不登校児と宿題の話
長男たこ、長女ぴこ、次女ちぃは、3人が揃いもそろって絶賛不登校・不安定登校の日々である。
子どもにとっての宿題の重み
長男たこに関して言えば、宿題との死闘は、古くは4年生の頃に遡る。
たこは、5年生の終わりから不登校なので、4年時は真面目に登校していた。たこは当時からゲームとYouTubeに入信しており、親が定めた制限時間をなんとか延長申請できないものかと躍起になっていた。
そして、宿題やったら何分プラス。自主学習を進めたら、さらにボーナスで何分プラス。とプレイ時間と視聴時間を捻出していたのだ。
ゲームをやりたい一心で宿題をこなしていたたこであったが、ある時、下校後、宿題に一切手を付けなくなった。帰ってきて、制限時間いっぱいにゲームをすると、テレビをつけ、のんべんだらりと過ごすようになった。
母はフルタイムで仕事をしており、「宿題やったの?」と聞くに留まり確認もきちんとしてはいなかった。
そんな日々に学校のイベントで『個人面談週間』が催される。母は当たり前に予約を入れ、年に一度の担任との面談に、構えることなく軽い気持ちで出かけて行った。
そこで見せられたのは、空欄のところに付箋を貼られた、ハリネズミのようなドリル。ドリルを振れば、付箋で机が掃けるほど、箒のようになっている“ほうきドリル”(箒と放棄をかけました☆)に驚愕した。
「ほとんどやってねぇじゃねぇか!!」
母が家に帰って、たこを問いただす。寡黙なたこはうつろな目を床に泳がせている。夫も含め、家族会議になった。
「宿題は、自分の学力を上げるためだけにあるんものじゃない。先生との信頼関係にも大きく影響する。約束のものを締め切りまでに提出するって、大人になっても必要なスキルだと思うんだ。だから、宿題はやろう。」
今思えば、会議とは名ばかり。親の意向を押し付けるトップダウンな話だった。
たこは根が真面目なので、話し合いのその日から嫌々宿題に取り組み始めた。
数日後の朝。登校時間になり、たこが布団から出てこない。
「おれ、学校行かない。」
理由を聞くと、『宿題をやっていない』ということだった。
母は、「そんなもん、学校行かない理由になるか!やらなかったのは自分の責任!できませんでしたって先生に謝るしかないだろ!!遅刻の方が迷惑かかる!!行け!!」
と捲し立てた。
ぽろぽろと大粒の涙を流すたこに、夫が寄り添う。
夫:「たこは、どうしたい?」
たこ:「宿題やりたい。」
夫は登校班に乗れない連絡を班長保護者にラインした。そしてたこの宿題に付き合い、学校遅刻となったたこを、車で学校まで送って登校させた。夫自身も遅刻をして出勤した。
あのエピソードから2年。たこは不登校になり、先生はドリルに付箋をつけることをやめた。シワひとつないぺかぺかなドリルを、学期のはじめに渡され、シワひとつつかないまま、学期が巡っていく。
宿題による自信の爆下げ
長女ぴこは、ルールを守りたい女の子である。ぴこがまだ学校に行っていた頃、宿題は楽しんでやっていた。決められたことをやって、褒められるのはぴこにとって心地よいことだった。
ぴこのクラスでは、宿題が目に見える形で評価されていた。
その日の宿題優秀者のノートが花丸付きでコピーされ貼りだされていた。
キレイに漢字が沢山かけました!算数の計算全問正解!定規を使っての筆算が素敵です!など、先生のコメントもついていた。
ぴこは「ぴこも、宿題、貼りだしてもらいたいんだ!」
と張り切っていた。書いた文字が曲がって見えたら、消しゴムで消して神経質に書き直していた。
デリカシーの無い母は、「そんことやってたら終わらないよ?字は相手に伝わればそれで良いんだから。読める読める!!大丈夫!」
と頑張りたい娘に、水を差すような声をかけていた。
しかし、努力の甲斐なく、ぴこが長時間かけて書いた宿題のノートが貼り出されることはなかった。ぴこは段々と自暴自棄を起こし始めていた。
「どおせぴこは、頑張ったってだめなんだ。こんなこと無駄だ。」と。
