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9月9日の日記 意外と平気!
・冷房の温度が合わなくなってきた。
・この夏はずっと26℃でやってきて、ニトリの涼しいパジャマを着てた。寒かったら風量を下げたりガウンを羽織ったり。そういう感じで体温調節をしててなお熱中症に見舞われていたのに、今や26℃寝だと体が強張ってゴリゴリに凝ってしまう。
・頑張って落ち着く地点見つけたのに。だから体温調節きらいなんだ。
・この前親戚のお葬式に出席した。詳しくはツイッターにも書いたが、要約すると「母親が空気を読まず出棺のときに傘を手渡してきた」のだ。
・出棺の際、扉が全開にされるのはイメージしていただけると思う。
・その扉の隣に、傘立てが置いてあった。
・目に入った時点で嫌な予想はした。しかし何と言っても最後のお別れだったし、母親を警戒して余計な時間を使うのは嫌だった。だから自分で予め傘を取っておくという予防はせずにいた。「こいつ出棺のときに傘なんか取ったわ」とか親戚たちに思われたくもないし。
・予想は大☆的☆中!
・生まれたときからお世話になっている人のお葬式でべそべそと泣いていた私は、突然傘を渡してくる母親を受け入れることしかできなかった。
・実は、お盆のときも似たようなことがあった。読経が終わった瞬間、お坊さん終わりのりんを鳴らした途端、隣の母親がお辞儀も待たずに数珠を回収してきたのだ。(注:普段使わないので私の数珠は親の棚に仕舞われてある)
・数珠だけなら、「自分の分は自分で管理する」で済む。しかし立ててる傘まで勝手に持ってくるとなると、もう自分では如何ともし難い。
・今日は何も、愚痴を言い連ねるためにこんなことを書いているのではない。
・鬼舞辻無惨の台詞に「私に会ったのは災害と思え」がある。私にとっての母親も似たようなものだなあと思ったのだ。
・ずっと他人が起こしたことを自分事のように思ってた。自分があのときああしていれば、こうしていれば、嗚呼〜嗚呼〜……。
・全部自分のせいだと心の底から思い、反省し、次がないようにシミュレーションをし目の前の失態を次に活かそうと必死だった。
・でも今回はそうは思わなかった。「この人ってなんでこんなときもこうなんだろ」と、ただ不快になっただけだった。母親のデリカシーのなさに巻き込まれただけ。
・「気持ち悪い人」というラベルを貼って、自分の感情部分から追い出した。それで終わり。
・そういう排他性が、毒親育ちには大事なのかなあと思った。
・それっていいことなの?他の人を大切にしてないんじゃないの?と思う人もいるだろう。
・大切にしてないと思う。
・母親の空気読めない砲の被害にこれから遭う人はたくさんいるだろう。友人も、親族も、それこそ夫である私の父も被害に遭ってるだろう。
・それがどうでもいい。どうでもよくなった。その人たちを愛している気持ちと、その人たちが母親の被害に遭おうと興味がないという気持ちが、何の違和感もなく両立しているのである。
・正当性があるかどうかは答えられない。これがもっと加害的な行動をしていれば「家族はしっかり面倒を見ろ」と言われるだろう。
・でも、興味がない。
・自分でも、どうしてこんなに正当性のないことを心に成立させられているのかがさっぱり分からない。こんなに世間に興味がなくていいのか悩む。でも、どうしても関心が持てない。どうでもいい。だって母親が嫌われても私には関係ないから。
・今の私は、もう毒親に悩む人間とは言えなくなった。恨みも怒りもなく、「なんて嫌な人なんだ」と思うだけだからだ。
・私の在り方がいいか悪いかは別にして、こういう生き方もあると書いておくのも他の人の役に立つかもしれないと考えた。共依存だった人にとって健康的な人間関係は冷たく見えるって聞いたことあるし。これもその一例なのかもだから。
・全然動揺していない。めちゃ平気。だから、毒親やモラハラ受けてるかもって人には、私みたいになっても案外生きられるってことを知ってもらえればいいな。
・モラ人(もらんちゅ)を見捨てても、他の人まで見捨てようとか思わない!大丈夫、意外と行ける!頑張れ!
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