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Dへのインタビュー 後篇

誰かに「怖い」と言われる/シャットアウトされる経験


─────渋谷の上映会で、Dは「AさんがDを怖がっていて、そのために会場入りができない」という説明を受けます。思いもよらない出来事でした。

【D】Aさんがわたしを「怖い」と言っていることは、イベント当日に「反五輪の会」から初めて聞いたわけですが、とても驚きました。ノーリミットソウルに対する認識の違いや、帝国主義や性差別をどう考えるかといった問題ならば、納得はできないけど、話はわかります、政治的な理由ですよね。それと、今回、「怖い」と言われたことは、わたしにとっては全く違う経験でした。何もしていないのに罪を犯したかのように扱われ、一方的に非難を受けて、Aさんとの関係も「加害者」や「被害者」といった言葉で語られるようになったのですから。

Aさんたちが本当に精神的に追い詰められて冷静な判断ができない、(Dが自分たちを攻撃してくるという)思い込みに囚われている可能性が、まずありますよね。でももしそうでなければ、彼女たちはすごく危ない「政治」をしていると思う。その二つの可能性を、わたしは考えています。何も知らない人はわたしとAさんの間に何かあったんじゃないかと思うかもしれません。でもほとんど付き合いもないし、本当に、心あたりがないんです。

もし思い込みからくるトラウマに苦しんでいるのだったら、きちんとしたケアを受ける必要があります。運動からも、一時的に距離を取る方がいいかもしれません。そうでなければ、運動の中で、そのトラウマの原因である、と名指しされた人がまたトラウマを負ってしまうような経験をするわけですから。「平昌反対連帯」は、反オリンピック国際連帯運動の窓口となるような影響力を持ったグループですから、なおさら問題だと思います。

彼女たちに対して、わたし自身ができることはありません。わたしは、彼女たちにトラウマを負わせるようなことしたことはない、という話を聞いてもらえればそれでいいんです。でも、周りにいる人たち、例えば、「平昌反対連帯」の他のメンバーや、「反五輪の会」の人たちが、彼女たちのために何かできないか考えることは、とても大切な問題だとわたしは思います。

わたしはこの件に関して、一年以上、対話を求めてきました。すごく努力しましたけど、ほとんど話はできず、状況はどんどん悪くなる一方でした。わたしは自信を無くして、今は「何もしなかった方がよかったんじゃないか」とすら思っています。運動の中でお互いの価値観が違う、ということは、ありますよね。ケンカもしますけど、ケンカもコミュニケーションの方法のひとつだと思うんです。でもこれはケンカではない、初めからシャットアウトされていたんだと思うんです。

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「話をすれば大丈夫、きっとわかってもらえる」


───ここで時系列に戻りましょう。反五輪上映会から約二週間後、この件で、「反五輪の会」との話し合いの場を持ったんですよね。Dはこの話し合いに大きな期待を寄せて、資料を作って持参しました。

【D】「反五輪の会」とは、先方の指定した事務所で話し合いの場を持ったんですけど、わたしは「話をすれば大丈夫、わかってもらえるだろう」と思っていました。謝罪を求めに行ったわけではもちろんなくて、話し合いを求めに行ったわけですが、渋谷のイベント当日に起こったことについては、わたしも驚いたけど、「反五輪の会」も驚いただろうし、どうすればいいのかわからないまま、こういう結果になったのだと考えていました。

でもいざ行って話をしようとすると、「韓国でなにがあったのか、という話は一切、聞かない」と言われました。「自分たちは運動の現場で不安だと言っている人を守っただけ」「渋谷のイベントで起こったこと以外は判断できないし、しない」「ノーリミットソウルでの出来事については判断をしない」「あなたの話を聞く理由はない」と。

わたしは反論をして「でも、判断をしたから、山谷のGさんに(Dは韓国で「素人の乱」の味方をし、その結果Aさんを不安に陥れたと)話をしたんじゃないですか?」と聞きました。「それは個人的にGさんに話をしただけで、「反五輪の会」という組織として話をしたのではない」という返答でした。話し合いの雰囲気はとても悪く、相手の表情も厳しいものでした。あらかじめ色々と考えて、「これに沿って話そう」と、文書も用意して行ったんですが、何も話せませんでした。

もう、びっくりしました。理解ができなかった。「裁判所だって、被害者の話を聞いたら、加害者の話も聞きます。(一般社会ですらこうなのに、運動の中でこんなことは)おかしいのではないですか」と言ったら、向こうはすごく怒って、「自分たちはこんなに頑張って運動をやっているのに、なんでこんな話を聞かなきゃいけない」と言って。

