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イッキューパイセン 回らない寿司編

 【江戸前】【一流職人】【鮮度が良い】【包丁の切れ味】【おさむ】
 有名書道家の手になる巨大な看板が通行人を威圧する。
 1か月前に城下町の一等地に建てられた寿司店『金満鮨』はネタの鮮度、質、職人の腕、調度品などどれもが超一流であり、富裕層を主客としてたちまちのうちに有名店へと成長した。
 長さ約40メートルを誇るカウンターに客がぎっしりと並ぶさまはまるで工場のベルト作業めいている。

 このようなサクセスストーリーを歩めば敵の1人や2人は出ようものだが、
店主のマグロ包丁が競り相手を両断して以降、市場一の新鮮なネタはタダで手に入り、執拗なクレームをつけてきた客はバラムツを鱈腹食わされた上で路上に放置された。
 すぐ近所にあったデリバリー専門の寿司店は借金を抱えた若い衆が爆弾を抱えて突っ込み専用駐車場が広くなった。
 事件を探った官憲の上層部やメディアには大枚を握らせて口を閉ざした。
 何も知らぬ市民は今日も『金満鮨』に足を運び金を落としてゆく。
 
 そんなある日、ディナータイムを終え店が落ち着いた閉店間際、一組の母娘が暖簾をくぐってきた。
 「いらっしゃ...…」
 坊主頭に気合の入った剃り込みを入れた店員の挨拶が途切れる。
 無理もない。
 母娘の様相が実にみすぼらしいものであったからだ。 
 母親らしき女は30代前半ほど、ボサボサの長髪でよれよれのトレーナー。
 枯れ枝のような細い体。生気の乏しい顔には化粧の様子も伺えない。
 娘らしき子供は4歳ほどか。
 ひどく汚れたキャラクター物のワンピース。
 
 「へ..…へい、らっしゃい。こちらの席へどうぞ」
 冷静さを取り戻した剃り込みが母娘を店の一番奥の席へ案内し、大将に耳打ちする。
 「なんか変な客っスね。どうしまっしょか」
 「金さえ持ってりゃ問題ねぇ。とっとと注文聞いてこい」
 「へい」
 店員は母娘の座る席へ注文を取りに走る。
 なにせ40mのカウンターだ。行交いも一苦労である。

 「いらっしゃい、何を握りましょうか。」 
 店員の声に対し、母は震える手で懐を探ると、古いがまぐちを取り出し、千円札1枚を差し出してか細い声でこう言った。
 「こ、これでサーモンを2貫握っていただけませんか」
 「は?」
 「あ、あの、サーモンを...…」
 はっきりと『サーモン』という単語が耳に届いた剃り込み店員はあからさまな侮蔑の表情を浮かべ答えた。
 「いやー奥さん、うちは高・級・寿・司・屋なんでねぇ、ないんすよサーモンww」
 だが母親はすがりつくように注文を繰り返す。
 「この子がどうしてもこちらのお店でサーモンのお寿司が食べたいと...…それで今日やっとまとまったお金が入りまして...…何とか...…なんとかなりませんか?」
 
 店員の眉間の皺が深くなり、剃り込み付近に青筋が浮かぶ。
 軽く息を吸うと、店内中に聞こえる大声で、遠く離れた大将に向け叫んだ。
 「大将ぉーー!!こちらサーモン2貫ですって!!サーモン!!!それもたった千円で!!!!」
 「あぁぁぁん!!???」
 こちらも負けじの大声で返答した大将が大股で母娘の席へ近づいてくる。
 目に涙を浮かべる娘を、母が守るように抱きしめている。

 「お客さぁーーーん!ひょっとしてウチ舐めてんのぉー!?」
 大将の大声に母娘が身をすくめた。
 「ウチは江戸前なの!サーモンなんてもんは無ェの!ンな貧乏人が好きなネタは、回る方の寿司屋でやってくれませんかねェ!!」
 より声量の増した怒鳴り声が店内に響き渡る。
 「さすが大将!」
 剃り込み店員は思わず拍手!
 つられるように他の店員も拍手!
 「かーえーれ! かーえーれ!」
 拍手を手拍子に変え、剃り込み店員が店内を煽る!
 「「「かーえーれ! かーえーれ!!」
 他店員も追従!店内に帰れコールが木霊する!

