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被害と加害のフェミニズム、のなかで ──栗田隆子氏のツイッターから考える

twitterにて、栗田隆子氏が、9月8日に次のような意見を投稿されました。

ちなみに最近出たDさんの友人からのブログ(Dさんのインタビューも掲載されてる)に比べてこの反五輪の文章の方が格段に"わかりにくい"。でもこの分かり難さこそ、"起きてること"を書く上で何かすごい大事なことを表してる気がして、私は反五輪のブログを読んだ。

※ 公開された一連のツイートは、こちらから辿って読むことができます。https://twitter.com/kuriryuofficial/status/1303284634638102529


多くのフォロワーを抱えた、氏の影響力を無視することはできません、私たちは、このツイートに対し、次のような経験の場から、ひとこと、発言したいと思います。

まず、私たちがnoteを公表した後、一番多い反応は、以下のようなものでした。

「まだ、書かれていない(公表されていない)ことがあるのではないか」

「渋谷の上映会での事件の一方の当事者であるAさんに対して、Dはやはり何らかの加害を行ったのではないか」

「被害者がいるかもしれないから、判断は差し控えたい」


これは、私たちのnoteの感想に限らず、この件を知った日本に住む人々の、最もありふれた反応です。今日までDや私たちが耳にし、目にした反応のほとんどは、これにつきるといっていいでしょう。

「まだ、書かれていない(公表されていない)ことがあるのではないか」「被害者がいるかもしれないから、判断は差し控えたい」──こうした反応のいくつかは、たぶん、面倒なことに巻き込まれたくない、という思いからくるのだと思います。そしてまた、このうちの幾人かは、良識や信念をもって、「被害者がいるかもしれないから、意見を控えたい」というのでしょう。

ただ、私たちからすると──批判したいのではなく、ここではただ、状況を推察したいのですが──前者も、また後者も、同じ無関心の現れにすぎないと、思わざるをえません。

なぜなら、私たちはすでに、判断に足るだけの材料を公表しているからです。

私たちは長い時間をかけて入手できる資料を集め、人に会って話を聞きました。その過程を経て、あらためて、Dのために声を上げてみようという決意も固まりました。そして、自分たちがこのような結論を出すに至った資料を整理して、第三者の証言も含む、一連の記事をnoteにて公開しました。

たしかに、被害者の声の圧殺に抗してきたフェミニズム・ジェンダー論の文脈からすると、「加害のレッテルを剥がす」という行為は、バックラッシュの容認と誤解されかねない部分もあるでしょう。

「被害があった」と主張することのむずかしさを、私たちは経験から知っています。

ただ、いま、Dが直面しているのは、それと同じように困難な状況——社会に根を持たない外国人のいち女性が、運動団体や社会運動にかかわる不特定多数の人々に向けて「私は加害者ではない」と主張することのむずかしさなのです。

必要なのは、フェミニズムやジェンダー論において前人たちが苦闘の末につかみとった成果を、ひとつの閉ざされた体系にとじこめてしまうのではなく、目の前の現実に合わせて更新していくことではないでしょうか。

こうした立場から栗田氏のツイートを再度、みてみましょう。

ちなみに最近出たDさんの友人からのブログ(Dさんのインタビューも掲載されてる)に比べてこの反五輪の文章の方が格段に"わかりにくい"。でもこの分かり難さこそ、"起きてること"を書く上で何かすごい大事なことを表してる気がして、私は反五輪のブログを読んだ。


このかん、長い時間をかけて文章を編んできたわたしたちは、この意見には、うなずくことはできません。憶測の域を出ない、無責任な発言だと感じます。

Dは、いまも、いわれのない中傷に苦しんでいます。従来からあるゴシップ──「本当は語られない事柄があり、被害者がいるのでは」──といった噂を増長しかねないと判断し、やむなく反論しました。

この記事が、栗田氏のつぶやきを読んで「なるほど」と思った人々への、再考の契機になることを願っています。


(注)この件を知った多くの人々が、「語られていないこと」「まだ、語ることができないでいること」の可能性に目をむける一方で、Aさんは語っていないわけではありません。Aさんの証言をもとにした、Dに対する詳細な告発文が、すでに公表されています。この告発文は、2019年に公表されてから今日まで続く、日韓両国にまたがるDへの「加害者叩き」を正当化する根拠にもなっています。

Dの置かれた状況を整理すれば、以下のようになるでしょう。Dは現在、Aさんの主張を支持する、一方的で詳細な告発により、「加害者」と名指されて、不当な制裁を受けています。しかし、この糾弾文書に見られる数々の過ちの指摘や、自身を「加害者」視することへの反論や疑問を呈しようとすると、今度は、「語られていないこと」、「まだ、語ることのできないでいること」をおもんばかる風潮が、Dのあげる声を拒むのです。

この矛盾した状況が、Dをいっそう追い詰めていることは、いうまでもありません。
告発文書について……この文書は、2019年に匿名団体から出されました。オリジナルは韓国語ですが、現在は日本語訳も公開されています。この匿名団体について、わたしたちは、その中立性に疑問を呈しています。また内容には、多くの事実の間違いが含まれています。わたしたちもこのnoteの記事内で、たびたび間違いを指摘しています。詳しくは、以下のリンクをご参照ください。また、この注内では、Dが現在、不当に巻き込まれている「加害/被害」の構図を退ける意図により、「加害」をカッコ書きで表していますことを、ご了解ください。

・出来事の主な経緯
https://note.com/heyheyfriends/n/nd80d6bd08dc2

・平野さんから“2018年、渋谷の上映会で起こったこと”
https://note.com/heyheyfriends/n/n6e59cfcc70d0

・Dへのインタビュー 後篇
https://note.com/heyheyfriends/n/n31eb1e0136cc


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