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後悔せず生きるために、自分と対話する3つのテーマ

こんにちは。
僕は、妻子と関東の田舎で生活していて、仕事はWEBエンジニアをしています。その為こういったタイトルでの投稿ですが、その道の専門家のような科学的根拠のある内容ではありません。単純に自分自身の気づきを残したいと思い投稿します。参考になれば嬉しいです。

はじめに

余命を告げられた主人公の映画・尊敬する祖父の死・身近にいた人の自殺、そういった経験から「死の直前、後悔せず生きているか?」と自分に問うことが多くなりました。
3年前まで、その答えは「このままだと、後悔するんじゃないか?」だったのですが、最近は「あんまり、後悔しないんじゃないか?」と思うようになりました。

なぜ、そう思うようになったかというと「少しでも後悔せず生きる為には、どうすればいいか?」と頭で考え、心に問いかけるようになったからです。 もしかしたら、何を今更と思う人も多いかもしれないけれど。僕には、それは難しいことでした。

どう難しいのか?

どう難しいのか?と言うことを、かの有名なアップル創業者のスティーブ・ジョブズ氏の習慣を紹介し伝えたいと思います。ジョブス氏は、習慣の1つに「毎朝、鏡の自分に『もし今日が最後の日だとしても、いまからやろうとしていたことをするだろうか?』と問い、もし「違う」が続くようなら少し生き方を見直す」というものがあったそうです。

僕にとってジョブス氏のこの習慣は、とても難しいものでした。「自分との対話で、心からの回答をすること」がとても難しかったからです。特に「もし今日が最後の日だったら?」なんて、目を背けたくなるような問いは、なかなか答えが出てきません。主にその弊害になっていたのは「自分の率直な気持ちがわからない」というものでした。

以前どこかで誰かから「最後の晩餐は何?」と問われた際、確か僕は「母のオムライス」と答えました。もちろん母のオムライスは好物なのですが。でも、「それは本音なのか?」「教科書に沿った回答だったのか?」僕には僕の本音が分かりませんでした。それは主に「嫌な事でもやる」という、勉強や仕事などで半分強制された自分の過去の決断が作り出したものだと思います。少し極端な表現ですが、自分の心を嘘で塗りつぶす様な事をしていたんだと思います。

この弊害が、自分と対話する難易度を上げており難しさを感じていました。

投稿の本筋

前置きが長くなってしまいましたが、今回残したい気づきと言うのは、この難しさを解消するためのものであり、自分との対話の中でヒントになったテーマです。「深い部分で自分と対話し、率直な意見を述べることで、後悔しない選択ができるようになること」がゴールになります。もっというなら、「後悔しないように、行動するための原動力」が心の底から産まれてくることを目指しています。

特筆したいそのテーマは、以下の3つです。

  1. 人はいつか死んでしまう現実

  2. 生きてる時間には限りがあり、手に入れられるものにも限りがある現実

  3. 夢や願望を取捨選択をすべきか?

人はいつか死んでしまう現実

平均的に80歳くらいまで生きるとして人生は4000週間ほど、時間にして672,000時間になります。僕は今27歳なのですがだいたい1400週間、時間にして240,000時間ほど使ってきたみたいです。そうやって数字に置き換えて考えてみると、それなりにいつか死んでしまうことを自覚することができました。そうすると次第に自身と対話するテーマが生まれます。

僕の場合「自分は、残りの時間でどんなことをしたいんだろうか?」「残りの人生で、やりたいことをどう配分していこうか?」こういったテーマが生まれました。 もちろん、本当に死を受け入れる事は僕にはできないし。正直に言うと、夜眠れなくなるほど不安に感じてしまうタイプです。

それでも、自分の率直な本音を知るには、こういった死を少し身近に考えることが必要なのではないかと思うし、僕には効果があったと感じています。
実際、半分実話の小説や映画を見ても「自分は後少しで死ぬ」と受け入れた人間が、後悔しないためにどうするか?考える描写があります。「賢者は歴史から学び、愚者は経験から学ぶ」と言う言葉を参考にするなら、先人達の残したこの様なケースは参考になるのではないでしょうか?

生きてる時間には限りがあり、手に入れられる物にも限りがある現実

前項で「人はいつか死んでしまう現実」と言うテーマで自分と対話してみたとき。気づいてきたものは「いつか死んでしまうと言う事は、生きてる時間に限りがあるのだから、欲しい物・体験したい事にも限りがある」という現実でした。

ざっくりした例を挙げると、お金で欲しい物があったとして、自分は平均的な年収だったとします。だとすると平均的な日本人男性の生涯年収である約2億~3億円(年度によって異なり、近年は減少傾向)が、生涯を終えるまでのお金の限度額になります。

こう考えていくと頭の中で思うお金で欲しい物が、現実的に手に入るものなのか否かを判断することができます。否であるときそれが自分との対話の中で受け入れられないのであれば、現実を変えたいと言う気持ちが生まれ。それが現実を変えるための原動力になるのではないでしょうか?

夢や願望を取捨選択すべきか?

自分が頭の中で思っている夢や願望に、「生きてる時間に限りがあるのだから、手に入れられるものにも限りがある」という現実を照らし合わせ自分と対話した結果。実はそれほど自分のこれからの生きてる時間を削ってまで、叶えたいことではないこともありました。

人生の限りを意識すると、こういった切り捨てても良い夢や願望が見つかることがあります。または、優先度の低いものと捉えてもいいかもしれません。

逆に人生の限りを意識しないと、無限に世の中に生まれてくる魅力的な娯楽・願望や、経験や情報を通して生まれてくる、実はそれほど叶えたいと思っていない薄い夢が次々と自分の頭の中に入ってきます。
これを仕事におけるタスクで表現するなら、人生の限りという期日を考えないで、夢や願望すべてをタスクとして起票し。全てをマルチに進めようとしている様なものです。

そうなると生まれてくる課題は、「生涯を終えるまでにそのタスクを完了できるのか?」や「なかなか完了しないタスクに集中力を切らさずに入れるか?」などの課題です。もしかしたら、こういった課題にぶち当たった時、これまでそのタスクに費やしてきた時間もお金も全部放り出してしまうかもしれません。だとするなら、夢や願望は取捨選択を行い、1つずつ叶える方が良いのではないでしょうか?

まとめ

ここまで読んでいただきありがとうございました。上記で書いた内容は、もちろん誰にでも当てはまるものではないし、共感できるものでもないと思います。世界中に僕と全く同じ人がいない(ドッペルゲンガーでもいなければ)限り、人の経験から伝わった気づきなんて、ほとんどがガラクタなのかもしれません。

ただ、一つ言えるのはおそらく後悔せず生きると言うテーマは、大半の人がその胸のうちに抱えるものであり、人生において重要な点だということです。僕は、この先色々な決断をしながら人生の終わりに近づいていくことをしっかりと自覚し。少しでも後悔しない人生を過ごしていけるよう努力したいと思います。

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