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子どもができた。

子どもができた。欲しいと思った子どもができた。
既に妊娠6ヵ月なんだけど、妊娠前から今まで感じたことを少し書いておこうと思う。

私は今37歳で、7月に誕生日を迎えたら38歳になる。
去年結婚して、コロナで結婚式が伸び伸びになって、子作りするにも躊躇したりして、本格的に子作りし始めたのは、結婚式が終わった10月から。
年齢的にすごい焦る年齢ではある。

一方、夫は5歳年下なので、結婚も私が子どもが欲しいというのもあってしたから、彼は30代前半だし、切実さを言えば私とは全然違うだろう。

正直子作り(いまどきは妊活か)は、思ってるより大変だった。
子どもが出来ない人からしたら、全然スムーズな方とはいえ、まず結婚するまで「子どもが出来ないように」努めていたのに、いきなり「はい!これからは出来るようにします!」としたところで正直自分でも何をしていいのかわからない。
よくドラマや漫画で「一晩の間違いが…」とあるけど、「いやいや、たった一回で出来ちゃうって凄くない!?」って思ってしまった。
生理が来るたびに、それまでは安堵していたのに、妊活してからは「…あー、今回も来ちゃったか」というガッカリ感と焦りが私達夫婦に襲いかかり、しばしば夫婦で険悪になった。
子どもが出来やすいのは排卵日の前後3日と言われており、私達はその期間近くになると、せっせと妊活したわけだけど、もはや夜の楽しい営みというよりも、ペアで行うスポーツ競技のような感覚になった。

今回の前に一度、妊婦したのではないか?ということがあった。
まずとにかく具合が悪い。
毎日二日酔いなのではないか、うつ状態のときはこんなだったな…という感じだった。
妊婦の超初期症状をネットで見たら、かなり近しいのではないか…と思いつつ、結局いつもより遅れはしたけど、生理は来てしまった。
後々、この話を他の人にしたり、病院で話したら「稽留流産(けいりゅうりゅうざん)だったのではないですか?」と言われたのだった。

稽留流産とはいえ、妊娠したら妊娠する能力があるということだから、また次頑張ろうと思えるけど、そもそも自分の年齢を考慮したり、夫婦共々精神疾患があって投薬してることなど考えると、「果たしてお互いに生殖能力があるんだろうか?」という疑問が湧いてきた。
やっぱり出来ないとだんだん「何か問題でもあるんだろうか…」となっていき、夫婦間もギスギスしてくるので、一度不妊治療の病院に検査に行ったこともあった。
私の検査をして結果を聞いた時点で、妊娠が発覚したから良かったんだけど、病院に行って検査したら、3万円以上かかった。
会計のときにお金が足りずに下ろしに行く始末で、私はその金額を見てクラッとした。
本格的な不妊治療となればどんどんお金は飛んでいくので、本当タイミングよく出来てくれたなと思う。
夫婦の小競り合いもなくなったし。

今回は前回の妊娠疑惑のように具合が悪いとかはなかった。
ただ、基礎体温を測っていたので、その結果を見ると、これは妊娠したかもな〜と思う感じだった。
生理も順調に来ない(?)ので、いよいよか!?と思い、前回買った妊娠検査薬の2本目を使って検査したら、しっかりと陽性の反応が出た!

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「これ!ドラマで見るやつ!」と興奮しながら夫に伝えると、一度疑惑で踊らされたせいか「病院に行って結果が出るまでぬか喜びは出来ない…!」と言っていた。
その後、不妊治療の病院での検査があったので、そこで妊娠が確定した。
嬉しかったのもあったけど、ホッとした方が大きかったかもしれない。
「授かることを待つ」というのは現代社会で生きる自分にとって、不確定要素が多過ぎてストレスが大きかったからだ。

晴れて妊娠が確定したのでお酒をやめた。
実はそれ確定するまではやめずにいた。
前回の妊娠疑惑のときは、確定もしてないのにやめてみたけど、あんまり変に神経質になってもどうかと思い、妊娠の超初期はあまり影響がない(とはいえ、やめられるならやめた方がいいだろう)とのことだし、また見切り発車でやめてガッカリするのも嫌だったからだ。

それから、会社の人全員に言うタイミングは見計らいつつ、子どもがいる女性の上司には判明した時点で相談しておいた。
普通は安定期入るまでは言わないのかもしれないけど、正直安定期入るまでがキツいから、早く言った方がいいように思うけど、慣習では安定期近くなってから、とのことらしい。
会社と平行して、飲食店のバイトもやっているので、そちらには早めに伝えておいた。
物を運んだりする仕事だと、言わずに力仕事をして変なことになっても困るし、体調が悪くなって仕事に行けない可能性もあったからだ。
わりと入ったばかりのバイト先だから、嫌がられるかなと思ったけど、そんなこともなく、みんな気遣ってくれたので助かった。

