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終わりという始まりへ

発した全ての言葉が、伏線回収のような日々だった。

2022年12月10日。
横浜みなとみらいにある「BUKATSUDO」で企画メシ2022の最終回が開催された。

私は昨年の講座に参加していたのだが、今年の企画生とともにチームを組んでおり、完成お披露目という名目で本編の授業から参加させていただいた。

一年前とは全く違う面持ちで迎えたこの日は、終始目が潤みっぱなしだった。

去年は自分も発表する機会をいただいていたので、緊張しすぎて頭真っ白だったけれど、今年は一人一人の宣言がしっかりと体におちてくる。

特にチームの企画で取材をさせていただいたり、先月の飲み会でお話させていただいた方も多かったため、一人一人の宣言の後ろに人柄が見えて、なんとあたたかな場所なんだろうと。直接宣言を聞けてすごく嬉しかった。

一年ぶりにこの場所に帰ってきて。
久しぶりに目に映った世界はとても眩しかった。

たった一年。
年は一つしか重ねていなけれど、今までのどの一年より激しかった。

たくさん泣いた。
24にもなって、毎日家で泣き続ける日々が続くとは想像していなかった。
人の悪いところしか見れない人間になるとは思っていなかった。口を開けば不平不満、黒い言葉しか出てこなくなっていて、そんな自分がすごく嫌だった。

絶対この会社を良くしたい。

思いが強くなるほど、孤立していった。

退職を決めて、倒れて、出勤して、また倒れてを繰り返した。
タレントから「やめないで」と言われる度に、
辞める判断しかできなかった自分を責め続けた。

どん底の日々を支えてくれたのは、2021年に「企画メシ」で出会った仲間だった。

打っても響かない私に何度も何度も、「そっちじゃない」と手を引っ張り続けてくれた。
そんな優しいメンバーと話していた夜、全ては始まった。

退職を機に、連絡をくださっていたきゃわのさん。
ただ、前向きになれない私はすぐに返事ができなかった。
そうこうしているうちに、勝手に退職日を決められてしまったため、
泣きついたところ、すぐお話を聞いていただけた。(優しすぎる)

40分の時間制限…話し足りない。

Discordに行こう!と、提案いただき、なじみの場所へ移動した。

この何気ないツイートに企画生と阿部さんが集まってくださった。

「もう誰とも働きたくない。組織に属せるとは思えない」
と半泣きの私に、
「なんとかしたいの企画、ひがし自分の企画だしなよ」と。
先輩企画生から「一緒に出そう」に導かれ、参加画面を送り合い、企画を受講することになった。

阿部さんともゆっくりお話することができた。
阿部さんの「企画メシだって共感の組織だよ」という言葉にハッとした。
組織で働きたくないと言っているのに、組織に助けを求めてるじゃん、と。

昨年講座を受講していた時は雲の上の存在だった阿部さん。
そんな阿部さんが、見守ってくださっていたこと、世の中にはとても放てない言葉たちを汲み取って理解していてくれたことにすごく救われた。
もちろんそれは他の企画生も一緒だ。
一人で孤独だったのは自分の前だけだった。隣はずっとあたたかくて、そんなことに気がつけなかった。

いや、本当は気づいていたかもしれない。でも、飛び込めなかった。
もしその優しさに触れたら、出て来れなくなってしまうから。

なんとかしたいの企画で私は、「また組織に属して誰かと一緒に働きたい」と言葉にした。
そして、「いつか感謝したい、私を追い出した人にも。そのくらい幸せになりたい」と。

***追記
どうしてもあの日のメモを書いておきたくて。
これを読んでいたら、本当に伏線回収だったなって思う。

どうにかしたい→「組織に属して働くことが怖くなってしまった自分」
大切な人の夢を叶える人でありたい。
私にとっての大切な人は社長だし、タレントたちだ。
置いていく私はなんて卑怯なんだろう。
また組織で働きたい。夢を見て、夢に向かって走りたい。

でも、私はきっといつか今日の日のことを感謝できると思う。未来の私が笑っていてくれたら、こうやって追い出されたことも笑い話になってると思う。いや笑い話にさせてみせる。

東の過去メモより

***
なんとかしたいの企画を終え、いよいよ次をどうするかを決める頃、コロナに感染した。
(呪われすぎだろと思い、後日お祓いに行った)
一人暮らしの私は、孤独に熱と痛みに耐える日々。
外界との関わりが全くない世界で、これから先こんな場所で生きるなんて…絶対無理だと思った。

就活が失敗に終わり、
来月から無職か…と思っていた時にレポートライターの連絡を受けた。

またしても先輩企画生に崖から突き落としてもらい(もはや風物詩)
もう組織に属して働きたくないという私が、チームに飛び込ぶことになった。

その先で出会った5人の仲間に、本当の意味で「誰かと一緒に何かを作ること」の喜びと楽しさを思い出させてもらった。

この人たちのために動けるなら本望だ。
本気でそう想い、願い、走った2ヶ月強。

今の私は、チームに飛び込むことに何一つ怖いと思っていない。
外に出て、自分の好きな人と好きな人がやりたいことを形にして、自分の名前を呼んでもらえる。

気がついたら大切な人たちとのチームになっていた。動いていた。

ほら、夏に願ったことが叶ったでしょう?

伏線回収のような日々を終えて、改めてメッセンジャーに奇跡のような日々のお礼を打ち込む。

ふと手を止める。
あれ?願った未来が、目の前に広がっている…。
これこそがまさに、自分の道を言葉でつくる…?

誰かとまた一緒に笑い合える日を願い、書いた企画書を、
大切なメンバーと駆け抜けた先で、辛かった日々に感謝してる。

過去がどれだけ酷い日々だったとしても、
今目の前に広がる世界が明るければそれでいい。
「よく許せるね」と言われるけど、銃を打つことしかできないほど追い詰められている人たちも可哀想だから。
人は鏡、優しさをもらった分だけ優しくできる。
だから、もういい。過去のことを恨んでいても何も始まらない。

さてさて、こんな伏線を綺麗に回収した日々だったけれど、
一番驚いているのは、一年前の阿部さんからのメッセンジャーだ。

昨年の宣言を送った際に返ってきた言葉が、
「最後?それ、勝手な決めつけかもよ?」
全然最後じゃなかった笑

きっと、人生は伏線回収の連続なんだと思う。
毎日小さな伏線が生まれて、消えて、たまには繋がって。
そういう小さな奇跡の連続をこれからも続けていった先で、いつかこのnoteが次の伏線になりますように。

終わりじゃない、続く。

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