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ゴールに着いてもしあわせがないとしたら?

頑張る理由

あなたは何を目標に頑張っていますか?

ステイタス? キャリア? お金? 家族? 健康?

私たちは、性質上、向上したいと願いを持っている。幸せになりたいと願う。今の自分が幸せだと思っている人も、さらにしあわせになりたい願を持つし、こうなったらもっと幸せになるはずだという図があるはず。それを実現することを目標に、私たちは現在を頑張っている。

頑張っている人にこんなことを言うと腰を折るようで申し訳ないのだけれど、それでも、もうそろそろ、私たちは真実から目をそらしてはいけないと思うのだ。真実とは何か? それは、ゴールにたどり着けばしあわせがあるという前提は、幻想だということ。

追い求めてもしあわせは手に入らない

しあわせはどうやらそこにはないみたいだ。キャリアを手に入れても、人より富を手に入れても、麗しい恋人を手に入れても、人の羨むような職を手に入れても、私たちはしあわせを手にし続けられない。いつもそこには一瞬の高まりや、一瞬の満足感だけで、思ったようなしあわせは続かない。一見幸せに見える人はいる。しあわせは外見からは見えないし、私たちは自分がたどり着いていないから、そこがしあわせそうだ、という幻想から離れられない。そこにたどり着いても、さらにしあわせを求めるゲームになっていることに気づかないふりをする。

運よくゴールにたどり着けたとしても、私たちはまた探すのだ。永遠にしあわせになれる方法を。さらに幸せになれるだろう条件を探して、それが叶えばしあわせになれると思う。今は何かが足りないから十分にはしあわせでないのだと思って、足りないピースを埋めるために、また探す。

しあわせはどこにある?

永遠に繰り返しだ。ようやくピースが見つかったと思っても、まだ足りない。そのうちピースの希少性が上がったりして、自分がしあわせでないのは、そのピースが手に入れられないからだと思い込む。手に届かないような条件を付けたりして、しあわせになれないことを正当化する。私には分不相応のしあわせを求めていたのだ、などと考えたりする。何か足りない気がするけど、私に何かが欠けているからだ、何かが不足しているから、どこか欠点があるからだなどと考えたりする。力や財力にものを言わせて、補おうとする人もいるし、諦める人もいる。でも、不足感は一緒だ。

いつまで? いつまでそうしている?

どこまで行っても、十分なしあわせはない。だって、これはゲームだから。その先に何かがあるのだと思わせる構造になっている。しあわせを餌に、私たちは探し求めるゲームなのだ。青い鳥は家にいたけれど、このしあわせ探しゲームは「このゲームを降りる」ことでしか、やめられない。

しあわせ探しゲームをやめること

あなたの今生きている世界は、あなたが作っている。嘘だと思うだろうけれど、試しに横の人に「ねえ、学校ってどんなところだった?」と聞いてみればいい。十人が十人とも違う目線で、違う体験をしていることが理解できるだろう。「兄弟ってどんな存在?」「どんな習い事をしていた?」「同僚ってどんな感じ?」みんな答えが違う。出会う人も場所も、見ていたテレビ番組も、そこから受ける印象も違う。同じ人に出会っていても、一方ではお世話好きのいい人で、一方では仕事のできないKYだという感想を持つ。同じものを見ても、見ているものは違い、私たちの生きている世界は、たとえ同じように育った兄弟でもびっくりするほど違う。そして実は私たちにあまり自覚はないが、どんな世界を作っているかという選択肢はそれぞれ自分にある。

もし、十分にしあわせのど真ん中を体験して生きている人がいたら、その人はしあわせを作り出すことのできる人だ。もう十分に自分がしあわせであることを知っている人だ。この世界の幻想を真実として理解している人だ。その人はゴールを持たないだろう。なぜなら、そこへ行く必要がないから。頑張る必要もない、成し遂げる必要もない。正直に言うと、私はまだまだその域にはいかない未熟者なのだけれど、それでも、その感覚は理解できるようになってきた。ゴールのない不安、頑張らない心もとなさ、ゆだねる不安がたまに私の心の隙間に入り込むことはあるが、ゲームに戻ろうとする思考システムを笑って赦しながら、また自分の軸に立ち戻ることを繰り返している。

選択権はあなたにある

エゴは、しあわせがどこかにはあるのだとあなたにささやき続ける。

こうしたら、しあわせになるよ。これがあったら、あなたはしあわせを感じるだろう。こうなったら、理想のしあわせをつかめるだろう、と。

そんな気持ちが、私たちの世界に権力やお金に力を与えている。持たざる者は弱者で、持つものはしあわせに近いと私たちは盲目的に信じて疑わない。

もしあなたが、そこにしあわせはないと知っていたら? ゴールには望むものがないと知ったら? ゴールの先にはまた続いているレース会場が続いていて、そのゴールの先も、またただのレース会場で、ゴールは幻想だと知ったら? 今、あなたは何をする? 必死で頑張るのをやめる? リラックスして、力をほどいて、何をするだろうか? 最初はきっと、放心するだろう。ゲームの前提となる枠組みをほどいて、本当の自分の望みを見つけるには、少し時間が必要だ。いろいろ実験してみるといい。

試してみると、あなたが頑張らなくてもうまくいき、あなたが尽力しなくても状況は展開し、あなたの努力と現実は相関関係になかったことが分かってくる。私たちはうまくいくと、「これがうまくいったのだ」と後出しじゃんけんのように条件付けして理解し、記憶していたことが分かるだろう。そういうゲームだったのだ。しばらくは「ほら、やっぱり頑張らなかったからうまくいかなかった」と条件反射的に思う自分も出てくる。そういう経過をたどることも思い出しながら、実験して、観察してみるといい。本当にあなたが、しあわせを感じて生きていきたいと思うなら、そんな実験をするくらいの寄り道は、そんなに無駄ではないはずだし、やってみると、何が真実なのか、運よく感じられるかもしれない。あなたが、真実を求めていたら、大きなヒントが多分、ある。

世界はあなたによって作られている。ゲームを続行するのも、OFFにするのも、いつでもあなたが選ぶことができる。




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