見出し画像

とある女の徒然日記。

今日から、思いのままに、、

最近なんだか周りの環境が変わってきて。自分もそうだし、家族、友達、知り合い含めて。

自分のことで言うと前までは、なんか違う!ってゆう感覚的に嫌なことから逃げたくて、怖いもの知らずで飛び込んで、また違ったかもって考えて。(大胆な割に繊細なわたし)ずっと何を求めているのかも分からないままに。

いま、20代も後半になり、その、なんか違う!ってゆう感覚の正体が何か、少しずつ分かってきた。自分を幸せにしてあげるものが何かを見極められないゆえ、世間のマジョリティを目指そうと頑張っていたのだ。幸せそうに見える人、世間で認められている人をマネすれば自分も幸せになれると思い込んでいた。

大胆さはあったから、色んなことを試すのに抵抗がないし、失敗しても次あるかってゆう楽天的な発想もあったからどんどん次こそは!ってゆう自分への期待値も上がっていってしまって。

あれ?これも違う。これもわたしを満たしてはくれない。変わりたくて、動けば動くほど苦しくなってくる。みんなが幸せと思うことしてるはずなのに。

そこにコロナがやって来た。

ひとり暮らしの私は人に会うことがなくなり、めいいっぱい自分を感じる時間を過ごすこととなった。

初めは、急に独りの時間が長くなって不安を覚えたが、もともと電話が嫌いな私は、必要最低限のLINE以外誰かと交流することもなく、ひたすらひとりの時間を楽しむことに集中した。

YouTubeみて、本読んで、今まで料理なんてしたことないなって思って狭いキッチンながらも頑張ってみたり。そこで気づいてしまった。わたし、ひとりが好きなんだって。

家にいれば嫌いな電車に乗らなくて済むし、わずらわしい人間関係こなさなくて済むし、誰かと会わなければ、知らなくてもいい誰かの幸せの基準をインプットしなくていいのだから。

今まで自分を幸せにしてくれる何かを求めて、あれもこれもと欲張っていた環境が、ノイズあふれる空間になってしまっていたことに気づいた。

それを削ぎ取った中には、しっかり軸は出来上がっていて自分を幸せにする人、モノ、行動は確実にあった。あれもこれもと欲張ってもがいていた頃も無駄ではなかったのだ。

このご時世だが、私の周りでは結婚、出産など人生の節目を迎えている人がいる。

前までは、それをきっと私も望むことが普通の年齢であると考え、それらしく望もうとするところであった。

本当は、純粋にまだひとりが楽しくて、自分のことだけ考えたいくせに。わたしはわたしのタイミングがあるんだと堂々としていよう。

他人から基準を得て幸せになろうとすれば、結果を出すことは早いかもしれない。しかし、自分の基準と刷り合わなければ、消耗していくだけである。時間がかかっても、周りの目があっても、自分の価値観を大事にしてあげたいし、自分のことは自分で幸せにしてあげたいなと。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?