 母親は黙ったまま大将に軽く会釈し、早足で出入口へ!
 店員は皆その背中を指さし笑い声を上げている。
 「おう、塩撒いとけ塩!」
 「へい!」
 剃り込み店員が塩をひと掴みし店の外に出ると、そそくさと店から離れようとする母娘の姿が目に入った。
 娘のほうは大声で泣き喚いている。
 それが癪に障ったか、母親の背に塩をぶつけようと剃り込み店員が大きく振りかぶったとき、その視界が急に何者かによって塞がれた。

 「おい、客が入れねぇだろうが」
 店員に言い放ったのは一人の僧侶であった。
 紫の袈裟には金糸で【勝つ王】【破魔智】【握るのは寿司ではなく拳】【黄金のポメラニアン】などの威圧的な刺繍の数々!
 彼こそが『日ノ本一の知恵者』『今孔明』などと言われる頓智僧侶、イッキューパイセンである!

 「さっさと案内しろ」
 「へ、へいらっしゃいまし!」
 その鋭い眼光と殺気に震え上がった剃り込み店員がパイセンを先ほど母娘が座っていた席に案内する。
 高級な袈裟、金剛石の数珠、瑞西製の腕時計。
 上客と見た大将は素早くパイセンの前へ。
 「いらっしゃい!何握りやしょう!?」
 満面の笑顔で注文を問う。
 パイセンは店内を軽く見回すと、獲物を見つけた大蛇のような眼で大将を見つめると、静かな声で告げた。

 「サーモンをくれ」
 ざわり。
 温度が一気に下がったような閉塞感が店内を包む。
 「あ、あのお坊様、ここは江戸前でサーモンはちょっと......」
 これを打ち破ろうと試みたのは大将だ。
 だが大将の声にパイセンは一切の反応を見せることはない。
 「ど、どうですアジとか活きの良いの入ってますよ!」
 更なる大将の声。だが僧侶は先ほどより一層低い声で答えた。
 「サーモンをくれと言っている」
 ぞくり。
 店内が静まり返った。

 この緊張感に耐えられなかったのは剃り込み店員だ。
 パイセンの胸倉を掴み上げ怒鳴りつける。
 「まったく今日はクソ客がよく来やがるな!日本語わかりますかドゥーユーアンダスタンジャパニーズ!???サーモン食いたきゃ回る寿司に行けってんだよ!嫌がらせかオイ!警察呼ブベラッ!」
 剃り込み口上はパイセンの頭突きによって中断された。
 鼻っ柱にめり込む強烈な一撃だ。
 鼻から目、そして頭部全体へ痛みが広がっていく。
 涙と鼻血が一斉に噴き出す。
 顔を押さえのたうち回る剃り込み野郎を冷徹な瞳で見下ろしたパイセンは、そのまま大将の方に向き直って言った。
 「じゃあ、ここを回る店にしちまえば問題ないってことだな」
 「え?」

 「お客様!店内での暴力行為はご遠慮します!」
 大将の困惑をよそに、血気盛んな店員たちがパイセンに襲い掛かる。

 店員Aの右ストレート!
 カウンターのロシアンフック!
 「ギャバピーッ!」
 店員A眼窩骨折!
 
 店員Bが掴みかかる!
 奥襟を掴み返し顔を上に向けると、出されたままの熱いお茶をその鼻孔に注ぎ込む!
 「ゲボッゲボボボボッ!アヅゥ!アッヅゥーーー!!!」
 店員B大やけど!

 店員Cの前蹴り!
 造作もなくこれを片手で受け止めるとそのまま独楽回しのように腕を振りぬき店員Cは半回転!
 「ハイヤーッ!」
 裂帛の気合と共に、店員Cの無防備な背中に半身の構えからの体当たりが炸裂した!
 「ゴッホバァー!」
 中国は八極拳の奥義、鉄山靠である!
 大きく吹っ飛んだ店員Cは壁に激突!
 掛けられたお品書きの木札が動かない彼の体に降り注ぐ。
  まるで卒塔婆のゲリラ豪雨だ!
 店員C背骨腰骨骨折!
 
