見出し画像

想いを言葉にして、私が決断したこと

ここ最近、気がつけばずーっと命について考えていた。
毎日自室の窓から、色濃くなっていく山と、背丈が伸びていく草花と、草花に群がる虫と、虫を食べるニワトリと、死んでいく動物をみていたからだ。
私は今、ニワトリの卵を孵化させている途中で、うまくいけば5月18日に生まれる。
ずっと頭の中に「大切だから殺す」という言葉が浮かんでいて消えなかった。その言葉がどこからくるのか、わからなかった。

インタビューワーク

2人ペアになって30分間お互いの過去、現在、未来の話を聞いた。
インタビューワークは過去にも2度ほどやったことがあったので、ワクワクしていた。
質問が進むにつれ、相手の方が思っている気持ちをどんどん話してくれたのが嬉しかった。私は人の本音を聞くのが好きだ。

自分が話す番になった。家族、近所の人の話を聞かれた。顔が強張る。過去の話をするのは好きじゃない。どんなに後悔したって遅いから。
今やりたいこと、興味があることの話になった。
漫画を描くこと、いのちについての話をした。
話しているうちに動物の命を殺して生きている自分と、動物を殺すのはかわいそうだと思っている2人の自分に出会った。
畜産、猟師、酪農、動物に関わる仕事をしている人は、どんな気持ちで日々生きているんだろう。私は漫画家として何ができるだろう。
そんなことを考えた。

グループワーク

5人の前で4分間、自分の思いを話した。
自分が社会に訴えかけるために、漫画家としての使命のために、今育てているニワトリを殺して食べる決断をした。すごく怖かった。
泣きたくないのに涙が出た。泣いていては人に届かないのに。
まだ産まれてもいないニワトリのことを想った。

全体発表

グループワークで話した内容をもとに、30分かけて500文字の作文をつくった。30分間は長いな〜と思っていたけど、書き始めると短かった。
グループワークではぐちゃぐちゃになっていた言葉が、文字に起こすと冷静になれた。書いていくうちに今の気持ちが、過去の自分とつながった。

500文字の作文を50人の前で発表した。発表でも泣いてしまった。ニワトリを殺す決断をしたが、気持ちに整理がついていない。漫画を描く覚悟はできた。

私は序盤で発表が終わったので、その後はぼんやりしながらみんなの発表を聞いていた。みんなも自分の中の気持ちと必死に折り合いをつけているようだった。漫画に昇華して欲しいと思う。

発表が終わったあとズーニーさんが「しばらくは気分が落ち込んだりすることがあるかもしれません。表現者が抱える照り返しみたいなものなので安心してください」と言った。

本当にズーンとしたものが残った。あんまり考えたくなかったし、頭もオーバーヒートしていたので、バラエティ番組を観て寝た。

講座内で作った文章

私は生きるためなら大切なペットも殺して食べます

それは6年前、和歌山県の山奥で、産まれてはじめて鶏を殺したとき、涙が止まらなかったからだ。
一緒にいた夫に「大変だったね、辛かったよね」と言われたけど「違う」と思った。
鶏が死んだことよりも、誰かが殺した肉を食べて生きている無責任な自分が悲しかった。

6年経って、田舎へ移住して漫画家になり、夫は猟師になった。
猟師は人間のために動物を殺すのが仕事だ。
毎日たくさんのどうぶつの死体が家にやってくる。
動物の死体の肉を、近所に住む鶏が食べにくる。

その鶏をみて、6年前の自分を思い出した。
もし今自分が育てた鶏を殺したとき、自分は何を思うんだろうか。あの時のようにまた無責任な自分と対峙するんだろうか。それとも少しは「これでいい」と思えているのだろうか。

山奥で電波も入らない場所に住んでいるけど、私には社会とつながる「漫画」という手段がある。伝えたい。誰かが殺した肉を食べて生きている、動物を殺すのはかわいそうだと思っている無責任な自分に伝えたい。

大切だからこそ、殺したらちゃんと食べてあげるんだ。
生き物の命を奪うのは生きるためには当たり前のことで、かわいそうなんかじゃない

それを伝えるために、今育てている鶏をを殺して食べたいです。


※コルクラボマンガ専科、山田ズーニー先生の表現実習1「想いを言葉にする」の講座振り返りをしました。


Twitterで毎日漫画更新しています↓

インスタでは絵日記載せています↓


ではまた更新します〜。

この記事が参加している募集

振り返りnote

読んでいただきありがとうございます。いいなと思ったらサポートしてもらえると、飛び上がって喜びます。 いただいたお金は書籍代として使い、マンガを描く肥やしになります。いつもみなさんありがとうございます!