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猫の日と「ダイニングテーブル」の後日談

愛猫家の学者・文化人で構成される猫の日実行委員会がペットフード工業会(現:ペットフード協会)と協力して1987年(昭和62年)に制定。日付は猫の鳴き声「ニャン(2)ニャン(2)ニャン(2)」と読む語呂合わせから。

雑学ネタ帳

 雑誌「カルチェラタン」の創刊号に掲載された”ダイニングテーブル”というエッセイの中で、チロという名前の猫について書いた。
 私が物心つく前からずっと傍にいてくれた最初の猫だ。今回はその短いエッセイからを引用する。

 もう何年も前に使わなくなってしまったダイニングテーブルが欲しくなった。わがままをしたら、父がニスを塗りなおして、届けてくれた。
 幼かったころ、私の家では「チロ」という名前のキジトラの猫を飼っていた。私が物心ついた頃にはもう家にいたので、いつから飼われていたのかは分からない。オスだったのかメスだったのか忘れてしまったが、その猫はいつもこのダイニングテーブルの椅子に座っていた。
 背もたれの前に座りこんで、その格子からふわふわの毛がはみ出ているのを触っていた。少し毛の長い猫だったと記憶している。私が、その毛皮に指を沈めても、尻尾をつかんでみても怒らなかったのだから、大人な猫だったのだろう。
 私がその猫を思い出すとき、いつもそこから始まって、そこで終わる。まるでホームビデオのワンシーンが、繰り返し流れているように。きっと、「チロ」との思い出はそのひとかけらを残してすっかり失ってしまったのだろう。
 ただ、記憶の中のその猫に会いに行くとき、私は亡き祖父の顔や、足の裏が痛くなるような冬の縁側の冷たさ、石油ストーブのにおい、天井裏を走るネズミの足音、屋根から地面まで垂れるつららの鋭さ、鼻水がついただるま柄の半纏…それら多くを思い出すことができる。
 「チロ」は、亡き祖父の座っていた椅子に座っている。
 いつのまにかいなくなってしまったのか、それとも死んでしまったのか、それもはっきりしない。私が何歳の頃の話だったのかも、実ははっきりしないが、「チロ」が私にとっての最初の猫であることはまちがいない。住む部屋が変わっても、このダイニングテーブルが「ここは私の帰るところだ」と教えてくれるのだ。

エッセイ「ダイニングテーブル」不二宮央

 実はこれには後日談がある。
 母親にその猫のことを話したら、彼女は「あぁ」と言ってその猫の最期を教えてくれた。チロはメスの猫だった。長く生きた猫だったせいか肉球に癌ができていて、歩くたびに血が点々とつくのを見た母が見かねて動物病院に連れて行った頃には、もう手の施しようがない状態だったようだ。それからあまり長くはなかったらしい。
 死んでしまったチロの亡骸は、私が幼稚園から帰ってくる前に祖父の手で庭に埋葬されたとのことだった。幼い私にはショックが大きいからと、家族で話し合ってそうしたのだという。
 チロがいなくなって、その亡骸も見ずにただ庭の一角にこんもりと盛られた土に手を合わせくらいはしたのかもしれない。庭の花を摘んだような朧げな記憶もあるような、ないような。
 お別れの実感が無くて忘れてしまったのか、それとも哀しみのために記憶を封じてしまったのか、今となっては分からない。時折思い出すのは、やっぱり椅子の背もたれの格子からこちらをみるふてぶてしいようなあの愛しい顔なのだった。

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