そして今日も生きられた
お寺の掲示板って、意識して見ようとしていないときにふと目に入った時、その時の自分に一番必要だった言葉が書いてあるものです。
家に帰ってなんとなくテレビを付けたら、別に聞きたくもない人の声が聞こえてくる。
SNSを流し見ていると別に知りたくもない情報が勝手に流れ込んでくる。
役に立つかもと思って買った本や勧められた文献は、読まないまま積み上げられ…
何だか人に触れているようでとりあえず寂しくはないような気がしていたけど、全然必要じゃありませんでした。
むしろ寂しさも倍増させて、心が冷え切っていくような。
昨日訪れたお寺の入り口で、「待っていたよ」と語りかけるようにその言葉は私の目に飛び込んできました。
「何か用事がなかったら時間を作ってもらうのが申し訳ない」
「悩みとか困ってることがないならわざわざ話す必要はない」
そんな、効率性とかメリットとかどうでもよくなって、「なんか会いに行きたいなあ」そう思った時が、きっとその人と会う必要性が一番高い時なんですね。
会いにいかなきゃ、連絡しなきゃ、何かしてみせなきゃ…そんな思いを隠して人と接するのって、不自然だし相手も嬉しくないはずです。そして隠していても何故だかちょっと伝わってしまっている気がします。
そのことに何となく気付いてはいたけど、見て見ぬ振りをしてやってきたことが私自身、多くあります。
やっぱり、この違和感は放っておくわけにはいかないんですよね。放っておくと、きっと後で悲しいことになる…
昨日1日を通して人の温かさに触れ、今日も私は考えていました。
考えるための1日を、今日も迎えられて良かった。
ありがとうございます。
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