受動態恋愛
おはようございます。
こんにちは。
こんばんは。
TAKAモノノフです。
今回何の題材を書こうか考えていたら異性との交流について語りたいなと思いました。友達が結婚式を挙げることや別の友達が彼女と別れたこと、また別の友達はマッチングアプリで女の子と出会おうと試みたこと…。
そんな話を聞けば「自分も負けずに恋愛しなければ」と考えるはずです。しかし僕はこう思いました。
ふーん…スゴいなぁ…。
ハッキリ言って全然興味がありません。話としては興味はあります。しかし、その話が自分の恋愛に対するモチベーションになるかというと全然なりません。むしろ遠い国のお話のような感覚で聞いています。そんな僕は自分の恋愛はどうなのかと考えた。
自分の恋愛はタイトル通りの受動態である。まぁ、ざっくり説明しちゃえば自ら進んで恋愛しないタイプのことを指す。自ら動いてマッチングアプリや街コン、ナンパ、知人の紹介などを全くと言ってもいいほどやらない。僕はある時期からそういう考え方に変わってしまった。いつからだろうか?
小学生から異性には興味あった。クラスに5人ほど好きな女の子がいて事あるごとに告白しまくっていた。フラれても告白しまくるほど積極的だった。中学生、高校生はそこまでメチャクチャ告白しまくることはなかったが、好きな女の子がいて出来る限りのアプローチはしていた。恋愛することに恐怖心はなかった。しかし、この時代にはっきり言って周りの女の子は癖が強い性格だらけだった。思春期の僕にはこれが一般的な女子学生だと感じて生活していた。
転機となったのは大学生時代である。人生で初めて彼女が出来た。彼女は年下の女の子だった。共通の知人を介して趣味が同じこともあり付き合うことになった。女性と付き合うというミッションは僕のような経験不足にはとても難しいものだった。彼女への連絡、気遣い、接し方、聞き手としての役割、デートプラン作成等など…。
ある程度自由奔放に生きてきた人間には辛い部分が多かった。ストレスだったのかもしれない。そのストレスを発散するために趣味に興じた。その発散がとんでもないしくじりを生む。それはクリスマスの日。世間一般的なカップルならばクリスマスデートをするという決定事項のようなイベントである。しかし、僕は彼女を放置して一人でアイドルのクリスマスライブへと参戦した。
その時、僕は思ってしまった。
僕は恋愛不適合者ではないか
それがネックとなってしまい別れることになった。自分が恋愛不適合者であると日々感じながら生きると楽な気持ちになった。いや、楽になった気持ちというのは建前でただただ恋愛から逃げたのだ。こうして逃げた結果そこから数年間彼女が出来ない日々が続いた。変に拗らせた部分もありマトモに恋愛している人たちをディスることで自分の逃げをその場しのぎで納得させていた。
時は経ちほんの数年前に奇跡的な巡り合わせで人生二度目の彼女が出来た。しかし、やはり長続き出来なかった。ここまで来ると逃げというより恋愛を放棄してしまった。自分がストレスを感じずに付き合える女の子と出会うまで恋愛は真剣にやらないでおこうと決めてしまった。これで受動態恋愛の完成である
受動態恋愛はストレスフリーである。何も考えなくていい。自分に合った女の子と出会えるまでじっーと待てばいいだけである。ただこれは本当に恋愛として正解なのだろうか?他人の恋愛事情に興味ないからここまで精神的に保てるが何処かで崩れてしまうおそれも少なからずある。その時動けるのだろうか…。
僕はこれからも受動態恋愛には変わりないが、臨機応変に対応して動ける準備をしないといけない。そんなことに気付くのに10数年かかってしまった。気付いただけでも御の字である。やっぱり恋愛は難しいと思う。
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