「カッコつけ」からの卒業練習

ほんの2か月前まで「地道な練習」「愚直な練習」ができなかった。

中学高校までは、さぼり癖も多少あったが、ある程度はできていた。少なくとも、学校の勉強という観点であれば、数学の問題集を2周するなど、普通にやっていた。

だが、自分より強者がいると特に自覚した場面では、その練習が苦痛だった。例えば、中学のころ、自分のwebサイトを作りたいと思って、コピペでhtmlを打ったりしたこともある。しかし、コピペ以上の理解をしようと思わなかった。自分より強者がいる場面では、その強者に依存すればいいや、あるいは、どうせ追いつけないのだから、自分がする意義はないという感覚が強かった。

そして、圧倒的に繰り返し練習をしなくなったのは、大学に入ってからだ。「天才」をみて、自分がすぐ理解できない事象に出会う度に、地道にやることへのモチベーションが失われていった。わからない自分が怖かった。以来、できないなと思ったこと、先駆者が大勢いると思ってしまう分野、結果が見えずらい分野においては、打ち込むことが怖くなってしまった。いろいろ原因はあるだろうが、自分の「できない」を自覚したり、晒したりするのが恥ずかしかったからだ。そこまで打ち込めない自分とできる人を比べて、自分にはモチベーションがないんだと諦めていた。

では、今はどうなのか。少しずつながらも、自分の手を動かすことが一番大事なんだと思い始めている。どんなに「雲の上」がいようが、自分が決めた目の前の何かをできるようになりたいという思いもある。どんな「雲の上」のように見える人も、「初心者」だった時期があるはずだ、ということが理解できたからかもしれない。なんとなく「わかったつもり」でごまかす自分が嫌だというのもある。

ここまで書いても、まだかっこつけたがるというのか、かっこ悪いのをさらすのは苦手なところもあるが、それでも自分が「できない」ことを本当にちゃんと受け入れだしたからこそ、自分のための挑戦をやり始められたのだろう。

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