同じようなタイミングで、授業参観があった。授業内容は『得意なこと発表大会』というものだった。その中には習字を披露する子がいた。書道を習っているのだろうか。大人も感嘆するほどうまい。ぴこは、友だちの書字に驚く母の顔と自分の字を見比べて、色々感じていたのだろうな、と今になって思う。
ぴこは宿題に取り組まなくなった。
のちに不登校をきっかけに受けた検査で、『目と手の供応作業が苦手』という書字障害のような特性があることが分かっている。
大量の課題の重さと、進度の重さ
次女のちぃは、兄たこと、姉ぴこが安定して不登校になってから小学校へ入学している。保育園より楽しくなさそうだ。どうやら怖いところらしい。ということを家庭の中で感じながら日々過ごしていた。
といっても、ピカピカの1年生のちぃは、1学期は学校に行ってみた時期もある。しかし、兄姉に倣って、もれなく行き渋っていた。
教室になかなか入ることが出来ないちぃ。遅刻して登校しているので担任ともなかなか会えない。そして、ちぃは初めての夏休みを迎えた。
母とちぃは、終業式の後、学校へ出向いた。
「1学期お世話になりました。って、ちゃんと言おうよ。」
と母は子どもたちと話していた。
各担任に挨拶をして、使いもしなかった鍵盤ハーモニカやら、植木鉢やら、体操着やら、3人分の重たい荷物を持ち帰る為、車に積み込んでいた時。
ちぃの担任から、
「これ、ちぃさんの分です。」
と厚みにして3センチほどのプリントの束を頂いた。
たことぴこは、不登校になってから長期休みを何度も経験しているので免疫があった。しかしちぃは目を丸くした。
こんなにたくさん・・・。
1枚1枚見れば、1年生のプリントだ。1枚につきひらがな1つくらいの難易度でしかない。しかしちぃは、夏休み中、そのプリントの束に手を伸ばすことは無かった。見向きもしない、と言えばいいのか。プリント置き場は家庭の中でタブーな領域になっていた。
母は、「こんなに気持ちが重たくなるもの捨てよう!!」と言った。
しかし夫は、「ここまでみんな進んでるんだね。追いつかせてあげたいよ。」としみじみ言って、どんどんプリントを積み重ねていった。
宿題は重い。日々こなしているから「めんどくさいもの」で済んでいるんだ。日々こなすことのできない不登校児にとっては、重圧でしかない。
この課題の山を前にして、「よーし!やるぞー!」と奮い立つ人間がどれほど居るだろうか。
宿題は、親と子を煽る。そして『宿題こそ正義!!』と、存在感を家庭の中で主張してくる。溜まりゆくプリント、日々送られてくるクラスルームの連絡。
お願いだよ。そっとしておいてよ。そこに割ける力があれば、学校行ってるよ。
学校現場と宿題
先日、不登校支援を長年している民間団体の講演会に参加した。
コロナ禍で不登校が激増した話に始まり、コロナ明け、子どもが学校に行けなかった理由に『宿題が終わってない』という理由が、思っている以上に沢山あった。という話だった。
❝担任が「あぁ!それなら、やんなくてもいいよ!そんなこと気にしないで学校おいで!」と一報連絡を入れた❞だけで、スルリと不登校が解決した事例が沢山ある。ということだった。
現場の先生の声としてもインスタだったか、こんな話を聞いたことがある。
「本当は休み時間に子どもたちと遊びたい。けれど宿題の添削に追われてしまう。本当はもっと子どもの目を見て話ができたらいいのに。」と。
宿題は、本当に必要だろうか。
宿題で果たして学習意欲が上がっているのだろうか。
『学ぶ』ってそもそも何だろう。
宿題は必要だ!!と声高らかに言う人がいたとして。
私はその人に問いたい。
「宿題は、本当に“学び”になっていますか?」と。
「宿題に使う時間は、本当に“人生を充実”させていますか?」と。
自分への教訓
プレッシャーが行動の理由になってはいけない。
子どもの学びってなんだろうって真剣に考える。
学校で生きずらさを抱える子どもたちのために何ができるのか。 たこ・ぴこ・ちぃだけではなく、不登校児の安心できる居場所づくりの資金にしたいと考えています。