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セオリーから外れることの怖さ

僕は最近、動画作りをなんの為にしているのかを考えます。
それはこの前書いた「動画編集者として差別化しなければいけないこと」という記事にも記しているのですが、夢がありそれに向けて進んでいくためです。

今の僕の夢は動画編集者としては邪道だと思います。最近は皆が動画編集で稼げると言うことに気づき始め、実際にお金を稼ぎ始めているという背景があるからです。僕もTwitterなどでよく動画編集は稼げるという事を発信している人をみかけます。ある程度稼げる為にしなければいけないことは決まっていてセオリー化してきています。

正直、今の段階でお金を稼ぎたいし、案件も受けていきたいです。しかし、そうすると僕の夢がぶれてしまい遠ざかってしまう気がしてしまいます。僕はセオリー通りのビジネス的な編集よりもあっと言わせる動画作りがしたいです。そこに毎日葛藤を感じています。今の動画編集で稼げる流れを逃せば案件を受けずらくなり、稼げなくなってしまうのではないか。でも焦って案件を取りに行けばこの先自分の軸がぶれていってしまうのでは無いか。毎日とても不安な気持ちに駆られています。

これは常識から外れる事の怖さと似ている気がします。日本人は常識に縛られているというのはよく耳にしますが、僕もその一員です。常識から外れることが怖いから縛られたままでいるのです。しかし、この常識はぶち破っていかなければいけません。寧ろ、このコロナ禍で壊れていっている部分もあります。

常識をぶち壊せる程のスキルや感性を今は磨いていきたい。そんなHirotoでした。

それではまた👋

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