発達障害児の育児その1

1.うちの子は発達障害である

 それっぽいとかではなくしっかり病院で医師に診断を付けてもらった発達障害ではあるが、診断当時の私の知識があまりなかったため、発達障害と一言にいっても色々とあるタイプのどれに当てはまっているかはイマイチ解っていない。覚えているのは「自閉症スペクトラムです」と言われたことだけだ。

 そもそも、発達障害との診断を受けるにあたって、まず大体の人はどんな病気においてもそうであるように「もしかして、うちの子のこれは発達障害ではないだろうか?」という予想というか想像があると思う。
 ここで、でも大丈夫でしょうと思ってスルーする人が大半だと思う。私もそのタイプだった。うちの子に診断をつけに行ったのは当人が10歳のころであり、そのころ「発達障害の子は小学4年生あたりから不登校になる子が多い」という話をどこかで聞いて、うちの子はたぶんそれだからもし不登校になったら大変だ、一応診断つけてちゃんとハッキリさせておいた方が対応がしやすいだろうという考えで病院に行った。

2.発覚初期

 診断がついたのが10歳と言ったが、前述したように別に10歳になったから急に発達障害っぽくなったという訳ではない。幼児期の話に戻るが、うちの子はとにかく落ち着きがなく自由で衝動的で寝なかったし偏食もひどかった。発語も確かかなり遅れていた。ただ、一人目だという事もあって「どこの子もこんなもんじゃ?」と普通にすごしていたように思う。
 一番最初に引っかかったのは2歳か3歳児検診のころ。簡単なテストみたいなやつで毎回コミュニケーション能力が1才分ずつ遅れがみられた。その頃はそういう発語が遅い子が来るような集まり?に通っていて、年に1回面談みたいなのを受けられ、その時に心理士か保健士の人に「とりあえず診断を付けちゃえばいいのよ。そしたらそういう子って扱って貰えるから楽よ」と言われたのを今でもはっきり覚えている。衝撃だった。

 うちの子は「そういう子」なんだ、と。

 そして私は現実から目を背ける事にした。診断を付けて発達障害っていうレッテルを貼られて生きていくのはまだ偏見も多く、実際に私も偏見があったからこそ嫌がったのだろう。
 今でも思うが、その相手の方は親切心から言ったことなんだろうが言い方が最悪だった。どんな親も自分の子のことはとにかく心配で仕方ない。当たり前の事である。でもだからって病気やそれに類することに面と向かってぶつかるような心構えがある訳ではないのだ。熱があるから風邪かな?と病院に行くときに、大病で一生治らないやつですと言われるほどの覚悟はもっていないのだ。その時の一言がなければたぶん10歳なんて悠長なことを言わずにもっと前に診断をうけに行っていただろう。

 だから私は他人の子がどれだけ発達障害に見えても本人から言われない限り診断をオススメしていない。診断を受けに行くことはすごく心理的にハードルが高いのだ。それを理解して欲しい。
 正直に言えば、世間になじめて大きな問題がない間は特に診断を受ける必要もないと思う。ぶっちゃけて言えば私もたぶん発達障害だ。診断を受けた訳じゃないのでグレーゾーンだが、子供の発達診断を受けるにあたって大量のアンケートみたいなのを書かされるのだが、それにほぼほぼ当てはまるしなんなら子供の為に勉強した発達障害についてみたいな知識も私をそうだと示している。

 発達障害者による発達障碍児の育児である。それはもう大変だった、と思う。何故「思う」なのかは、私がその頃の記憶をほぼほぼ覚えていないからだ。昔から私は過去の記憶があやふやなタイプだったが、これもまた発達の特性の一つである。細かいどうでもいいような記憶は覚えているのに過去の記憶が関連性をつけて覚えられないタイプである。

3.発達児の幼少期の様子(未就学時期)

 そんな私でも覚えている子供の様子を書き出していきたい。「気がついたら本棚を登っている」これは確かまだ歩くのもおぼつかない1才半ぐらいだったと思う。本棚の2cmぐらいの隙間に足をかけてだいたい3~4段・1mぐらい登ったあたりで泣いてるのを発見される事が多かった。
 また、一度だけだが朝出勤した夫を追いかけて一人で家を出ていったことがある。これに私は気づかず、結局は忘れ物をして車で戻ってくる最中の夫によってオムツ丸出しで道路を歩いてるところを保護された、確か2~3歳のころである。夫はこの時の恐怖を今でもたまに思い出して言う事がある。私は現場を見ていないので当時自分がどう対応したか全く覚えていない。
 偏食も相当ひどかった。ご飯と納豆とベビーフード以外を食べさせた記憶がない、忘れているだけかもしれないが。夜もなかなか寝ず、幼稚園に入ってマシになるまでは毎日のように2~3時頃まで付き合っていた。その当時なんとかなったのはひとえに若さのおかげである。ちなみに双方の両親は遠方にいて手助けは無かった。

 幼稚園の入園前には手がかかる子だという事が確定していたので、幼稚園を選ぶ時は病気や何かで大変な子でも受け入れ可の所を探してそこにした。そこの幼稚園の先生のおかげで色々な奇行はだいぶ収まり、そこそこ一般的な子の範疇にはよれていたが、園での発表会の時は常に隣に補助の先生がいたことでだいたいを察して欲しい。
 一般の子も苦労するというトイレトレーニングは何をやっても全くダメでおむつがとれないままの入園となったが、何故か手伝いに来た母により入園後1週間で完璧にトイレに行けるようになった。以後、一度も夜間のおもらしもない。
 幼稚園に通いだしたあたりからまた私の記憶はほとんどなくなり、入学の辺りで次の山場が来ることになったのだが、ちょっと長くなりすぎたので次回に持ち越す事にする。

ここまで長々と文章にお付き合いくださりありがとうございました。
また次回お会いしましょう?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?