「反五輪の会」は、Aさんの話も聞いたことがない、とわたしに説明しました。イベント当日、Aさんが、なぜ不安になり、なぜわたしと同じ現場にいたくない、いられないと主張したのか、理由は聞いていない、どちらの話も聞いていないと。
でも、「平昌反対連帯」の側では、わたし宛のメールに、「上映イベント当日、「反五輪の会」にはノーリミットソウルでのDの行動について説明した、主催団体としてDの参加範囲を制限するのは当然である」と書いてきました。
二つの団体は同じ話をしているはずなのに、話がかみあっていないですよね。

───「渋谷のイベントで起こったこと以外は判断しない、話を聞くつもりもない」という返答を受けて、Dは「反五輪の会」の誤解を解くことを諦めますね。

【D】「誤解を解くことを諦めた」というのは、ちょっと違います。
わたしは、この件で、「反五輪の会」と論争をしたくない、と思っていました。わたしは山谷の運動に関わっていて、山谷と「反五輪の会」とは共闘関係にあります。だから、Aさんから聞いた話をもとに、まちがった噂が広まるのだけ止められればいい、と思っていたんです。
「平昌反対連帯」には抗議文をすでに送っていましたし、どちらかといえばこちらの方が問題だと思っていました。ですから、「反五輪の会」からの「話は聞かない」という回答を聞いて、いろいろ思うところもあったけれど、それ以上は、強く求めることをしなかったんです。

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「反五輪の会の悪口を言いふらしている」
「強姦文化の加担者である」


【D】話し合いの後、「反五輪の会」から、わたしと「平昌反対連帯」、両方あてにメールが来ました。内容は、わたしが「平昌反対連帯」に書面で抗議したことについて、わたしの主張が事実と違う、というものでした。「渋谷のイベント当日の排除は無かった」と。

イベントの場から出て行って欲しいという要請があったことは、皆が認めていることだと思っていたので、言葉を失うほど驚きました。「反五輪の会」のメールは、「平昌反対連帯」を庇い、与するもので、わたしは怒りを覚えました。一方で、排除があった/無かった、という事実を検証するような話に意義を感じられず、「排除は無かった」という「反五輪の会」の主張については、強いて否定をしませんでした。

もちろん、わたし自身の実感は、「反五輪の会」の主張と、かけ離れています。悩みましたけど、でも、ここで訂正を求める論争をしても仕方がないし、先へ進むためにも、お互いの認識が違うということだけを確認して、それでよしとしよう、と思ったんです。

わたしは、「平昌反対連帯」と対話を試みる一方で、「反五輪の会」には、このやりとりに口を挟まないよう要請しました。けれども「反五輪の会」からは「必要があれば介入する」と返答がありました。ショックでしたね。

どうにかして「反五輪の会」とコミュニケーションが取れないかと、日本で周りの人に相談したこともあります。でもそれも、わたしが「反五輪の会」の悪口を言いふらしている、政治をはっている、と「反五輪の会」に誤解をされて終わりました。


「Dは嘘をついている」?


───Dは大学院の関係で日本を離れますが、その後もずっと、一人で二つの団体とメールのやり取りを続けたんですよね。

【D】2019年になってすぐ、わたしはロンドンに帰っていました。わたしは一人で、春まで「反五輪の会」と、「平昌反対連帯」と、両方の団体とメールのやり取りを続けていました。メールが来ても、読みたくないし、心が弱って怖く感じ、開封するのにも一週間ぐらいかかります。メールのやり取りは、基本的に先方の主張をくんで進めます。「排除は無かった」と言ったり、「排除はした、当然の処置だ」と言ったり、同じ話をしていながら主張の異なる二つの団体に対応することになって、ヘトヘトでした。それも、両方の団体が、わたしのそれぞれの返答を参照して、矛盾している、嘘をついている、と言ったりするんですから。


「Dは古い左翼だから……」


───「平昌反対連帯」の主張するDの「加害行為」とは、結局、何を指すのでしょう? そもそもノーリミットソウルにはD以外にも多くの人が参加したと思いますが、先方のいう「加害行為」にあたるのは、このイベントへの参加と、オルタナティブカフェでの一件だけでしょうか? オルタナティブカフェの一件にしても、「加害行為」とは、とても呼べません。

【D】わかりません。わたし、本当に、「何かがあったのではないか?」と思いはじめていたんです。自分の気づかない形で、相手に何かしたんじゃないかと。でも「平昌反対連帯」が送ってきた文書の内容は、デタラメでした。わたしの「加害行為」を告発している箇所については、ひとつも事実がなかったんです。

