雑誌「カルチェラタン」の創刊号に掲載された”ダイニングテーブル”というエッセイの中で、チロという名前の猫について書いた。
私が物心つく前からずっと傍にいてくれた最初の猫だ。今回はその短いエッセイからを引用する。
実はこれには後日談がある。
母親にその猫のことを話したら、彼女は「あぁ」と言ってその猫の最期を教えてくれた。チロはメスの猫だった。長く生きた猫だったせいか肉球に癌ができていて、歩くたびに血が点々とつくのを見た母が見かねて動物病院に連れて行った頃には、もう手の施しようがない状態だったようだ。それからあまり長くはなかったらしい。
死んでしまったチロの亡骸は、私が幼稚園から帰ってくる前に祖父の手で庭に埋葬されたとのことだった。幼い私にはショックが大きいからと、家族で話し合ってそうしたのだという。
チロがいなくなって、その亡骸も見ずにただ庭の一角にこんもりと盛られた土に手を合わせくらいはしたのかもしれない。庭の花を摘んだような朧げな記憶もあるような、ないような。
お別れの実感が無くて忘れてしまったのか、それとも哀しみのために記憶を封じてしまったのか、今となっては分からない。時折思い出すのは、やっぱり椅子の背もたれの格子からこちらをみるふてぶてしいようなあの愛しい顔なのだった。