妊娠してから、感じた身体の変化はとにかく眠いのと、トイレが近いことだった。
会社で「最近トイレ近くて〜」とボソっと言ったら、上司に「それね、妊娠のせいだよ。子宮が子ども育てる準備し始めて膀胱押されるからね、トイレ近くなるよ」とボソっと言われた。
寝てる間にトイレで起きることなんて、一年に数回あるかないかだったのに、毎晩トイレで起きた。
ひどいときは2回くらい起きて、もともと寝付きの悪い私は、そこから朝まで眠れなくなることもあった。
そしてとにかく眠い。
夜20時になんて、子どもの頃以来寝たことないのに、ごはん食べたら怠いと言って横になり、気付いたら寝てるような生活だった(そしてトイレで夜中に起きる)。
食べづわりはほぼなかったと思うけど、病院で「ひたすら眠いです…」と言ったら「それもつわりです」と言われたのだった。
いわゆる「米の炊いた匂いを嗅いで吐く」みたいなことはなかったし、いつもより眠いとはいえ、年中眠いっちゃ眠いので、あんまり妊娠した実感もなかった。

つわりがなくて、妊娠した実感が薄かったから、2週間おきの検診に行って、エコーに映る子どもとおぼしきものを見ると安心した。

エコーで見る我が子は、最初は勾玉みたいなのだったのに、そのうち目玉の親父みたいになっていった。

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↑勾玉の頃の子の写真

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↑目玉の親父の頃の写真。これは4Dリアルというエコーの映像を立体化するもののようだ。今時の技術はすごい!


先生に「これが足で、これが手で」と説明されても、心霊写真のようにしか見えないなと、内心思ったこともあったけど、それを友達に話したら「生まれてくるものなのに心霊写真は失礼だよ〜」と言われた。そりゃそうか。
とりあえず順調に育ってるんだなぁと思った。

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↑ちょっと心霊写真のようなエコー写真。目が映っているらしいけど、ちょっと怖い。

通いつけの心療内科で「つわりがあまりない」と言ったら「あら!優秀な子ね!」と先生に言われていい気になるレベルだった。

そう、心療内科のことである。
妊娠したとわかってから、心療内科の薬を自己判断でやめてしまった。
それを産婦人科の先生に話したところ「産前・産後のうつの方が心配だから、自己判断で投薬をやめないで」と指導されたことがあった。
心療内科には前々から「子どもが欲しい」ことは伝えていたので、妊娠中も飲める薬を出してくれていたので、服薬をやめる必要はなかったようだ。
確かに産婦人科の先生の言う通り、ただでさえ初産への不安と、妊娠による体調の悪さや不安定さで、メンタルも不安定になる可能性は高かった。
薬の不安がなくなってからは、前は飲み忘れも多かったけど、飲み忘れないようにリマイン君というLINEアプリで通知するようにした。

産婦人科の先生は年配のベテランの男性の先生で、最初ちょっと不安が実はあった。
不安というのは、古い考え方に固執してたらどうしようとか、そういう不安である。
一度「実家は遠く、コロナだし里帰りもするのは難しいし、義母も亡くなっているので、家族からの支援があまり期待出来ない」と相談したところ、「困ったら公的機関を頼ることをまず考えて下さい。家族の支援は期待しない方がいい。親とはいえ、里帰りなどで久々に一緒に過ごしたら疲れることもある。子どもが出来たら家族3人でやるつもりでいて欲しい。」と言われた。
私はてっきり家族の支援をまずは優先して、みたいなことを言われるかと思っていた。
この話を聞いたときに、ここで産もうと決意出来た。

食べつわりもなく、体調も思ってたより悪くなく、歳のわりにわりかし元気な妊婦だと思うけど、3ヵ月入ってから本格的な妊婦健診が始まったら、なんと血糖値で引っ掛かり、妊娠糖尿病と診断された。
それまで特に病院で食べ物や体重等の指導をされてなかったのに、いきなり細かくチェックされるようになったので、これには些か面食らってしまった。
わりと体重管理などゆるい病院なのかな〜と思い込んでいたら、そんなことなかったのだった。
体重は2キロほど太ったけど、正直妊婦だからこれくらい太って当たり前だろうと思っていた。
やけに体脂肪が増えたことが気になったものの、そこも「妊娠したし」くらいに思っていたら、なんてことはない、妊娠糖尿病だったのである。
妊娠時は通常よりも血糖値が上がりやすく、糖質を脂肪に変えやすくするらしい。
どおりで体脂肪が異様に増えた訳だ、と合点した。

