゴガッ! と鈍い音とともに、急に体が止まった。三日坊主は体中の痛みに耐えながら周りを確認した。目に入ったのは、寺の裏門であった。いつの間にか、寺までたどり着いていたのだ。そのおかげで、転倒が止まったのだ。

これがまだ道半ばだったとしたら……。生きた心地がしなかった。

「ふっ……へぁ……」

三日坊主はその場にうずくまって涙をこぼした。安堵に不安、恐怖に疲労、そして痛み。受け止めきれない、全ての物が涙に代わり流れ出した。

そこからどうやって宿舎に戻ったかは覚えていないーー。

三日目の朝、三日坊主は起床の鐘が鳴る前に起きていた。
しかし、道場に姿を現したのは昼休憩のすこし前になった。

「遅い!」

剛力僧侶が、さっそく渇を飛ばした。しかし、三日坊主の姿を見て怒りの矛を収めた。

「その腕はどうした?」

見てみると、三日坊主の腕が包帯で覆われていた。

「昨晩……裏山で……」

歯切れの悪い三日坊主の言葉を剛力僧侶は静かに聞いていた。

「転んでしまい……昨晩は問題なかったのですが……。今朝になってから腫れてしまい……」

剛力僧侶は三日坊主が話し終えるまで黙っていた。

「……」

「……」

二人の間に沈黙の時間が生まれた。三日坊主は剛力僧侶と目を合わすことが出来なかった。ただ、こちらを見つめる剛力僧侶の視線は感じられた。

「見学だけでもよいぞ?」

沈黙を破る剛力僧侶の言葉は意外なものだった。

「あっ……」

思考がまとまらず、返事が出来ない。その様子をうかがい、剛力僧侶が嘆息した。

「はぁ~」

その一息が決定打となり、三日坊主は石のように固まってしまった。剛力僧侶は、石地蔵と成り果てた三日坊主の横をすり抜けていった。

そして最後に一言だけ投げかけた。

「完治してからまた参れ!」

三日坊主は、その場に立ち尽くしていた。

腕に巻かれた包帯に涙のしずくが流れ落ちた。

今回もまた三日坊主になってしまった。

悟りの境地はまだまだ遠い――。

【つづく】

読んでいただいてありがとうございます。面白い作品を作ってお返ししていきたいと考えています。それまで応援していただけると嬉しいです。