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20191005「絵の自由と建築の自由」

東京都現代美術館にて、画家の小林正人と建築家の青木淳によるトークイベント「絵の自由と建築の自由」が行われた。
トークは両氏がひな壇に腰掛けながら、小林氏が自由奔放に、時には壁を使用したり壇上に上がってスライドを指し示しなが捲し立てるのを、青木氏が要所要所で話をひょいとつまむようにコメントを入れるスタイルで進んだ。

小林氏から湧き溢れた言葉の中から、「フレーム」「枠組み」「額縁」というワードが話の主題として見えてきた。

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小林正人 絵画=空 1985-1986 oil,canvas 195✕291cm 東京国立近代美術館
参照:アーティストとギャラリストはともに歩む。小林正人✕佐谷周吾対談
美術手帖より https://bijutsutecho.com/magazine/interview/19953

この作品は小林氏の「空」という作品である。この絵は壁にかけられた時、中に書かれた雲は展示室のホワイトキューブと呼応し、どこまでも広がるイメージを持っている。絵画でありながら極めて空間的な力を持った作品だと思った。
氏は絵を描く際、"そこに入り込む"という感覚がある。と話していた。自分自身が絵の中の住人となり、その世界を目に見えるカタチ・色彩を浮かび上がらせるということだろうか。もう一つ、特徴として木枠にキャンバスを張りながら、それと同時に絵を描いていくという手法を取る。
彼が入り込んだ世界から、こちらの世界へ浮かび上がらせる際、その世界の木枠=枠組みも彼自身が規定していく。それは私たちの住むこの星と常に陸続きの関係になっている。それはちょうど展示室の床に置かれた絵画作品のように。

このような話を聴いていて、私の頭の中には、普段、図面を描くために使用しているCADソフトの「Autocad」の画面が浮かんでいた。 Autocadには
「モデル空間」と「ペーパー空間」という概念がある。
基本は、モデル空間に建物を1/1スケールで描いていく。高さが10メートルの建物であれば、そのモデル空間上では、高さ10メートルの建物が実際に存在しているのである。(他のCADソフトの場合、まずA3やA1のサイズの紙面があり、こちらが指示した寸法は、その紙面に収まる縮尺に縮められた線として描かれていく。)
そして、そのモデル空間に建てられた建物を、工事ができる設計図書とするために存在しているのが「ペーパー空間」である。モデル空間上の建物を、例えばドア部分の納まりがどうなっているか分かるようにその部分だけ切り取れば「建具詳細図」となり、壁に収めた消化器ボックスの取合いも「雑詳細図」というかたちで、ペーパー空間によって額縁のように切り取って設計図とすることができる。

小林氏はまさにその世界を1/1スケールで描いているのではないだろうか。彼自身がモデル空間へと入り込み、自身で筆を持ち、時には手に直接絵の具を塗り、溢れ出るイメージを原寸で造り上げていく。
それと同時に常に"この星"との関係を探りながらフレーム(木枠)=ペーパー空間をつくり、このフレームが空間、ひいてはこの星との接続詞になり、空間に呼応する役割を持つ。

ここでまとめると
総合的な計画ーモデル空間ー小林正人氏の持つ世界
図面枠を用いた現実的な枠組みーペーパー空間ーこの星との接続のフレーム
周辺環境との共存ー建築物ーこの星と陸続きになった小林正人氏の世界

といった図式が過程できるのはないだろうか。
ここで冒頭の「空」の絵の面白さが見えてきた。上の図式で考えると、
「モデル空間」=氏が持つ空のイメージ
「建築物」=絵を離れて空間に広がる空
といった成立が見られる。しかし、ここでペーパー空間に違和感を感じる。
この空の絵は、どうも空をぐーっとズームアップしたような、空と近いようなスケールの違和感がある。まるで1/400スケールで描かれた配置図を1/10スケールで眺めているような、そんな違和感だ。絵を見ると、この星との接続のフレームがスケールアウトし、眼前にいきなり広大な空を見せつけられるような感覚を覚えた。この絵が実空間にかけられた時、きっと私たちは地面から空へと体が打ち上げられるような一種の自由を獲得することができそうだ。

建築というのがどこまでも地に足をつけたものであるのに対し、絵の自由はこういったものかと実感した。終始腰をかけた青木淳氏と、あちらこちらに動き回る小林正人氏の姿と重なり合った気がする。


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