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IBSの最大の敵は環境の変化?意外と大丈夫だった海外生活

こんにちは!腹痛のヒーロー  ストマックエイクです。

おなかがよく痛くなる人にとって、新しい学校生活や就職・転職など、
「環境の変化」に対してかなりストレスを感じますよね。
人によっては、全ての判断の基準がお腹の調子によって決まると言うこともあるでしょう。もちろん私もそのうちのひとりでした。

今回は、小中高とIBSに苦しめられたそんな私が、
環境の変化がなんぼのもんじゃい!と言わんばかりに、
勇気を振り絞って、海外へ留学してみたお話しです。
少し長いですが、克服のヒントになれば嬉しいです。

いつもお腹いたいのに大丈夫?周囲からの危惧

さて、いつもおなかが痛いみなさんは「旅行」って聞いていかがでしょう?
あまり良いイメージを持っている方って少ないと思います。
だってトイレ事情が全くわかりませもんね。
不安で不安でしょうがないですよね!
それが長期滞在となるともう訳が分かりませんよね 笑

そもそもなぜ海外留学を決意したのか。
それは、高校3年の就職や進学など進路をちゃんと考え出す時期でした。
私の高校は進学校だったのでおおむね大学進学。
少数は就職するような高校でした。

当時の私はなぜか大学進学も就職もあまり興味がなく、
なんて言いますか、もっと「大きな変化」を求めていました。
IBSであることが理由ではありませんが、
IBSがその思考の根底にあったのかもしれません。

環境は変われど、同じように授業を受け、
友達との出会い、同じような遊びをし楽しく過ごす。
で、そのまま大学卒業して就職。
そしてその先には、また同じような腹痛とのたたかいが始まると考えると、
同じことの繰り返しで、明るい未来が全くみえなかったのです。

そこで私が行き着いた高校卒業後の進路は「海外留学」でした。
本当に思考回路が単純ですよね。
とはいえ地元はまぁまぁ田舎で、周りに留学なんてする人はほぼいませんでした。

周囲に相談すると、
友人には「お前それマジでいってんの?無理でしょ 笑」
母親には「お腹大丈夫?本当に心配・・・」といった具合に、
背中を押してくれる人はあまりいませんでした

それでも、周囲の意見は無視して高校卒業し1年間アルバイトして、
留学費を少しでも貯蓄し、準備を進めました。(じゃあ相談するなよ) 

第一の関門。8時間のフライト

話は飛びますが、約1年間の準備期間を経て、いざ出発の時がきました。
留学先はカナダのバンクーバー。明日からカナダ。
非現実的すぎて、気持ちの整理が全くついていませんでした

そこでまず頭によぎったのは8時間というフライトの長さでした。
考えるだけでお腹が痛くなったのを覚えています。
搭乗するまでの時間は、ほぼトイレにいました
不安で不安でしょうがなかったですね。

そして定刻通り飛行機は出発するのでした。
「あー。機内でおなか痛くなったらどうするんだろ。」
そんなネガティブな事も考えつつ、
映画でも見ながら長いフライトを過ごすのでした。

幸いフライト前にトイレにこもっていたおかげで、
奇跡的に機内食もなんの遜色(そんしょく)も無く、
ドキドキワクワク?なフライトを終えるのでした。 

第二の関門。到着から空港を出るまで

ということで、長いフライトを終え、
無事バンクーバー空港に到着し飛行機から降りるのでした。
恐る恐る空港を歩きながら、まず私の目に飛び込んできたのは、
入国審査を待っている長蛇の列でした。

ディズニーランドかよ!と言わんばかりの長蛇の列。
何も知らない私は、とにかく列に並ぶのですが、
さっそく最初の試練が訪れました。

20〜30分くらい並び続け、私はある一つの事に気付きました。
「あれ?みんななんか白い紙持ってるな。なんだろ」
そう、周りのみんなが持っている「白い紙」とは「出入国カード」です。
一人で渡航するのが初めてだったという事もあり、
すっかり「出入国カード」の存在を忘れていたのでした。
機内で配られたものを置いてきてしまったのです。

