風呂敷の日とお重箱
生家では、事あるごとに風呂敷にお重箱を包んで渡すという習慣があったため、今も私は風呂敷を必ず1枚は持っておくことにしている。季節に応じて花の模様や色味の違うものもあったら良いだろうなぁと思うこともある。
これは親戚付き合いあるあるなのだけれど、お重箱をきちんと洗って戻してくれる家は案外少ないので、母も今は使い捨てのパックで包んでいくようだ。正解だと思う。
私はお重箱を使うのがお正月のおせち(食べたいものだけを詰めた豪華箱のこと)だけなので、螺鈿細工風の桜の柄のものしか持っていない。一度、仙台に住んでいた頃に二日酔いのへろへろで友人と花見をしたときも、手作りのおかずや稲荷寿司は使い捨てパックに詰めた。一昨年のコットンの収穫の際だったか、その時に煮〆をお重に二段詰めて風呂敷に包んで畑に持っていったくらいで、風呂敷も殆ど使う機会がない。
ただ、風呂敷というのは開ける時になんだかワクワクする包み紙のそれに似ていて、多分これは運動会のお昼ご飯に、母や母方の祖母がたくさんのご馳走を風呂敷に包んで持ってきてくれたことが影響しているのかもしれない。幸せな幼少期だ。
先日久しぶりに風呂敷を包む機会があった。
仕事帰りに同居人と横浜で待ち合わせてデパートに行き、二人で家族用のパック寿司を買ったのだけれど、袋には入らないのでビニール風呂敷をもらった。水玉模様のあれである。懐かしくなって思わずにこにことしながら包んだ。
今年は人の少ないところで花見でもしよう。その時は、お重箱にたくさんのご馳走を詰めて、風呂敷に包んで持っていこうと思うのだった。
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