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依存症は、人に依存できない病というのを依存症の本で読んでハッとした


水原一平通訳がギャンブル依存症であったことが最近の大ニュース。

ニュースを見た時に、精神科医 松本俊彦先生の「世界一やさしい依存症入門」という本を何ヶ月か前に買って読んでいたので、それを思い出した。

↓松本先生の街録ch  です。面白い

自分は、何のとまで言わないけど、身近な人に依存症がいるし、それが今の自分の価値観や思考の癖などには強く影響していることはほぼ間違いないと思っている。

かくいう自分も、コーヒーに含まれるカフェインに依存した生活を送っているし、筋トレも良く言えば好き、悪く言えば依存していると言えるかもしれない。

松本先生の本では、依存症でも「物質」に依存しているケースと「行為」に依存しているケースが書かれていた。

自分を例に挙げるなら、「物質」はカフェインで、「行為」は筋トレ、みたいなイメージ。

松本先生の本の中で「依存症は、人に依存できない病」といったことが書かれていた。

自分はそれを見た時にハッとさせられたし、おこがましい?けど凄い共感した。

逆にいうと、人に依存できるのなら、依存症(いわゆる悪いとされるモノの)にはならない?

人は、何かしらには依存するようになっているのかな?とも思ったり。

だから、健康を害すのはもちろん良くないけど、モノ、人、行為、何かに対して自分が寄りかかれるものがあるというのは、一つ、心の拠り所があるということ。

仕事依存の人もいる、努力依存の人もいる、健康依存の人もいる、筋トレ依存の人もいる、正義依存の人もいる。

依存先こそ違うものの、依存しているという事自体には変わりはない。

けど、ギャンブル依存、薬物依存などは社会から抹殺されて、仕事依存でバリバリ売上を立てている敏腕ビジネスマンは、社会から賞賛される。

なぜ、このように、いわゆる良い依存をする人と、いわゆる悪い依存をする人が出るんだろうか?

幼少期のバックボーン?学生時代の環境?両親との関係性?自分の考え方や価値観?その依存先に対する体験時の衝撃度?

一つではないとは思う。環境×個体の掛け合わせ。

どの依存先であっても、その人の脳みそにとってはそれがとんでもなく重要であるということはあるかもしれない。

仕事依存の人は、仕事を休むことができない、筋トレ依存の人は、筋トレを休むことができない。タバコを辞めれないのと同じように。

書いているうちに着地点がわからなくなってしまった・・・

何はともあれ、依存症の中でも、「信頼できる人に依存ができる」というのは、様々な依存先の中でも、世の中を生きやすくするためには大切なのかなって。

加藤諦三さんは、人生で最も価値のある能力は「心の底を打ち明ける能力」と仰っていますが、それも言い換えると「心の底を打ち明けられる人がいる」ということと言っても良いのではないかと思う。

自分は、加藤諦三さんに心の底から共感しちゃうことが多い、、





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