そこから、糖質制限が始まり、なかなかの苦しみだった。
血糖値の検査をするのに、まず「検査2時間前に朝食を済ませていただき」と言われたけど、それまで私は朝食を食べてなかった。
怒られるかも…と思い、恐る恐る「いつも朝食を食べてないのですが…」と聞いたら、看護師さんに「これからは朝食を食べるようにしましょう!お子さんが産まれたら朝食を食べさせる必要がありますし!」と返された。
あー、確かにそうだなぁ、子ども出来たら自分の都合でごはん食べたり食べなかったり出来ないんだなぁとしみじみ思ってしまった。

そこからとりあえず朝食には具沢山の味噌汁を食べることにした。
朝食を食べ慣れてないので、朝からがっつり食べられない。
病院からは「朝食には、グラノーラやパンは糖質が高いので、ゆで卵などでいいですよ。炭水化物は摂らなくてもいいです」と言われたものの、毎日ゆで卵は味に飽きれば、作るのが面倒なことが予想される。
味も飽きずに作り置き出来て、用意が簡単な炭水化物の少ない食べ物を考えたら、味噌汁が最適だと思ったのだ。
朝食に味噌汁は今も続いている。
鍋一杯に作れば数日持つのでありがたいし、何より味に飽きない。
食べ慣れたものの味というのはすごいなぁと思う。

お昼は会社の近所にわしやという『糖質オフ弁当』を売っている弁当屋があったので、そこの弁当を毎日のように食べた。
糖質オフ弁当は、普通お弁当箱のごはんの入るスペースにおかずが入っており、副菜のスペースに雑穀ごはんが入っているもので、栄養価もしっかり計算され、炭水化物控えめでタンパク質も多い。
とにかく、昼は考えなくてもそれを食べてれば大丈夫、という感じで助かった。
夜も小皿にごはんをよそい、お腹が満たされない分は納豆を食べたりしていた。

おかずをたくさん食べられるし、もともと一人暮らしの頃は夜はお米を食べなかったから、これは楽勝だと思ったけど、その生活も続けると結構苦しい。
妊娠中はそれでなくても気を使う食材が多いので、一々ネットで食べるものを調べるのはなかなかストレスである。
そして、案外おかずばかり食べると重たく、お腹にたまる。
いかに炭水化物が軽いかがわかった。
おかげで食事量は自然と減ったけど、これはなかなか苦痛だった。
そして何より飽きてくるし、土日に麺類やパンで簡単に済ますことも難しいから、ごはんを作って食べるのが億劫になってしまった。
しかし、体重と体脂肪はみるみる落ち、妊娠前の体重に戻ったのだった。

1ヶ月後の妊婦検診では検査と食事のタイミングが合わず、血糖値の検査がやむなく出来なかったけど、2ヶ月後の検診では血糖値の検査が出来た。
結果は正常値!!!
気を緩めばまた悪くなるのはわかっていたけど、解放感がハンパなく、私はずっと食べたかった流行りのマリトッツォを食べた。糖質バンザイ!糖質最高!と踊り出す勢いであった。

母が妊娠糖尿病などになって食事制限で苦しんでいる5ヵ月の頃、腹の中の子どもはすくすく育っているどころか、「平均値の中で大きい方に分類される」と言われた。
なんとなくだけど、エコーで見る子どもは骨格がしっかりしてそうだった。
この頃から未来の祖父母達は何か話せば子どもの性別を聞いてくるようになった。

あまりお腹も大きく張っておらず、精神的にも穏やかな(気がする)せいか、いろんな人から「女の子じゃない?」と言われていた。
私自身は最初の頃からなんとなく男の子かなと思ったけど、みんなに言われたら女の子かも〜とその気になり、6ヵ月検診前にはすっかり女の子の気持ちでいた。
次の日の6ヵ月検診で性別がわかるかも、というタイミングで、私はなぜか女の子の名前を考える始末だった。

病院で検診に行ったら先生に「性別知りたい?」と聞かれた。
「…はい!」と答えてエコーを見たら、「これ男性器ね、はい、男の子ですね。おめでとう」と先生がいうと、エコーの画像のおちんちんのところに「BOY」と書いた。思わず吹き出しそうになった。

女の子の名前を考えたあの時間や妄想した時間はなんだったのか…と思いつつ、男の子に気持ちを切り替えた。
そもそも男の子の身体で生まれたところで、心まで男の子かはわからない。
あんまり男だ女だなどは考えたくないなぁと思う。

