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THE ROAD FOR SHOGO~浜田省吾への道 Vol.5岩熊信彦その2

浜田省吾の魅力を、浜田省吾を取り巻くさまざまな人たちと浜田さんとのエピソードトークから紐解く特別企画。10月のインタビューゲストは、浜田省吾のライブツアーのプロデューサーとして、浜田さんの個人事務所設立当初から浜田省吾を支え続けている岩熊信彦さんです。
2回目の今日は、浜田さんの事務所、ロード&スカイの設立についてお聞きしました。
インタビュー:屋形英貴(広島FM)


ただ、もうホントに夢だけを追って、東京に出たっていう感じなんですよ。

岩熊
僕が浜田省吾と、本当に、本気で、彼と仕事をしたい、 単に、九州地区のプロモーターじゃなくて、彼と一緒に、彼の音楽をサポートしたいと思ったのが、81年、82年あたりなんですね。
81年の「HomeBound」っていうアルバムがあるんですけど、このアルバムを僕は聞いた時に、必ず浜田省吾は日本のトップアーティストになる、ロックアーティストとなると確信したんですよ。で、その次の年に、「愛の世代の前に」ってアルバムが出るんですけども、ここで僕は、もう確信しました。 「彼と、やっぱり、僕は仕事する」と。で、当時、くすミュージックで、まあ、ある程度の地位にいたんですけど、僕は、辞めまして、 82年に辞めて、東京に出てきて。
まあ、81年の頃から、浜田本人とは「一緒に仕事しようよ。今のままだと、あまり良い方向に行かないと思うから、ぜひ独立した方がいいと思うよ」っていうことをずっと言い続け、当時のマネージャーだった高橋と話をして、本人とも話をして、 で、82年に会社辞めるんですけど、当然、すぐ、すんなりいくわけでもなく、で、結局会社設立は83年になったんですけども。
 

岩熊
東京に出てきて、(すぐには)会社設立は出来ず、まあ、結局、僕はアルバイトをして、生活を凌ぐわけですよね。当然、その時には家庭もありましたし、子供もいたので大変でしたけど、ただ、もうホントに夢だけを追って、東京に出たっていう感じなんですよ。まあ、よくこれで83年に会社設立できたなと思うんですけども。
 
(会社を設立した後)浜田本人が、「自分が思うように、ライブも、アルバム作りも、いろんなことができるようになって、本当に良かった」っていうことを、当時言ってくれたんですね。
で、それで、僕は本当に救われたな、これからやっぱり、彼と一緒に行きたいなと思ったのが、83年の4月だったような気がします。ハイ。
 
ーですから、今年でちょうど40年だったわけですね
 
岩熊
ハイ、40年です。よくやり続けてますねっていう感じですけど、まあそれ以上に、 浜田本人が、やっぱりここまで、ちゃんとロックを含めて、音楽を含めて、第一線でやり続けてるってことの素晴らしさは、まあ手前味噌ですけど、手前は同じスタッフですけども、ホントに、それは素晴らしいことだなと、ホント思います。
 
ーそんな話をお伺いして、今日は、1曲何にしましょうか?
 
岩熊
えー、今日は、その、僕の思い出の1曲って言い方は変ですけど、人生を変えた1曲、「愛の世代の前に」を ぜひ聞いていただきたいと思います。


THE ROAD FOR SHOGO~浜田省吾への道は、広島FM「#PUSH」で、毎週水曜日、15時10分頃から放送中。10月に登場するのは、浜田省吾のツアープロデューサー、岩熊信彦さんです。浜田省吾とともに日本のロックコンサートの地平を切り拓いてきた岩熊さんの話をタップリ伺っていますので、お楽しみに。

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