見出し画像

北欧食器と長い友だち−2

 Herne写真部、カメラマンの本多晃子です。前回は、わたしが北欧食器と日常を共にするきっかけをお話ししましたが、今回は、そうすると心に決めたお話です。

 10年ほど前に母が急逝し、そのさらに30年前にはすでに父も他界していたので、実家は無人となりました。しばらくは、遺された者としての気持ちの問題もあり、あえてそのままの状態にしていたのですが、数年が過ぎたところでいよいよ重い腰を上げて遺品整理をすることに。そう広くもないマンションで、母も定期的にモノの整理などもしていたとはいえ、やはりかなりのモノの量がありました。
 中でも、食器をどうするか、には、ずいぶん悩みました。一人暮らしたったにも関わらず、近くに住んでいた弟一家がよく遊びに来ていたこともあって種類も多く、また、昔ながらの感覚なのかもしれませんがほとんど全て、5組セットくらいで揃っているのです。丈夫でがっしりした天井まで届きそうな高さの食器棚に、びっしり。さらに、押し入れの段ボールからは、わたしたちが子供の頃から使っていた馴染みのある食器類なども出てきましたが、懐かしい、というだけで、使い古しだし特に名のあるブランド物でもなし。どうしても捨てるにしのびないものだけピックアップして、あとはまとめて廃品回収業者さんに泣く泣く処分してもらいました。

 その時に、選別しながら考えたのです。その頃はすでにもう初めてフィンランドに出かけていた後で、「ああー、これが北欧食器とかなら、古くても、いくらでも欲しい人がいて、貰ってくれるのに・・・・」と。
北欧食器は、丈夫で食洗機や電子レンジにも使用可能(もちろんモノにもよりますが!)、長く定番のデザインが多いので、シリーズで数を揃えていたものが破損しても再び買い足せる、またそのデザインもシンプルで飽きがこない、ファンが多い、などなど。
母親の遺品整理をしながら、自分の先々にまで思いを馳せて(つまり終活的思想)、これからは自分で買うならARABIAかiittala!と、決めてしまったのでした。わたしがいなくなっても、きっと行く先がある。使い捨てにならず、形ある限りどこかで大切にしてもらって、その日常を彩れるはず。私の思い出からその人の思い出へと、参加できるはず。そんな想像が、北欧食器とわたしをより長く結びつけ、日常を物語として紡ぐ一端となっているのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?