しかし、出産、子育てというのは、たくさんのジェンダー問題にぶち当たる。
名前から、服から、与えるおもちゃから、親が性別を規定する場面が数多く出てきてしまう。
日本で女の子として生まれてくることには、多くの困難があると最近よく言われているけど、男の子となるとそれはそれで難しい。
どういかに日本の家父長制に侵されない男の子を育てるべきか、これから自分たち夫婦の課題になるだろうと思う。

そして名前である。
うちの夫は在日韓国人で、韓国では陰陽五行思想があり、男性は一家代々名前の一部に「木火土金水」の漢字を入れる決まりがある。
最近の韓国では、その習わしも無視した人も多いかもしれないけど、うちの義理の実家は、韓国に住んでいない分、かえって古い伝統をしっかり守っていることが多いらしい。
夫の代は水の字が入った名前の代であったから、うちの子どもたちは木が入った名前となる。
この漢字の位置も先代が前に木火土金水の字が入れば、その次の代は後ろ字に入れなければならないと、いろいろと決まりがある。

また、二人の希望として、日本語でも韓国語でも読める名前で、大きくなって性別が変わっても使えるように、性別を感じさせないような名前にしたかった。
加えて、字画がよいものなどと考えると、かなり絞られる。
「絞られると選びようがなくていいじゃない?」と友達に言われたけど、探すのは困難だ。
でも、気になったらずっと探し続けてしまう性質なので、夜眠れなくなりながら名前を探し、仮決定した。

逆に「生まれてから考えよう」とか思っていたら、生まれたての子どもの面倒を見ながら、名前の本やネットとにらめっこするのは困難だったかもしれない。
早めに考えてよかったかもしれないと思う。
だいたい日本の法律は名前を決定するまでしか2週間しかないなんて、些か横暴過ぎるように思う。
一生ついて回る名前を人となり(?)もわからずに2週間で付けるなんて!

実母は「名前は親が初めて上げるプレゼントだから」とオシャレなことを言ってきたけど、私自身は名前をつけることには、妙に責任を感じるというか、ついついお腹をさすりながら「名前が嫌だったら、大きくなったら変えていいからね〜」と語りかけてしまうのだ。
そういった、親が子どもを規定していく暴力性みたいなことを毎日考えつつ、私の気持ちとは裏腹に子どもは大きくなっていき、お腹の中を動き回っていく。

妊娠したら、もう少し母性というか、子どもと一体、子どもは自分のもの、みたいな気持ちになるかと思ったら、案外そういう気持ちはない。
自分のお腹は単なる保育器で、保育器として魔改造されていくことによる身体の不具合を日々実感し、中の子どもは些かエイリアンというか、別の生命体がどんどん育っていく気持ちである。
もともと子どもも好きだし、生まれたら可愛いと思うけど、どう考えても他人である。

日々、子育てについて妄想はするものの、自分としては、子は子なので、子の意思を尊重し、可能性を狭めないようにしたいなと思う。
でも、子の意思を尊重すると言っても、意思が確立していない頃は親が導かなければならないところが出てくるだろう。
自分としては子どもに知識や知識を得る機会だけは与えたいなと思う。
お金は使ってもなくなるけど、知識はなくならないからだ。
特に語学。
うちの夫は言語ヲタクで、10ヶ国語くらい話せるけど、語学がわかるだけで幅広い知識に触れることができ、コミュニケーションできるんだと、横でわからぬ私は思うばかりである。
せっかくの父親の素晴らしい能力を子に引き継いでもらえないのは残念なので、胎教として夫に様々な国の子で話しかけてもらったりしている。

しかし、胎教という概念である。
子に筒抜けだとしたら、それもそれで恥ずかしい。
一度夫に怒った瞬間にお腹がドドドッと動いたことがある。
「…夫婦ゲンカ聞こえてる!?」とその瞬間妙に冷静になった。
それから、「もしかして胎教と思っているのは、壁の薄いアパートの隣の部屋に聞こえる音みたいなものなのでは!?」と思うようになった。
隣の家で夫婦喧嘩されたら、うるさくて壁を叩くこともあるのかもしれない。
そんな風に思ったら、確かに隣の部屋から聞こえる言葉を覚えるなんてこともあるのかもしれないな〜なんて思うのである。

とはいえ、いくら胎教をしたところで、生まれてから少しずつ教えなきゃいけないし、胎教を覚えている人なんて、世界のビックリ人間で出てくるような人である。
今から必死こいて胎教したってねぇ、という感じである。

そんなしょうもないことを思う反面、親の暴力性を真面目に考えてみたり、生まれてもない子への妄想は止まらぬばかりである。

もしかしたら、今が一番楽しい時間かもしれない。

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