もちろん出入国カードがないと入国できるはずがないので、
一度列から外れて記入するために戻りました。
記入を終えるとまた列の最後尾から並ぶのでした。すでに30分のロス。
幸先が本当に悪い。誰にも頼れないってこういう事なのかと痛感しました。

そして無事入国審査が終わり、次にやらなければいけないのは、
移民局(イミグレーション)でのビザの発行です。

もうどこに行けばいいのか、何をすればいいのか、
わたしは誰なのか、さっぱり。正直もう帰りたかったです

到着してまだまもないというのにホームシックMAX状態
そのまま帰るなんてまずありえないので、一旦深呼吸。
「失敗は成功の元」と自分に言い聞かせ、
とにかく中学生レベル(今だと小学生レベルかも)の英語で空港のスタッフにとにかくききまくるのですが、
質問を返されても全然わからないので、
とにかく「Yes」か「Thank you」というしかありませんした。
1年の準備期間で、少しくらい勉強すれば良かったと後悔するのでした。

結局、空港から出るのに2時間もかかってしまうのでした。
 

第三の関門。ホームステイ先とのコミュニケーション

ようやく空港から出ることができ、
出口には現地のエージェントの方達が待機してくれていました。
2時間近く待たせてしまったため、かなり険しい表情で、
「大丈夫!?」といい、私を心配してくれていたのでした。
現地にいる初めての日本人だったので、涙が出そうでした

そのまま車でホームステイ先に案内してくれるそうで、
目の前で起きていることの整理がつかないまま車に乗るのでした。

車で約1時間。ホームステイ先に到着したようでした。
大きなスーツケースと、スーツケースより“お荷物”である私は、
車から降り、ホームステイマザーと初対面をするのでした。
ホームステイマザー「Hi! I'm grad to meet you!」(多分こんな感じで言ってた)
わたし「Hello.....」(以上!ボキャブラリーはゼロ!)

で、エージェントの方がマザーといろいろ話したあと「じゃ!頑張って!」
わたし「え?どっか行っちゃうの?帰るの?うそでしょ!?」と心で訴えかけるのでした。

とうとう始まったしまった俺の海外生活!引き続き放心状態の私。
そんなこんなで、家族への紹介も終わり、よくわからないレシピの夕食をすまし、とにかく寝てその日は過ごしました。
時差ボケもあったのか死んだように眠ったのを覚えています。 

第四の関門。学校までの道のり

海外生活の初日を終え、次の日にマザーが何か言ってきました。
マザー「学校へいく道のりを教えるわよ」(多分こう言ってました)

言われるがままに車に乗り、
一通りバス停の場所や乗り方や説明を受けるのでした。
が、全く分かりませんでした。もうおわた\(^o^)/

学校までは、バスにのって「ダウンタウン」にいくのですが、
家を出て「右に行くか左に行くか」すら分かりませんでした。

そして次の日を迎え、学校へいく初日の朝、
マザーにランチが入った紙袋を渡され、家を出るのでした。
そう、本当に右も左もわからないまま。

案の定、右か左か最初の二択をはずし
バス停とは逆の方向に向かうのでした。
歩いても歩いてもバス停はありませんでした。(そりゃそうだ)

途中歩き疲れて喉が乾き、自動販売機を探すのでしたが、
なんと自動販売機がない。日本ならそこらじゅうにあるのに、無い。
海外生活で一番最初のカルチャーショックでした。

道中でマクドナルドの看板はあれど、注文することが怖く、
喉の渇きをうるおすのは諦めました。同時に学校へ行くのも諦めました。

いや、学校は意地でも行こう!と
真っ二つどころか、粉々に砕け散った心をかき集め、
とりあえず学校にだけは行く事にしました。

もう家にも戻れないし、戻り方もわからない。
「人に道をたずねるしかない」と決心し、
行き着いた「スカイトレイン」の駅にある売店のおっちゃんに
ダウンタウンの行き方を手元の地図を見せながら身振り手振りで聞くのでした。

