見出し画像

梅の収穫で山猿になった

6月9日。ご近所さん家の梅の実を友達3人で収穫した。
剪定してない梅の木は、木枝があちこちに伸びていて、30キロあまりの梅がなっていた。長い棒で梅の実を叩き落とすように揺らすと、梅の実がボトボトと落ちてくる。南高梅という実が大きな品種だ。落ちた実が頭に当たると結構痛い。
梅の実を落とす作業は地味なわりに大変だ。普段机に向かってマンガを描く私にとって、上を向きながら肩を動かす作業は堪える。
1人は落とす役、あとの2人は落ちた実を拾う体制で3人でローテーションを組んだ。

3人が落とすのに疲れてきた頃、1人が梅の木に登り枝を揺すり始めた。
すると途端に梅の実がすごい勢いで落ち始めた。
みんなの嬉しい悲鳴が上がる。
私は梅の木に登る勇気がなかったので、拾う係に徹した。
友達の枝を揺する姿は勇ましくて惚れ惚れした。足を木の幹に引っ掛けて、両手を枝に伸ばす姿をみて「山猿みたい」と思ったけど言わなかった。そんな私は実を拾う子分猿。

それまでの棒で地味に落とす作業に比べて、山猿式には大胆で楽しくやりがいを感じた。終盤にはスピーカーでソーラン節をかけながら、お祭りのように梅を落とし、拾い集めた。

画像1



そんな山猿たちの梅収穫祭りも、突然の通り雨で一時中断することになった。
猿たちは慌てて近くの馬小屋に逃げ込み、雨が止むのを待った。
びしょびしょに濡れた足に、牧草がはりついてむず痒い。
友達が入れてくれたお茶を飲みながら、馬小屋の中で「梅の木を剪定して、来年は量を少なく美味しい梅の実を獲ろう」と話した。
30キロの梅は近所だけで食べ切れる量じゃない。それに獲れたとしても、加工の手間と時間がかかりすぎる。
剪定するのには賛成だった、楽になるならそれはいいことだ。
だけど、山猿のような友達の姿を来年はみれないかも…と思ったら少し切ない気持ちになった。

画像2

収穫した梅は洗って、ヘタを取りふきんで拭く。収穫でヘロヘロになっった体に鞭をうち、寝そうになる程地味な作業を永遠にこなす。青梅は熟すのを待っていてはくれない。
「収穫して加工して保存してって…昔の人は、こうして冬に備えていたんだよねえ」と友達が言った。
私はただの楽しさで収穫しているけど、明日の食料だとしたら必死だよなあと思う。昔の人の苦労を想像した。
巷で言われるスローライフとか、丁寧なくらしとか、そんな言葉は全然似合わない。田舎暮らしには、現代人には気の遠くなるような作業の連続だ。

そして田舎に暮らしてみて実感するのが、私は怠け者の現代人だということ。庭の畑の野菜が、雑草まみれで苦しそうでも平気でごろ寝している。

田舎の人は総じてマメだ。見渡すとどこの畑も手入れされている。
私は食べ物を育てるよりも、自生した食べ物を収穫する方が性に合っている。梅の実も、育てる過程がない分楽だ。
1匹の山猿として、できればこの先も自然の恵みにあやかりたいなと思う。
そして自然の豊かさと厳しさを猿の視点から現代人に届けたい。

読んでいただきありがとうございます。いいなと思ったらサポートしてもらえると、飛び上がって喜びます。 いただいたお金は書籍代として使い、マンガを描く肥やしになります。いつもみなさんありがとうございます!