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ヴァイオリンの君を、遠くから

暑くなってきて、寒い国にいるあの人を遠くに思い出すので、トランスジェンダーの方に、恋に落ちた時の話をさせてください。

それは私が仕事で、北欧に冬から三ヶ月ほど滞在した初めの週だった。

日本人だけでパーティしようと知人に誘われて
私はその日、すこしお洒落なアパートに到着した。

そこへ、その人は少し遅れてやってきた。
中性的で細い目をした、色白の綺麗な男性だった。
その人はビールと白ワインが好きだった。
隣の男性ととても仲良さそうに話していて、素敵だなと思った。

一ヶ月後、その人が生物学的に女性だと知ったとき、
男性と間違えていた自分を恥ずかしく思い、
さらにその後、彼女をHeと呼ぶ外国人がたくさんいて、ああ、やっぱり男性なのかと悟った。

その人は、オーケストラのヴァイオリン奏者だった。
だから仮の名で、ヴァイオリンの君としておく。

私より2つ年下で、けれどすでにそのオーケストラの中でも
実力を発揮してコンマスになっていたヴァイオリンの君は
私にとっては憧れの存在となった。
知らないオーケストラも好きになった。

話したくて弦は何本なの?なんていうおばかな質問もたくさんした。

そして私はヴァイオリンの君と、なぜか町で偶然よくすれ違った。
小さな町だったというのもあるけど、
なぜだか本当に、よく偶然出会った。
それでどんどん仲良くなって、カフェに連れて行ってもらったり、ショッピングをしたり、
昼からワインをご馳走してもらったりした。
これでもう二度と、こんな楽しい時間は過ごせないだろう。
そう思うと、もっと嬉しい誘いや楽しい出来事が起こった。
笑いのツボが一緒だったので、君の話すことは大抵笑ったし、
私も君をたくさん笑わすことができた。
話はいつも尽きなかった。

そして、とても繊細な心の持ち主だと、あちこちで感じていた。たしかにそんな人でもなければ、海外でも通用するプレイヤーにはなれないのかもしれない。


周りの人は全員、彼が彼女でトランスジェンダーと知っていたけど、私は始め知らなかった。
同じくこの地に住んでいる日本人女性が、
あの人は性同一性障害だからと何度か口に出していた。
それを聞くたびになんだか心がしびれ、
そして彼女の言葉で、ようやく色々と理解し始めた。
ほんの少しだけれど。

また自分は、心か身体が男性であっても恋愛対象になるということを、なんとなくわかり始めていた。
ちなみに完全な女性は難しかった。
そう多くはないんだけど、日本でも好意を持って近寄ってくるレズビアンを本能で感じる時があり、
そうすると身体中の毛が逆立って、細胞が拒絶するのがわかった。

滞在してしばらくしたある日、君のオーケストラコンサートを聴きに行った。
私は知人のオペラ歌手と一緒だった。
終演後、その人をヴァイオリンの君に紹介しようとしたところ、ちょうど君を遠くから見つけたので、
私は歌手に「あの人が私の知り合いです」と教えたらこんな言葉が返ってきた。

「ねえ、どうして燕尾服きてるの?」

心をえぐられた。
コンサートの初日では正装が決まりだ。
それに何着てたっていいじゃない。

「ねぇ、どうして?男の子ってこと?なんで?」

後からわかったけど、私以外にはヴァイオリンの君は誰からの目にも女性に見えていたようだ。一ヶ月気づかなかった私がかなり鈍かったのかもしれない。だからその歌手は違和感を不思議に思ったのだった。
私は胃をぎゅっと冷たいもので掴まれたようにされながらも、「まぁ、いいじゃないですか。その話題、絶対振らないでくださいよ…!」と念押ししたのにも関わらず、
私がこの二人を紹介すると、自由奔放なこの歌手は
「ステキな燕尾服ですね、それってどうして…」と聞いてしまった。私はその場からするっと逃げた。
いたたまれなくなって、その後の話を聞くことができなかったからだ。

