延世大の野外劇場を吹き抜けるJeJuの風
東アジア諸国の映像コンテンツを視聴していると小さな発見がある。ふと見かけた短い映像には、学園祭のステージでアーティストと観客が一つになる光景が映し出されていた。この一体感はどこからやってきたのかと興味が湧いて、映像の背景を探ってみることにした。
AKARAKA(アカラカ)
その映像は、延世大学校の公式チャンネルにあった。
ヨンセイの5月の学園祭はAKARAKAという愛称で呼ばれ、野外劇場ではアーティストがコンサートを開く。
2017年のAKARAKAのゲストは、歌手のイ・ジウン氏だった。
一陣の風
アンコールに応えて歌われたのは、次の曲であった。
野外劇場に心地良い風がそよそよと吹きわたる。
「なんて心地良い時間、、、」と、アーティストが呟く。
一陣の風が吹き、土煙が舞いあがる。
ハンドフォン(スマホ)をペンライトにして手を振るオーディエンス。
同じ風に吹かれながら、ステージと観客が一体化した瞬間であった。
島へ飛ぶ
アンコールの1曲を歌い終えた歌手は、これから済州島へ急いで戻らなくちゃと言い残して、足早にステージを去る。
このアーティストがいつも済州島からソウルへ通って歌手生活を送っているのではない。だが、この日は本当に済州島から日帰りでやってきた。
このとき、ジウン氏はある番組の企画で、済州島の民宿で従業員として働くという2週間の体験型番組を収録中であった。
民泊番組
それは、ケーブルテレビおよび衛星放送向けに番組を供給するJTBC(中央東洋放送)が制作した「ヒョリの民泊」という番組であった。
いわゆるK-Popと呼ばれる時代が到来する以前、2000年代初頭に活躍したアーティストに、イ・ヒョリ氏という人物がいる。彼女はパートナーと済州島に移住し、5匹の犬と3匹の猫に囲まれて暮らしていた。(注1)
この広い家を架空の民宿に見立てて、一般の応募者から選ばれた人が、客として泊まるという番組である。
民宿の従業員という設定のジウン氏は、珍島犬のクアナと仲良しになる。地上波の番組にはあまり見られないであろうゆったりとした時間が流れる。
KBS/MBC/SBS
JTBCと聞くと、そんなテレビ局があったかと怪訝に思うかもしれない。それまで韓国の地上波テレビ局といえば、韓国放送公社(KBS)、文化放送(MBC)、ソウル放送(SBS)の3局であった。
これにKBS教育を源流とする韓国教育放送公社(EBS)を加えると4局になる。KBS1とKBS2を2つのチャンネルとして数えると、合計で5つの地上波チャンネルが提供されている。
盤石であった5局体制に風穴を開けたのが、2011年に開局した新4局であった。新4局は地上波チャンネルではないが、これに準じた「総合編成チャンネル」として、幅広いコンテンツを提供する。
新4局の一つが、ソウル郊外の一山(イルサン)にスタジオを保有する、JTBCである。(注2)
JTBCの編成
JTBCの番組表を見ると、従来の地上波とは異なる個性を出そうとしながらも、音楽やスポーツなど特定の分野に専門特化するのではなく総合的な番組編成を志向しているように見てとれる。
「ヒョリの民泊」を制作したプロヂューサーは、これまで地上波であまり取り上げられなかったような、農村・漁村・離島・山間などを舞台とした生活体験型の番組を数々制作してきた。
火山湖のほとりで
華やかな地上波に比べて、総合編成チャンネルには落ち着いた雰囲気が漂う。「ヒョリの民泊」のオーナー役であるイ・ヒョリ氏は、かつて地上波の音楽番組を席捲したグループの中心メンバーであった。(注3)
「ヒョリの民泊」の一場面で、ソウルから戻ったI.U.ことジウン氏を連れ立ち、ヒョリ氏は済州島の火山湖へと向かう。
カルデラ湖のほとりで風に吹かれながら、ヨガのインストラクターでもあるヒョリ氏は、風と一つになって舞いを披露する。
自由に舞うヒョリ氏は、かつて地上波で忙しく活躍した時代のことを懐かしく想う。その姿を眺めるジウン氏は、いつか引退したときの自分の姿に思いを馳せる。
カルデラ湖をとりまく山の端に立ち、新旧二人のアーティストの想いが交差する。
野外劇場を吹き抜ける風
さて、話題を学園祭の舞台へと戻そう。YVACの映像コンテンツは、地上波テレビ局が制作した番組ではない。総合編成チャンネルが制作したものでもない。大学が自主制作した映像コンテンツである。
そこには地上波に求められる予定調和もなければ、総合編成チャンネルならではの演出もない。
手作りの舞台に風が吹き抜け、アーティストと観客が一体となる。
ジウン氏が南から連れてきたのは、ゆったりと吹き抜ける島の風だった。
[補論と脚注]
注1 ヒョリ氏がパートナーのサンスン氏との初デートで見た映画は、1970年代から1980年代にかけての音楽文化を描いた『Sunny』であった。
注2 JTBCの郊外スタジオは京畿道の一山(イルサン)にある。地図で見ると、近くにBitmaru(ピンマルとも呼ぶ)という個性的な形をした建物が見つかる。Bitmaruは大小複数のスタジオと編集機器・送信機器などの完全な放送設備を備えているが、放送局ではない。通信と放送の融合の観点から、制作と送信の水平分離を実践するために設置された、放送支援センターである。個人であっても、申請が通れば施設を利用して、放送局と同じ環境でコンテンツを制作することができる。筆者は、韓国政府で通信と放送の融合を担当する方の案内により、お披露目前のBitmaruを見学した。担当者の方は、前職は地上波の事件記者であった。4輪駆動の自家用車を走らせて、ソウル郊外の一山へと向かう。そんな彼女は、Bitmaruのニューススタジオのキャスターブースに座ると、カメラと視線をあわせてスタジオの完成度を確かめていた。続いて案内された大スタジオは、運動会の収録ができる規模であった。さらに、編集機器は利用者の個性にあわせられるよう、世界の主要な放送機器メーカーの製品をそろえていた。カタログによれば特大車を含む複数台の中継車を保有しており、まさしく放送局と同等の環境でコンテンツの制作と送信が可能であった。訪問当時、建物は竣工していたが、設備が過剰ではないかという意見もあって、国内のメディアに対するお披露目は先延ばしとなっていた。
注3 イ・ヒョリ氏が出演した広告作品として、2005年に上海で収録したサムスン社のエニコール携帯を対象とした、国際合同CMがある。収録の様子は映画『工作』でも取り上げられ、イ・ヒョリ氏は本人役として出演した。
補注1
冒頭の映像を作成したのは、YVAC (Yonsei Video Arts Creator) という大学公認の制作集団である。学園祭や対外試合での映像記録や、講義コンテンツを制作する。公式チャンネルを開くと、活動を紹介する映像が再生される。
補注2
ジウン氏がアカラカで歌った楽曲の映像がもう一つ公開されている。
補注3
동양방송 (東洋放送)
東洋放送は1964年に開局した韓国の民間放送会社であった。1980年11月30日にテレビ放送・ラジオ放送を停波した。1980年12月1日付で韓国放送公社のテレビ第2放送・ラジオ第3放送に統合された。
Photos by H.Okada