モチベーションは空気を読まない

こんばんは。
職場の環境に慣れすぎて、最近どうも熱量に欠けるひがしせとです。

 今の職場にきて早4年が経ち、一端にものが言える古株になってしまいました。もともと人に教えることは嫌いではないですが。教育という言葉には少し戸惑いがあります。今の環境では特にノルマがなく、自分の技術知識がそのまま相手に伝わる空間なので、5しかない知識でも9の技術があれば成立する。その逆で2しか技術でも上手く相手に合わせられれば10として認識してもらえる。誰かに怒られることもない。自分で追い込むこともできるし、手を抜くこともできる。悪く言えば、ぬるま湯につかった状態で毎日仕事をしている状態。

最近はずっとこんな感じにもやもやが止まらない。
完璧を求めてはいけないのはわかっているが、どうやら私は完璧を目指そうとしない人間が苦手みたいです。丁寧に言葉を使い、真摯に向き合い、笑顔でお話をする。人には人の乳酸菌があるように、人には人の事情や環境があるのであって、それに向き合おうともせず何が医療従事者ですか。そのぬりぃ環境で仕事しているからインシデントが起こるのだ。おしゃべりをしながら仕事し、手が空いてもほかの仕事に取り掛からない。それで仕事が出来ているのならいい。実際に誰かが尻ぬぐいをしているのがわからんのか。

そう。
それにすら気づけないから、患者さんの問題点にも気づけないのだ。
初めから患部しかみていないのだ。視野を広くするには時間もかかるし体力もいる。でも、視野が広がるとたくさんの景色が見えるようになり、小さな小鳥のさえずりも聞こえるようになる。私たちは患者の目を見て声を聴いてから患部をみる。そこから症状を治すために目に見えない原因を探し出す。

低い山を軽装備で登ろうとする。
案外、登れるもんだ。
登れたという実績があるから、また次は少し高い山を登ろうとする。
でも、その時に必要な道具は?山の情報は?一人でも登れるのか?
そういったとき、手助けをしてくれる人はいるのだろうか。
結局、何もわからないまま登りに行くと、怪我をしたり準備不足で断念せざるを得なくなったりする声を聴く。だが、山登りを嗜む人たちの周りには山登りが好きな人たちがたくさん集まる。

わからないことがあると、なんでも教えてくれる。
皆、一度は通った道なのだ。
準備をして、情報を得て、山を登る。
そうやって経験を積み、また山に登る。
それは違う山でもいいし、同じ山でもいい。
たとえ同じ山でも、経験や知識が増えるとまた見え方が変わる。
登る季節が変われば、見える景色も変わる。


私たちの仕事はそういうことを無限に繰り返せる仕事なのだ。
また明日、知識と技術を還元しにいく。



理学療法士になってから学生時代の恩師からの言葉を忘れたことは
一度もない。



学問は山登りに似ている

登れば上るほど息切れするが

視野は広がる。



higashiseto.

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