───この告発文書については事実と異なる証言をしていると、平野さんも指摘していますね。
さて、この時期、「反五輪の会」は韓国語で文書を発表します。その影響について教えてください。

【D】「反五輪の会」から「話を聞かない」と言われたとき、わたしは「自分たちは中立の立場である」という説明を彼・彼女らから受けていました。でも、そのあとで「反五輪の会」の韓国語による文書の発表があり、はっきり攻撃されているんだと感じました。

「反五輪の会」が韓国で発表した文書は、わたしがAさんにまるでストーカーのように付きまとっている、攻撃し続けている、という印象を読み手に与えるものでした。「平昌反対連帯」は「反五輪の会」の発表したこの文書を、わたしが「加害者」である「証拠」として挙げています。この文書は、SNSなどでも拡散されました。そこでは、わたしがAさんたちにつきまとったために、Aさんたちは恐怖を感じた、という筋書きになっているわけです。
ネットでわたしについて、「古い左翼だから、自分の組織を利用してAさんたちを攻撃している」と書かれたこともあります。もちろん、ぜんぜん知らない人たちにです。

───実際、何か政治団体に所属しているのでしょうか?

【D】どこにも所属していません、韓国を長く離れていますし……。

───Dも韓国で「公論化」に踏み切りますね。韓国の運動界隈では、時折この「公論化」という手段が取られると聞きます。情報を開示し、世間に広くことの是非を問うという方法です。これは日本で暮らしていると、馴染みが薄い概念かもしれません。日本の社会運動界隈では特に、善し悪しは別にして、何か衝突が起こっても、うちうちで納めるのをよしとする傾向があるように思います。

【D】Aさんとわたしは、色々とやっていることが被っているんです。研究分野も同じだし。どこかでまた会った時、同じことが起こるのは怖いし、かといって彼女から逃げるのも嫌です。だから、ちゃんと解決したかった。もしわたしが気づかないうちに何か加害行為をしていたのなら教えて欲しい、でもそうじゃないのなら──わたしはAさん個人ではなく、渋谷のイベントに参加していた「平昌反対連帯」という団体に聞いているんです。「あのときは仲間に不安感があり、こういう結果になってしまったけれど、これからは同じことがないようにする」ともし相手が言ってくれたのなら、それで話は終わりです。
何度か、仲介者を立てて話をしようとしたこともあります。でもそれも拒否されて、わたしにはもう公論化という手段しか残されていませんでした。

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「イベントに来ないでほしい」

───Dは春に再び来日します。一方、東京五輪開催を一年後に控え、2019年夏には反五輪ウィーク(注)が開催されます。この連続イベントの中には、Dの所属する研究所主催のシンポジウムも含まれていました。Dは「反五輪の会」から参加自粛の要請を受けますね。

【D】それまで、「反五輪の会」からの連絡は途絶えている状態でした。いくつか質問をしていたのですが、答えがないのならそれでもいいと思っていました。「反五輪の会」主催のイベントでAさんたちが再び来日すると聞いたときは、さすがに腹がたちました。反オリンピック運動については、意義のある、すごい運動だと思っていますけれど、自分たちのやったことについては何も認めていないわけですから。

わたしは再び来日して、山谷の運動にもまた関わっていたんですけど、「反五輪の会」の人たちには運動現場で顔を合わせても、無視されていました。そんなとき、反五輪ウィークを前にして、「反五輪の会」から「イベントに来ないでほしい」とメールが来たんです。イベントのポスターには誰でも参加できる、オープンなイベントである、と書いてあるにもかかわらず。なぜだろう? Aさんがわたしを怖がっているから? でも理由もないのに? 

イベントに行く気が失せてしまった一方で、これではダメだ、と思いました。わたしは、「山谷の人たちがみんな参加するデモと、自分が所属している研究所が主催になっているイベント、この二つには行きます」と連絡をしました。でも、やっぱり返事は「来るな」というものでした。


「わたしたちは中立」


【D】デモに行くと、「反五輪の会」の人たちが「信じられない」という顔でこちらにやってきて、「メール、見たんですよね?」「メール、見たのに来たんですよね?」と言われました。
わたしはこの件については、「二つのイベントのみ参加する」と事前に連絡をしたことで、彼・彼女らにむしろ協力をしたと思っています。シンポジウムについては、事前に主催である自分の所属研究所に行って事情を説明し、参加の了承も得ました。
シンポジウムでの「反五輪の会」の対応も、すごかったですね。完全に要注意人物として扱われたと思います。

