見出し画像

真理を探す、人間たちとその意味。


私は子供の頃に、随分「物事を熟考する子」だったせいもあり
それが理由で、色々な学びを探すようになりました。


中学時代には四柱推命や西洋占星術、姓名判断を習い
やがて興味と学びの対象はあらゆるスピリチュアルの本やら、健康療法の本やら宗教の本まで拡がっていきました。
生きることの「意味」を探していたのです。

結局、最終的に私は、全ての宗教家に敬意を払い、それを否定することなく
宗教の壁も人種の壁も「自分の中で」取り除き、何か、「グローバルな思考」ともいえる思考で生きてゆこうと決断を下しました。

その「壁を越える」思考を「人類の集合意識」といえるグリッドに流そうと思ったのです。

ところで、現在では私はもう「生きる意味」を探してはいません。
意味を探すのではなくて「生きる」のが大切だと今ではそう考えています。

今を生きて、今に集中して各瞬間をいとおしむ。
その繰り返しを努めてしてゆこうと決めています。

ところで、私たち人間は思考する生き物ですが
その思考も常に、愛と調和を選んでいったら、どうなるだろう。
私は生きているうちに、そう考えるようになりました。

人間にはネガティブな思考があるので、特にネガティブな思考に、全ての思考に、宇宙の、天界の「仲介」をお願いしてから
それを包んでやって、深呼吸してそれを息にして出してみる。

思考を自分の頭の中で映像化させる癖をつけると
ネガティブで苦しい思考を扱いやすくしてくれる。


私はあるとき、ある人がこんな発言をしたのを聞いて驚愕したことがあります。

「病気の人っていうのは罪が深いってことよね。」

なんという恐ろしいことを言う人なのだろうか。
スピリチュアルや真理、生きる意味を学ぶのはいいですが、
私たち人間は、時にその出来事の「意味」を探してしまいます。

おそらくスピリチュアルの真理「自分のやったことは自分に返ってくる」の意味を大きく曲解して
「病気=悪いこと=悪いことが起きたのは、罪が深いからでは」と考えたのだろう。

そして心無い言葉を平気で人に投げかける。

(今、この文をキーボードで漢字変換したら「平気」と打つところを「兵器」と自動変換された。心無い言葉はまさしく「兵器」だ。)

そのような発想は人間の「真理を探す気持ち」から来ているもの。
ただし、真理を探すのはいいけれど、そのような「曲解された真理」は他人に向けるものではなく、天に返すもの。

私はその言葉を聞いて、イラッとし、その人を瞬間に憎んでしまいましたが
それをすぐに、頭の中で「天界」へ送った。

私もそこで、その言葉を放った人への「憎しみ」を創り出してはいけない、と考えたからです。
天界へ送ることで、天界からの仲介が入る。

それから随分と時間が経ったあるとき、誰かが、その人のご主人が癌なのだと言いました。
その人が何故「病気の人は罪が深い」といったのか、
ご主人が癌だから、自嘲気味に言われたのだろうか。

人間が住むこの地球は完璧とは言えない。
大気汚染やら食品添加物やら、地球のネガティブな波動やら、
色々である。

どのような人であろうと、病気をすることはあるだろうと思う。
病気をされた人にも、その周りのご家族にも、現在辛いことを抱える人々にも、優しい社会でありたいなと思う。



画像1

心に雄大さを !

春になったら、雄大な景色を見に行きたいと準備をしています。

雄大な景色を訪ねたら、私のブログで、このNoteで写真を掲載したいと思います。

画像2

こちらのNoteでの次の記事は以下を予定しています:

「いまこのときこの瞬間から、幸福を構築し始めるとっておきのやりかた」

画像3


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?