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わらをもすがる経験をした人は真実に近い

ヘビーな人生を生きてきた人たち

個人的な感覚なのだが、最近思うことがある。厳しい体験を経験した人とは、どうやら共通言語があることが多く、フォローが必要ない、ということだ。

今、私は《霊性や真実の前提ありき》の世界に生きている。世の中の一般の人が私と同じでないことは、長年にわたって、よ~~~く理解したつもりだ。昔と違って、どうやら真実の霊性について素直な感覚で興味を持っている人がグッと増えてきていることに、正直びっくりしているけれど、だからといって、その存在はまだまだ少数派だ。なので、私は誰かと話す時、よほど共通言語がある人以外とは、自分の中の真実から出る言葉を世間的に通用する言葉に置き換えたり、どう言ったら相手にも理解しやすい会話になるのかを工夫して話している。

昔と違って、今は、特別自分の内面について特段隠すこともないし(世間に合わせて擬態していた頃もあったが)、かといって意気込むこともないし、リラックスしてずいぶん自分らしくいられているのだけれど、それでも、会話の中でわざわざアレルギー反応が出やすい言語を使うと、その反応のフォローが必要になったりすることがあるので、あえて、一般的な言葉を選んだり、誤解の少ない言葉に置き換えたりしながら話している。

共通言語を持って道を進む

ただ、普段は無難な言葉を使っていても、話が時に深まったり、人によっては不思議と「あれ、そこ聞いてくる?」ということを突っ込んでくることもあって、話が長くなってくると、言葉を置き換えながら話すことが、だんだん面倒になってくる。

そんな時どうするかというと、説明しやすい概念を少しさわりだけ話したり、この言葉はこういう意味で使っている、といったことを補足したりして話を続ける。意外とそれでもさらにその先の話に食いついて、その話を続ける人はいる(正直、驚いているが)。

こういったら理解しやすいかな? 違和感や嫌悪感はないかな? と思いながら使った言葉が、想像よりずっと素直に受け取ってもらえたり、拍子抜けするくらいに受け入れられたり、逆に自分の共通する体験を話し始められることもある。よくよく聞けば、そんな人は、まあまあヘビーな体験をされてきたことが多い。なんだ、お仲間か。危惧する必要はなかったのね、などと思いながら、もう少し突っ込んだ話をすると、相手の聞く耳がさらに開くのが分かる。真実かどうかをご自身で確認して、自分の経験にしてくれると嬉しい、と思う。

一つの言葉でも、人によって、どういう意味で使っているかが違ったりするので、「この意味のことをこの言葉で言っています」、という確認さえ随時すれば、お互い信頼感で、話がグッと進んでいきやすい。前提が共通になると、支え合い、確認できることで、さらに進む。

傷や悲しみや抱えてきたものがあるからこそ

本当に面白いなあと思う。霊性を求めている人に、大変な経験をした人は多い。わらをもすがる気持ちで、いろんなことを試したりもしたのだろう。自分なりに考えたり、試してみたり、取り入れたりした結果として、なんとかベストを探して保たれている人たちなのだなあと思う。

それぞれに歩んできた道はヘビーだったとしても、その結果、真実を求めているとしたら、やっぱりその道は必要なものだった。そんな経験が引き金となって真実の答えを求めているのだろう。私たちはちゃんと、計画通りに動かされ、求めることで、真理に近づいて来たのだ。「こうやったらしあわせになれる」と思っていたものを、全てひっくり返し、全て捨てる真理にたどり着くには、ヘビーな経験こそが、きっとかなりの仕事をしてくれるのだろう。

大変な道を通ってきた人も、トラウマを抱えた人も、宿命と思えるものを背負ってきた人も、大きな傷がまだ癒えていない人も、それから生きることが大変だった人も、その経験をされてきたあなたに、私は頭を下げて心から尊敬するし、生きてここまで来てくれて、ありがとうと思う。

あなたが求める限り、これまでの経験の意味に気がつき、傷も、罪も、失敗も、すべてが自分に存在しない感覚を必ず味わえる。どのタイミングやどの段階でそれをするかだけが、それぞれの自由意志で決められるけれど、私たちは必ずそこに到達する。

わらをもすがる体験をしてきた人たちは、求めているからこそ、人より早くつかむのだと思う。求めては失望した体験が、本物を見抜く実力もつけてくれたのだ。私は世界を変える必要はないと思っているけれど(だって、幻想なのだから)、幻想を超えた真実を分かち合える存在が増えることは嬉しい。真実に戻った時、私たちは区別がない唯一で特別な存在として、途方もない恩恵を味わっている。

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