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5RATS→キュウソネコカミ/前編

■2019.9.29 PIA MUSIC COMPLEX

5RATSについて書こうとすると、ここまで遡る必要があった。引用RTなんて滅多にしないのにな。13:00スタートの2分前までしつこく叫んでいた。

偶然で構わない。とにかく嬉しくて仕方がなかった。これから先、自分がボケたとき、きっとこの日のことを繰り返し語るだろう。そして、この日の最高は最高に留まることなく更新され続け、気づいたら2023年を迎えていた。その大切な曲が『5RATS』であり、私がキュウソネコカミを語る上で、絶対にはずすことのできない曲のひとつでもある。

■2021.8.17 高崎club FLEEZ

"ずっと笑っていられた。ただ一曲だけ、最初の一音目に入る前、ヨコタさんとタクロウさんが向かい合い、息を合わせたあの瞬間だけは…泣いた。"

"今は焦らず、ゆっくりと。またいつでも私たちの目の前に立ってください。準備して待ってます。"

この日、タクロウさんが手を痛めたことに、私は気づくことができなかった。タクロウさんはヨコタさんの隣にいらした。にも関らず、私は一体どこを見ていたんだろう。もちろん、それを気づかせないのもプロの仕業だと思うが、中には気づいた人もいた。これだから色ボケは嫌なんだよ。気づいたからといって何かできたわけでもないけれど、あれからずっと小さな後悔を引きずってた。

■2021.9.16

■2021.9.25 Zepp Nagoya

"いつだって全員で並んでいる"
マスコロ終演後の写真を見た時、真っ先に浮かんだ言葉がこれだった。それだけで心満たされる。これからも、音楽を鳴らし続けてくれ。

■2021.10.6 Zepp Fukuoka

後日発表があったタクロウさんの言葉を拝借するならば、ステージに立ったり引っ込んだりの時期。気安く「おかえりなさい」なんて言うんじゃなかったと、やはりここでも後悔した。自分の気持ちだけが優先され配慮の欠片もなかった。

そうでなくても様々な状況に伴う延期と振替、ヒッサツマエバ-みつどもえ-の会場変更(インテックス→神戸ワールド記念ホール)等々、臨機応変に対応せざるを得ない状況をこなし、よくぞ完遂したと思う。渦中の彼らをはじめ、スタッフの皆さんのご尽力を考えると想像を絶する。

■2021.10.24 新潟LOTS

本格的な4人体制、ベース同期の始まりを感じた日。タクロウさんがステージに現れることはなかった。ヨコタさんの「良かった」「うまくいった」という言葉から、それだけ同期による新曲披露には、細心の準備と集中力を必要とするんだろうと想像した。

対して時は2022.12.22梅田シャングリラ。ここで披露された曲は、ニューアルバムのタイトルにもなる「私飽きぬ私」。この曲を演奏し終えたヨコタさんが慢心の笑顔で言った。「俺この曲、好きー。」

初めて披露するという意味では同じ状況だったはず。でもヨコタさんが発した言葉は、「良かった」でも「うまくいった」でもなく、「好き」だった。ご本人様は無意識だっただろう。でも私にとっては、この日のすべてが、この言葉に凝縮されていた。この5人が揃うことの意味を、身をもって実感した瞬間だった。

■2021.11.28 熊本B.9 V1

ここでいう「あの新曲」も新潟で披露された曲と同じだ。キュウソでは聴いたことのないような攻撃的なベース音から始まる。タイトルは今も不明のままだし同期でしか聴いたことはないが、この曲はタクロウさんでないと成立しない。「小出しにしてた新曲は全部ニューアルバムに入ってる。キュウソに捨て曲はない」ヤマサキセイヤは言った。願ってやまなかった「あの新曲を5人の生音で聴ける」日まで、あと少しかな?なんて、私の予想など当たった試しがない。ましてや記憶違いだったら切腹待ったなしだ。

■ポルノ超特急→LIVE FACTORY

ポル超で聴いた4人体制のROTTENGRAFFTYは、さすがこのフェスの主催者と思わせるには充分だった。一瞬4人であることを忘れてしまうような音の厚みに圧倒された。これについて、当時ヨコタさんが触れていた気がする。そこで初めてマニピュレーターという用語を知った。ロットンには敏腕のマニピュレーターがいらっしゃること、にわかにもあの音圧に驚いたのは勘違いではなかった。タクロウさんの音にこだわり、その音作りの中心を担ったのは、他でもないヨコタさんだったはず。だからこその言及だと思った。

奇しくもそのポル超の翌日、LIVE FACTORYで同期の音が止まった。今まで一度もなかったのに、ここでこの現象が起こるとは。そのトラブルをも演出と思わせるパフォーマンスは、自分にとっても最後となったZepp Tokyoの想い出として残ることになる。サポートメンバーの加入については、この時すでに決まっていたかもしれない。まだそれを知らなかった私にとっては、どこか象徴的な出来事だった。

■2022.1.21

お願いだから無理はしないで。もしここであなたが倒れたら、を考えたくなかった。その徹底したこだわりと真摯さが何よりも愛おしかった。新たな方法を決断してくれたことに安堵してわんわん泣いた。正直な気持ちを教えてくれて本当にありがとう。

■2022.1.22 LIVE HOLIC

初めてタクロウさんではないキュウソの音を聴いた。明らかに音が違う。同じ曲でも演奏者が違うとここまで変わるのか。それは良いとか悪いとかじゃなく、単に違うという事実。これを体感できたことは大きかった。タクロウさんの存在、その音にこだわり続けた理由を理解できた。

またこの頃は、何か書くことに繊細さを必要とする気がした。なんとなく書き出したことで、もしかしたら誰かを傷つけるかもしれない。そう考えたら何も書けなくなった。

■2022.1.23 HOME@新木場コースト

最後の新木場コースト、この日のキュウソは本当に強かった。私の大好きな闘い狂うキュウソに、前日に感じた音の違いとはなんでしたっけ。書き始めると収拾がつかなくので割愛するが、とにかく私にはこの体感が必要だ。ここからしか得られない栄養素がある。

■2022.1.29 Zepp Fukuoka

何回挑戦しても当たらなかったZepp Fukuoka。世の中の状況が不安定になったことで、公演の2日前に入手できたリセールチケット。スマチケだから握りしめて…は嘘になる。確かに私の夢は叶わなかった。でもまた次があるなと自然と思えた。そしてその「次」は割と早い時期に訪れる。

喉から手が出るほど望んだ対バンの仕切り直しに、私は行かなかった。仕事の都合がつかないのが主な原因だったが、それを除いても行かなかったことに後悔はなかった。「また次があるなと自然と思えた」こと、自分には絶対に行かなければならない場所がある気がしたこと。大きな理由はこの2つだった。

この出来事をきっかけとして「私飽きぬ私」が生まれたんだとしたら。どんだけやっても、どうにもならなくても、彼らはしっかり未来に繋げてきた。紆余曲折あったからこそのエネルギーは順風満帆よりもずっと強靭なものに感じる。

意図しない前向きな言葉が常にうっとおしい私には、この曲の不安すらポジティブに感じる。好きな自分を見失わないように。私も「私過ぎず私」でありたい。

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