  店員DとEが同時に襲い掛かる!
 パイセン迎撃態勢!
 しかし直前でEが背を向け脱兎逃走!
  合わせるように、ようやく我に返った他の客も出入口へと殺到!
 裏切られたことに気づかないままDがただひとり逆方向へ!自殺行為!
 上下分けての攻撃をする作戦であったのか、パイセンの膝目掛け低空タックル!
 しかしハヤブサ並みの動体視力をもつこの地獄の僧侶にはYouTubeの再生速度0.5設定のようなものだ。タイミングよく膝蹴りを合わせる!
 「オゴッ!」
 顎に衝撃を受けたDがダウン!
 パイセンは素早くマウントを取ると、上物のワサビを眼球と口内に大量に塗り付ける!
 「ヴォェッ!ヴォェーッ!エホッ!ゲエッホ!」
 D頬骨骨折!脳震盪!ワサビ中毒!
  
 パイセンは残りひとりとなった大将へ視線を移す。
 だが大将に動揺の色は薄い。
 「い、今ヤクザが来るからな!ウチは守り代払ってんだからな!」
 ガラララッ!
 その声とほぼ同時に、店の戸が勢いよく開けられる。
 「おう大将、面倒ごとってのはどいつだ?」
 パンチパーマの厳つい中年男性とその後ろに控えた2人の若者。
 いずれも派手で趣味の悪いスーツに身を包んでいる。
 「こ、こいつだこいつ!さっさとやってくれよ!金払ってんだぞこっちは!」
 大将は慌ててパイセンを指さし、男たちの視線がそちらに向けられる。
 と同時に、中年男性の表情が凍り付いた。
 「あ...…イッキューさんでした...…か。どうもお疲れさんです」
 明らかな狼狽の色。
 「アニキどうしたんすか、とっととやっちまいましょうよこんなハゲ!」
 後ろから囃した若者1の顔面に中年の裏拳がめり込む!
 「ブベーッ!」
 若者たまらずダウン!
 「テメェらこの方を誰だと思ってんだ!オラ帰るぞオラッ!」
 中年男性はパイセンに深く頭を下げ、若者2名を引きずるようにして店の外へ。
 「オイ、どうなってんだ組にチクるからなオイ!」
 大将の声はガン無視のまま。
 
 「ちくしょうこうなったら....…かかってこいやコラァー!」
 刺身包丁を手に気勢を上げる大将。
 しかしパイセンはそれを意に介さず出入口へと向かう。
 「オイ、オイどうしたかかってこい!」
 自分から向かっていく勇気はないらしい。

 戸が閉められパイセンが店外に出たと同時に大将は床にへたり込む。
 「な、なんだってぇんだクソッタレが」
 悪態をつき深く息を吐く。
 そのとき、店内が大きく揺れた。
 地震?いやそうではない。
 体が浮き上がるような感覚。いやそうではない。
 窓の外を見やる。
 (建物全体が持ち上げられている?)
 そう、店の外には巨大なクレーンがあり、これが店の建物部分を基礎から引きはがし、上空に吊り下げているのである。
 「今からお前の店を回る寿司屋にしてやる」
 窓から身を乗り出し声の方向を見る。
 紫の袈裟を着た僧侶が腕組みをしたままこちらを睨んでいた。
 
 ぐらり。
 大将の視界が大きく傾いた。
 吊り下げられた店舗がクレーンアームの揺れによって円を描くように揺れ始めたのである。
 ぐるん。ぐるんぐるんぐるん。
 遊園地のアトラクションめいてワイヤーに吊るされ振り回される『金満鮨』。
 遠心力によって大将と店員の体は何度も床へ、壁へと叩きつけられる。
 助けを求める悲鳴を聞き届ける者は地上に居ない。
 やがて店舗から人の声は聞こえなくなった。

 「まーわーれ!まーわーれ!!」
 店員Eの声だけが夜の城下町に響いていた。

 
 
 
 

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