その日オーケストラ御用達のバーで飲んでいた私は
隣に座っていたヴァイオリンの君に突然こう聞かれた。

「あの、服装おかしかったですか?」

おかしいわけないじゃない。

けれどその質問はあまりにも突然だったので、

「全然変じゃないよ。」

そう言ったきり、何気ない顔で話題を変えていた。


後日談だけど、日本に帰ってこの話を相談できるレズビアンの後輩に相談したら、

「そうやって自分から話題を振ってきた時は、どうして?って聞いてあげると良いですよ。何か言いたくてその話を始めたんですから」

と、こともなさげに返された。
ああそうか。つい自分のことしか考えずにまた逃げるように話を変えてしまったことを後悔した。

そして、このきっかけをなくしたせいか、私は知らないけど周りは知っている、というややこしい構造が出来上がってしまい、君が思わず「自分」と言わず「俺」と言いそうになった時、私の前でフォローするようなことがあった。それを知っているような知らないような曖昧なフリして、私は笑って黙って聞くことにした。

完全に「俺」と言いきってくれれば、そのままでいいよと伝えられたんだけど…笑

けれど、君がいないところでは誰かが、あの人はトランスなんだよね、と言っていたから、本当は知ってたんだよね。

私が用事を終えて日本へ帰る10日ほど前、
借りたアパートの契約が切れるころだった。
するとヴァイオリンの君のアパートに泊まらせてくれることになった。

こんなに嬉しいことはなかった。

北欧の家は大きい。アパートでも、結構広い。

演奏者はこんなところに住めるのかと、ちょっと度肝を抜かれた。

私はリビングのソファを寝床としてお借りすることにした。

本番がないときは、私と遊んでくれてた。消しゴムを急に持ってきては、ゴムはんこを作り出した。飛行機の後ろ姿が好きだと言っていて、彫ったのもそれだった。
どうぞと私にも消しゴムを差し出してきたけど、私は君を見ている方が良くて断ったら、

そうか、カッターで指を切ったら危ないからねと妙に納得していたので、
ヴァイオリン弾く指の方が大切だよ、と笑って返した。
部屋が暗くなって電気もつけずに周りが見えなくなりそうで、私は携帯で光を灯しながらその作業を見守り続けた。

ろうそくを灯して、そこで夕飯を食べたりした。

一緒に飲もうと思ってとココアを買ってきてくれたり、
退屈しないようにとフランスのDVDを流してくれたりした。
なんだか、とにかく優しかった。
緊張しすぎて、すこしだけ声が裏返ってしまうこともあった。


けれどそこから先はどうもいつも何かに邪魔されているような感覚だった。

その後女友達の家に一泊したあとだったと思うけど、なんだかヴァイオリンの君も帰りが遅くなり、
帰ったら言葉を一言二言交わした後はすぐに寝てしまうことが増えた。

忙しいのか、疲れているように見えた。

日本に帰る前日、飛行機が好きだと言っていたので、
お礼のために飛行機のラベルのついたワインを買っておいた。

ヴァイオリンの君の帰りは遅くて、ようやく帰ってきたとき、ワイン買ったとだけ伝えたけど、
反応は薄かった。

次の朝出発の日、ヴァイオリンの君は起きなかった。
なぜか分からないけど、声をかけても起きず、ほぼ反応がなかった。
そのままさよならも言えずに
日本に帰ってきた。ちょっと泣けた。

なにか嫌なことを言ったかなと一応お礼がてら
謝ってみたりしたけど返事はなかった。

また泣けた。

正直思い当たる節がなくて一年ほどひきづった。
いや、私がそう思っているだけだから、
何か思いっきり嫌なことをしてしまったのかもしれない。

風の噂のように、あそこに在住している友人から、君がその頃オーケストラのメンバーから嫌なことを言われて、人生で一番辛い時期だったと聞かされた。
何もフォローもできなくてごめん。
でも私も何か嫌なことを言ってしまったかなと、やはり後悔している。

