ADHDとか。その4

話をするのが遅くなったのだが、私は白いシャツの店レタルというブランドをやっている。

レタルは27歳のとき、最初に入社した会社にいるうちに始めた。

その会社には4年近くいたけれど、今思えば途中から飽きていたなぁと思う。

飽きやすいというのはADHDの特徴なのかもしれない。

元々独立したいと思っていたので、会社にいる間に繊維製品品質管理士の資格を取ったり、パタンナーの学校に行ったり、着物の着付けを習いに行ったりしていた。

会社にいても、忙しくなかった訳じゃないけどなにか物足りなくて、ちょうどその時期失恋なんかもして、なんとなく今のままじゃいけないと思い、会社に内緒でブランドを立ち上げた。

今もブランドをやっているけれど、今思うと見切り発車だった気もしなくもないし、だからといって、何度その頃をやり直したとしても、ブランドを立ち上げることになると思う。

先日カウンセラーの先生と話したときに「ある意味ADHDだったからブランドを立ち上げられたと思うんですよ」と言われた。

私は目標が定まっているときは、かなり集中力が上がり、一点突破する傾向がある。

起業家にADHDが多いというのもちょっとわかる。

めちゃくちゃなことをやるエネルギーというのは、まともな頭じゃ生まれないのかもしれない。

ブランドを立ち上げの準備段階くらいから、本当に寝る時間がなくなり、一度会社を寝坊する始末だった。

その当時は休みもなく、睡眠時間もちゃんと取らずに働いていたし、会社では理不尽にキレては、部下を泣かせるのを趣味にしているようなチーフがいたり、東日本大震災を経験したり、その当時付き合っていた相手との関係の不健康さもあり、不安を感じると過呼吸を起こすようになった。

それから診療内科に通い出すようになったのだった。

最初の会社はレタルがバレて「自分の活動を辞めるか、会社を辞めるかどっちか選べ」と言われて私は会社を辞めてしまった。

30歳になってADHDがわかっただけであり、私はずっとADHDだったわけで、思い返すと、とってもADHDっぽいエピソードはたくさんある。

ADHDとわかってから、意識してマルチタスクにしているけど、その前から既にマルチタスクをしていたんだなと思った。

私はルーティンが苦手なのだ。

一つのことだけやっていると飽きてきてしまって、だんだん虚しくなることがある。

最初の会社は「新卒は3年いるべき」の言いつけを守って長くいたものの、会社に行くのが虚しく、苦痛に感じ、休日に自分のブランドのことをやるときだけ、本当の自分がいるように感じていた。

今は思えばそういう気持ちはなくなった。

今はフリーランスで仕事が安定しなく、不安になることはあるけど、会社員のときの虚しさみたいなものは感じなくなった。

ちょうど良い自分を探すというのは難しい。

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