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12月のパラドックス

 師走の候、ミヒャエル・エンデの『モモ』を読みました。これまでは積読山(つんどくやま)のいちぶだったのですが、「今だ!!」という天啓(という名の焦燥)により、ようやく腰をあげました。

 一読を終えた正直な感想は、むずかしかった、です。むずかしかった、ということは、これから咀嚼する余地がむちゃある、ということですので、すなわち積読山は、読む前よりも5冊分ほど高く積みあがったわけです。さて、積読山の標高は今いくつでしょう?(24歳・会社員)

 時間をテーマに展開されるものがたりですが、主人公のモモに関しては聴く力が印象的に描かれています。ちまたでもあっちゃこっちゃで「傾聴力」という言葉を耳にしますが、これはスキルとして「獲得する」というより、色んなものを「捨てる」ことでしか得られない、得たいと欲するほど得られない、そんな逆説的な力ではないかと思います。捨ててこそ、傾聴。

 最近のホットテーマは、結局、人の言動のすべては欲望の表れという点で、どんな美辞麗句だって、えいさほいさと紐解いていけば、あれよあれよとあらわになるのは「欲望」ではないかということです。というか、そう信じたほうが、絶望的だからこそ希望があるな〜(気が楽になるな〜)という印象です。特に己のような、自分自身の思うこと・行動することのほとんどが劣っていて、他人の方が優れていると、根っこで感じてしまうタイプの人種は、「けっきょく、よくぼう。」という言葉さえ唱えていりゃ、なんかみんな平等に汚くみえて、にっこり穏やかになれるのです(ダントツで汚い微笑み)

 そんな和やかな気持ちで今、年末の大掃除(というか引っ越しの準備)をしています。そう、この日記だって欲望の表れにすぎないのです。てかなんで引っ越しの準備って、すればするほど部屋が汚くなるんですかね? いっそ全部捨ててやろうか? あ? 捨ててこそ、引っ越し!


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