───それでも「反五輪の会」は、自分たちは中立の立場である、という主張を続けますね。

【D】色々考え合わせると、これってつまり、わたしは、「反五輪の会」に敵視されているってことだと思うんです。「反五輪の会」の人たちがわたしのことをネガティブに言っている、という話は、聞きたくなくても耳に入ってきます。例えば、「どうして加害者と呼ばれるのか、Dは自分でじっくり考えたらいい」とか。

でもその後、「反五輪の会」と直接、話し合いをする機会があったんですが、「反五輪の会」がわたしに対して敵対的な対応をしていると表現したら、「いつそんなことをしたのか、自分たちは中立である」と反論されて──本当にショックでした。向こうはわたしに会ったとき、すごい顔をしていたんですよ。

「平昌反対連帯」が「イベントの参加制限をした」と言うところを、「反五輪の会」は、排除は無かった、という会の主張に沿って「分離」と呼んでいます。もう、わけがわからなくなってしまいました。「平昌反対連帯」はわたしを「加害者」と読んで最初から敵視していましたから、ある意味でわかりやすかったんですけど。

「なんで? なんで?」


【D】この件で、わたしを信頼して動いてくれた運動団体や個人の人たちがボロボロになっている気がして──自分もボロボロですけど──それが辛いです。関係性を回復するために頑張ったけれど、できなかったわけですから、無力感にも囚われています。どうしてここまで話がすれ違ってしまうのかと。「社会運動ってなんだろう?」という気持ちにもなるんですが、これはわたしの研究にも関わることで、まず論文が書けなくなりました。わたしはいま、社会運動について博士論文を書こうとしているのですが、インタビューを読み返すのが辛くて、仕事ができない状態にあります。無意味だと思ってしまうのです。もう、何が書きたいのかもわからなくなりました。

最近では、日本語や英語で喋る時、自分が話そうとしていること、話していることが相手に伝わっていない、という感覚がつのっていくことがあります。前から、語学力の問題で「自分が話したいと思うことが相手に伝わっていないのではないか」と思うことはあったのですが、これは、その感覚とは全く違います。つまり、どういう話がしたいか? ではなく、内容以前の段階で、そもそも伝わらないのではないかと不安になるのです。強い不安感から、どんどん、どんどん言葉を重ねてしまって、話す内容もおかしくなっていって、自分が何を話したかったのかも自分でわからなくなります。でも、喋るのを止められず、ずっとしゃべり続けてしまう。自分でも「ヤバイな」と思います。誰にも何も伝わらないと不安になって、必死にしゃべり続けてしまうのです。

───それは辛いですね。「反五輪の会」に、自分の言葉が伝わらなかった経験が長かったことと、関係はありますか?

【D】そうですね、文書や口頭で一生懸命、話をしようとしていたのですが、できなくて、それが外国語(日本語)でのやりとりだったので、余計にそうなったのかもしれません。

【通訳】この状態では、「実感」をつかむのが難しいですよね。自分のよく知る言葉で話していたら、話しているうちに「ああこれは伝わっただろう」とか、もし伝わらなかったら「相手がちょっとおかしい」とか、そういう感覚、内的感覚のようなものがあるじゃないですか。それに対して外国語、そんなに長く使っているわけでもない外国語で話していて伝わる時って、相手が(意味や言葉を)拾ってくれるから伝わるわけです、間違っていたとしても。そういう「感覚がなくても伝わっている」って部分で「外国人」って生きているところがありますから、そこで本当に伝わらない──ずっと遮断され続けていたら、本当に混乱するのではないでしょうか。

【D】最初のうち「話ができるかもしれない」と思っていたからかもしれません。「反五輪の会」が自分と敵対関係にあるとわかっていたら、「ああ、これはダメだ」と最初にわかっていたら、こんなに努力しなかったかもしれない。「反五輪の会」の立場がずっとわからなくて、ずっと、「なんで? なんで?」という感じでした。自分がどこで失敗したのか、わからないまま。自分自身を証明しなければならない立場になって、「わたしは性差別主義や帝国主義ではありません」「強姦文化の加担者ではありません」「Aさんに何もしていません」と書き続け、証明のための文書はどんどん長くなっていきました。こんなことを、一年以上、やってきたのです。

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「客観的に見直すことができたら……」


───この先のことも伺いましょう、このインタビューを公開することについては、どう思いますか?