私は帰国後、君や他の人たちが北欧で活躍するのに影響され、会社を立ち上げた。

その数年後に、また仕事でその町に行った。
ヴァイオリンの君につい連絡してみた。
短いけれど返事が返ってきた。
運良く、君のソロが何曲かあるオーケストラコンサートがあった。
もちろん聞きに行ったけど、電波の調子が悪くて君のメールだけ来なくて、
あの時のバーでの再会は叶わなかった。

さらに数年後に、今度はアジアでオーケストラのコンサートがあった。他にもこのプロダクションの友人が一緒に来るということで、
チケットを取って、ギリギリのスケジュールの中強行で行った。
成長したヴァイオリンの君は、コンマスということで指揮者と並んで終演後にサイン会をしていた。

人が多く集まる中、その塊からは、男の子?女の子?というミーハーな声もちらほら聞こえた。また心臓が痛くなった。

それでも私は君が見たくてその人だかりからのぞいてみた。

なんだか苦笑してしまった。だって私は一ファンのようだったから。

それからしばらくして君はこっちをみた。
目があった瞬間、慌てるようにそっぽを向かれた。

うん…一ファン以下になったねぇ。。

こんな状況に、ねぇあの時一体何があったの?なんて聞くほど野暮じゃないし、
そんな関係でないことはわきまえているつもりだ。

他のオーケストラの友達にも会えたし、もう帰ろうとホテルに向かおうとしたけど、ここでこのまま帰ったら、一生後悔すると、何かが私に警告してきた。

だから踵を返し、待つことにした。サインの列にはさすがに並ばず、お客さんがはけるのを待って、君の友人がその後話し終わるのを
待って、そんなことをしていたら、
珍しいことにテレビのインタビューに捕まり、
君を待っているがてらノリよく応じていたら、ついでにこれもあれもとリクエストされすぐ終わるはずだったのがどんどん長くなってしまっていた。
終わって振り向いた時には…なんと君はいなくなっていた。

………。

どこまで私の状況を把握していたのか知らないが、すこし後、「話せなくてごめんなさい」と連絡が届いていた。

連絡が来るようになっただけでもよかったので、
負担にならないよう短い言葉を選んで、気にしないでと返した。

離れているとしばらくすると忘れる。けれどどこかでヴァイオリンを聞くと思い出してしまう。
うっかり野暮用で北欧なんて行った日には
つらくて仕方がない。

思わず普段やらない占いのサイトで相性を占ってしまった。
するとこうだった。

全く交わらず、似ているところは一つもない。
結ばれるのには相当の努力が必要。

おお、絶望的。

そもそもお互いの家まで行くのに15時間ほどかかる。飛行機で。
そして生物的には同じ属性である。

けれど、忘れたくない。
だから忘れないまま、諦めようと思う。

それでも一つ願いが叶うなら、
両想いにさせてくださいなんて言わないから、
願わくば、またあの雪が降る朝に
君のアパートで目が覚めたい。
静かな時間の中で、セントラルヒーティングのシューという音が響く。そして、甘酸っぱいレモンのような匂いが部屋に立ち込める。
隣の部屋ではあの人が静かに寝ている。
今日これからどう過ごそう?
それだけで至福な瞬間。
窓いっぱいの粉雪。
お腹が空いて、コペンハーゲンで買ったドライフルーツをかじりながら、
あなたが起きるのを、大きな窓という額縁に彩られた雪を見ながらぼんやりする。
後にも先にも、あの日のひと時が私の人生の中で一番幸せな瞬間だったから。


それ以降、なにか尋ねてきた人には、
必要そうな人にはどうして?と聞くようにしている。
そうすると、意外と二言で終わっていただろう会話に広がりが見え、相手も自分の意見を伝えやすいということを学んだ。

何かしてしまったなら本当に申し訳ない。
嫌なことを言っていたらと想像すると、
いたたまれない気持ちになる。
君が幸せになりますように。


こんな文を読んでくれて、みなさんもありがとう。。

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