幸いにもスカイトレインは終着駅がダウンタウンとのこと。
結局スカイトレインに乗ってダウンタウンに向かうのでした。

行き方を聞いたついでに、売店に売っていたコーラを買いました。
持っている小銭がいくらかわからないので、100ドル札を出しました。
「飲み物買うのに大金出すんじゃねぇ!」と言わんばかりにキレるおっちゃん。
こわいこわい。海外の人はこんな事でも怒るのか。
2つめカルチャーショックでした。
恩を仇で返してしまうのでした。(おっちゃんホントごめん)
しかし、コーラの味は感動的にうまかったのを覚えています。

少し疲れも回復したところで、無事、ダウンタウンに到着したのでした。
もうすでに最初の授業がはじまっている学校へ向かうのでした。
しかしここで次の試練が訪れました。

最終関門。海外生活ではじめての腹痛

さっきガブ飲みしたコーラのせいで、おなかが痛くなってきました
疲れも相当溜まっていたのでしょう。やっと良い方向に事が進んできたのに!
もう感情の起伏が激し過ぎてヘトヘトでした。

しかし、そんなことすら考える暇も無くトイレへ急ぐのでした。
「これじゃあ日本でやっとることと同じじゃないか!」と言わんばかりに、
デパートのトイレへ駆け込み、もがき苦しむのでした。

おなかのトラブルは小慣れたものです。
海外であろうとトイレまでの道のりは常に最短ルート
長年の腹痛生活で一つの能力を身に付けたみたいでした。
無事ようをたし、行き方の知らない学校への道のり急ぐのでした。

土地勘も何も無いので、また道を聞かなきゃと、
マウンテンバイクに乗っている優しそうなお兄ちゃんに、
先ほどと同じように地図をみせ「ここに行きたい」と指を刺し伝えました。

優しい兄ちゃんは、丁寧に教えてくれました。きっと。
とりあえず、最初の道だけは把握したので、
あとは「また迷ったら聞けばいいや」と言われた方向へ進むのでした。

いろんな道を行ったり来たりしながら、また道を聞こうとしたその時、
なんとさっき道を聞いた兄ちゃんと鉢合わせてしまいました
兄ちゃんからしたら、なんでここにいるの?状態です。

私は恥ずかし過ぎて、猛烈ダッシュで逃げるのでした。
やってる事クズですよねホント。(優しい兄ちゃんも本当にごめんなさい)

で、嘘のようですが、その走った先になんと学校を発見。
ここ見たことある!ここだ!なんともドラマチックな展開。
やっとのこと学校にたどり着いたのです。

いろんな人に迷惑をかけたかもしれませんが、
無事自分のミッションを達成?することができたのです。


大事なのは、周りに頼ってもいいということ

あまり腹痛とは関係のない内容もありましたが、
お腹が痛いことは本当に辛いですよね。
でも、もっと辛いのは「選択肢が少なくなること」だと思います。
些細なことでもいいので周りに頼ってみましょう

IBSの人は「どうしよう、話かけたら迷惑かな・・・」といった具合に、
心配症で神経質な人が多いです。

しかし自分がやりたいこと、叶えたいことがあるのであれば、
多少は周囲の力を借りることも必要でしょう。
そもそも自分一人で何もかもうまくいく人なんていないと思ってます。

ハードルも下げていきましょう。目の前のことを実行する事に意味があり、
自分のペースで少しずつ達成していけば、
いつかはみんなに追いつきそして、追い抜くこともできるはずです。

みなさんが人生の選択をIBSに左右なくなれなくなることを祈っております。
最後まで読んでいただきありがとうございました。

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