【D】不安感はあります。日本語での公論化に限らず、何をしてもどんどんおかしくなって行く時期が続いたので、また攻撃されるんだろうな、とか。
「平昌反対連帯」については、事実を捻じ曲げて、全くの嘘を発表したわけですから、謝罪をしてもらいたいと思っています。韓国国内をはじめ、色々な場所でこれからも顔をあわせるでしょうし。むこうは「不安になった仲間を優先した」と主張していますけど、「不安になった仲間を優先すること」と、「別の誰かを攻撃すること」とは違いますよね。

───「反五輪の会」についてはどうでしょう、何か求めたいことはありますか?

【D】「反五輪の会」には、謝罪を要求したら、と周りの人は言うけど、わたし自身はあまり謝罪の要求をしたくないと思っています。そもそも、絶対にしないと思うし。もし奇跡的にわたしに謝罪してくれたとしても……いえ、そんなことは決してないでしょう。

「反五輪の会」と話ができなかったのは、彼・彼女らの立場や運動のかたち──わたしの友人は生き方、と言うんですけど、それが決まっているものだった、かたいものだった、ということもあると思います。つまり、自分たちの正しさや正義を疑わなかったからかなと。

わたしは謝罪よりも、この一連の出来事を一つの経験として整理をして……整理といいますか、もうちょっと広い視野で客観的に見直すことができたら、それが一番いいんじゃないかなと思います。そういう感覚はあります。でも今のわたしに、それができる自信はありません。

「反五輪の会」は、Aさんには誰にも言えない辛いことがあったかもしれないから、(Dの上映会からの退出を求めた理由を強いて聞きださず)彼女が説明できるようになる時を待つしかないと言います。だったら、わたしの不安や、傷ついた尊厳はどうすればいいんでしょう。

不安を感じる人をケアするという名目で、不安の原因と名指しされた人を即座に「加害者」あつかいすることは、正しいことでしょうか。その人が訴える不安を尊重しながら、その不安の内容が事実かどうかを確認することはできないのでしょうか。もし不安の原因が「加害者」になければ、「加害者」と呼ばれてしまった人が納得できるまでその旨を説明し、場合によってはその人も運動の仲間として一緒に、その後のことを考えていけばいいと思うんです。

───「反五輪の会」についていうと、反五輪上映会での出来事は、「セーファースペース」という言葉を使って説明がされました。反五輪ウィークイベントの際の、Dへの参加自粛要請についてもそうです。向こうの考え方は基本的に、セーファースペースポリシーに則った上での対応であり、問題はない、というものですね。

「セーファースペース」……男性中心、異性愛中心でマッチョになりがちな社会運動の体質への抵抗として各国で行われてきた取り組み。日本でもここ10年、運動の中の少数者や弱者が声を上げる形で、東京・大阪・京都などの都市を中心に独自の発展を遂げて来た(だからこそ、Dには馴染みの薄い言葉だった)。safeではなく、saferと比較級になっているのは、完成し閉じられた空間ではなく、「より安全な」運動空間づくりを目指す、過程そのものを重視するため。
今回、「被害者」の不安に寄り添い、「被害者」の声に耳を傾けるという理由で、皮肉にも、Dは「加害者」のレッテルを貼られ、運動空間からの退出を求められた。

───この「セーファースペース」について、思うところはありますか?

【D】わたしは、社会運動とは、社会的な弱者が発言したり行動したりすることで構造的な関係性を変えようとする試みのことだと思っています。セーファースペースをどういう風に作るか、ということも、同じだと思います。今回のケースでは、Aさんたちを保護するために、わたしはイベントへの参加自粛を求められました。誰かを分離する空間をつくるほかないのであれば、その後でその問題について点検し、その後のことを話し合うことは、必ず必要です。そうでなければ、ただの排除になってしまいますよね。
運動の中で何か事件が起こった時に、どう弱者を守るのか──「守る」という言葉もわたしはおかしいと思いますけど──どう暴力に対処するのか、ということは大切なことです。でもそうではなくて、はじめから枠組みを決めて「あなたは入れない」という風に決めてしまうことは、排除とすごく似ていると思うんです。何がセーファースペースで、何が排除か、わからなくなってしまうんじゃないかな。今回わたしは、そういうやり方で排除されたのだと思います。わたしは、「反五輪の会」のセーファースペースのつくり方を暴力的だと感じて抗議をしました。(了)

(注)反五輪ウィーク……世界各国の反オリンピックを掲げる団体・個人が東京で主催した国際イベントの総称。正式名称は「反五輪国際イベントウィーク」。2019年7月に、1週間にわたってパネルディスカッション、デモ、ワークショップなどが開催された。

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【写真:撮影者 D】

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