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【美#2】美しいとは

 漠然と、「女に生まれたからには美しくなりたい!」と思うときがある。しかしその方法はよくわからない、自分がどんな女性をロールモデルとしているのかもわからない。
 世の中にはさまざまな系統の美人さんがいて、それぞれの努力とメソッドは多種多様だ。
 その中で、自分に合った美しさを色んなジャンルから見つけていこう、と試行錯誤するのがこのシリーズである。

「美しさ」の探求に先立って


 「美しさ」を探求ということで、何から手をつけようか。

※このシリーズでは包括的に「美≒美しい≒美しさ≒美人」として進める

 まずは本から答えを探す癖がある。 
 Amazonで「美しい」を検索をすると、たくさんのハウツー本がピックアップされる。Kindle limitedにも入っているので、気になる題名から読んでいく。
 『上品な人はなぜ幸せなのか』、『色気の理由』、『美人マインド』、『「美人」は、生まれつきではなく、テクニック』、『美人のことば練習帖』、『感性のある人が習慣にしていること』などなど…
 どれも頷ける内容で、見た目やマインド、教養について書かれていた。

 Googleで「美しい」を検索すれば、「日本の美しい絶景スポット」「美しい海」「まちづくり」などがヒット。

 しかし、これだけでは何かが足りない。

 ふと立ち寄ったLUSH SPAで感じた哲学、展示会の美しさ、香水のストーリー、ハウツー本や検索エンジンにはない美しさも世の中にたくさんあるはずだ。

 どう紹介しよう、どう説明しよう。

 そもそも自分の考える「美」の認識範囲は十分なのか?
 「美しい」の意味って?

「美しい」について調べてみよう。

 定義を調べるときは、いつも辞書から。

姿・形・色・音などが、整っていて鮮やかで快く感じられるようなさま。

美しい/麗しい/きれい の解説 - 小学館 類語例解辞典

「整っていて鮮やかで快い。」

色・形・音などの調和がとれていて快く感じられるさま。人の心や態度の好ましく理想的であるさまにもいう。
㋐きれいだ。あでやかだ。うるわしい。「若く―・い女性」「琴の音が―・く響く」
㋑きちんとして感じがよい。「―・い町並み」「―・い文章」
㋒清らかでまじりけがない。好ましい。「―・い友情」

2 妻子など、肉親をいとしく思うさま。また、小さなものを可憐に思うさま。かわいい。いとしい。愛すべきである。
「妻子 (めこ) 見ればめぐし―・し」〈万・八〇〇〉
「なにもなにも、小さきものはみな―・し」〈枕・一五一〉

りっぱである。見事だ。
「かの木の道の匠 (たくみ) の造れる、―・しきうつは物も」〈徒然・二二〉

4 (連用形を副詞的に用いる)きれいさっぱりとしている。
「―・シウ果テタ」〈日葡〉
「―・しくお暇 (いとま) 取り、二度 (ふたたび) 在所へ来るやうに」〈浄・歌念仏〉

デジタル大辞泉(小学館)

「調和」を指している。「快い」こともどうやら「美」のキーワードのようだ。


次に、世界スタンダードのウィキペディアの「美」をみてみよう。

 やはり、均等の取れた状態、快感を与える対象を「美」として考えることが多い様子である。

 確かに「美しい人の顔は均等が取れている」とよくいうのではないか。
 また、「美」の具体例で数学者の意見が書かれていることも印象的である。

数学者は方程式のある種の解法を美しいと述べることがある

美-Wikipedia

 言葉としての「美」は一般的によく言われる黄金比のようなものを指しているようだ。

 しかし、私たちはより主観的な「美」について語ることが多い。
 「好み」という存在だ。
 
自然豊かな森を美しいと考える者や、正確で均等の取れた建造物を美しいと考える者。

 友人たちに、「『美しい』ってなんだと思う?」と質問を投げかけた時、「難しい、一言では絶対表せない言葉」と。

 なんとなく感覚としては持っているが、もしかすると「美しい」とは、言葉の定義より遥かに多くのことを語っているのではないだろうか。


さらに調べていくと

コラム①あなたにとって「美しい」って?世界中の人に聞いてみた

 各国の人々が「美しい」についてどう考えるかのコラムを見つけた。
 国、つまり文化によって異なる「美しさ」について語られている。
 見た目だけでなく、ライフスタイル、価値観など、それぞれ感じる「美しさ」はやはり違うようだ。
 しかし、どれも共感はできなくとも、納得はできる意見。



 次は「美しさ」について哲学的、歴史的に考察している記事を数個ピック。


コラム②第13回 「美しい日本語」「正しい日本語」への疑問(8):そもそも美しさとは何か

第一に、個性や真実が、ある一つの方向性や価値をもつものとして純粋に表現されたものが美しさの一つの要件ではないか、ということである。

第二に、美しさの社会的な基準は時代や文化によって変わりうるものであるということである。人々が持っている美しさの基準によって、その産物として作品や環境・景観が作られるが、出来上がった産物自体がまた人々に働きかけ、新たな美しさの基準を生み出していく。人々と作品・景観の間の相互作用が美しさに影響するということである。

https://dictionary.sanseido-publ.co.jp/column/goi13



コラム③「美しい」について[1]〜美とはなんだろう?

 さて、ものごとが美しいと感じるとき、わたしたちはそこからなにを感じ取っているのでしょう。───それはおそらく、ものごとが持っているなにか「良いこと」であったり、「すぐれていること」であったり、あるいは「善いこと」「生きる力の根源に近いこと」ではないでしょうか。

http://careerscape.lekumo.biz/tetsugaku/2016/07/post-ba58.html



コラム④美しいという言葉の定義は意義深いと同義である

 美しいという言葉の定義について考えるときに陥りやすいのは、絶対的な美という神話への憧れです。
 美しいというものは意義深いものであり、その概念が時代背景の作者の態度、そして観者の価値観に影響されるのであれば、絶対的な美というものは存在し得ないのでしょうか。そうです。絶対的な美はないということです。
 美は歴史と同じように個人の価値観やその時代の人々の価値観を反映しながら、相対的に、一時的に、個人的に定義されていくものです。絶対的な美は存在せず、常に流動的なのです。

https://jmatsuzaki.com/archives/19470



コラム⑤「美しいとは何か」の哲学・心理学ーなぜ美しいと感じるのかを解説ー

 このコラム(本)では、「合理的・理性的美しさ」は「西洋的美しさ」、「非合理的・非理性的美しさ」は「東洋的美しさ」とし、その「東洋的美しさ」に「孤独」と「死」があると。


こんなに「美しい」という言葉一つでたくさんのことが表せるんだ!


 この汎用性溢れる「美しい」という言葉について考える面白さよ。


 さて。

 私も、私の「美」を追求しよう。

 このシリーズを終わる頃には、自分で定義する「美しい」を語れるようになりたい。


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