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【小説】警戒電脳奉納大祭・慰界(いかい)ノ警崩(けいほう)


Ⅰ.はじめに

本作は警戒ブロオドキャストCHERRY 様(愛称:警戒ちゃん)からの有償依頼として執筆致しました。

8/27(日)の21:00からVRSNS"cluster"で開催された音楽ライブ、『警戒電脳奉納大祭2023年夏の陣』をモチーフに、『警戒荘』に関する様々な設定を盛り込みながら執筆しました。

古き良き和と電脳が融合した演出の数々、エネルギッシュで爽やかな歌声、痺れるような重低音など、とにかく圧倒されるモノばかりであったライブを、是非YouTubeアーカイブでもご覧くださいませ!


Ⅱ.小説本編『警戒電脳奉納大祭・慰界(いかい)ノ警崩(けいほう)』


 電車の席に、くたびれたスーツの青年が唯一人。寂し気なレールジョイント音以外は、不気味な静寂に包まれている。窓ガラス一枚隔てた外界は、暗闇に支配されていて、街灯はおろか星明かりすら存在しない。

 青年の名は坂斉結人さかせいゆいとと言う。

 就活に失敗し、奨学金返済のためブラック企業勤めを余儀なくされ、心身ともに疲弊している新社会人。大学時代に所属していた都市伝説研究会のメンバー以外に友人はいない。その友人たちでさえ、都市伝説をまとめブログで有名になったり、早くも結婚して幸せな生活を送っているなど、坂斉にとって遠い存在となってしまった。

 ただでさえ辛い現実に耐える日々だというのに、ここ数日は特に上司や同期からの罵詈雑言がひどく、おまけに今日は土曜出勤まで強いられてしまった。昼過ぎに上司から「仕事辞めちまえ!」と罵られた際、ついにストレスが限界に達した坂斉は、「じゃあ辞めます!」と怒鳴って無断退勤してしまった。

 しかし彼は、真っすぐ家に帰ることはなかった。坂斉は実家暮らしだが、仕事を辞めたと言ってしまえば、両親から殴り飛ばされるのが目に見えている。名門とは言えない私立大学に入るにあたり、返済が厳しい額の奨学金を背負っているからだ。しかも、大学時代に遊び惚け、何度も両親にお金を無心していたせいで、両親からは愛想を尽かされてしまった。

 彼には居場所がない。だから衝動的に、行先も分からない電車に駆け込んだ。どこまでも逃げてしまいたい一心だった。

 行先も分からない電車に駆け込んで最初の二時間、坂斉は放心状態で電車に揺られていた。時間が経って、何か覚悟を決めたようにスマホを取り出すと、アングラサイトをネットサーフィンし始める。


(あの頃に戻りたい……)

 彼にとってアングラサイト巡りは、学生時代の思い出の再現であった。都市伝説研究会に所属していた彼は、友人とよく都市伝説に関する情報を探していた。懐かしさで胸が締め付けられ、思わず涙が出そうになる。だが坂斉は、当時よりも更に過激な行動を、アングラサイトで起こそうとしている。

 物騒なショッピングサイトや、恐怖動画、反社会的な業者のサイトなどを閲覧すること数時間。今は都市伝説に関するWEBサイトを眺めているところだ。

 例えば、薬をカートに入れ、購入確定ボタンを押す寸前でブラウザを消したり。坂斉は越えてはならない一線の手前で彷徨っている。何とか楽になりたい彼は、半信半疑で都市伝説まとめサイトの実行手順を、片っ端から実行していた。意識が朦朧としていて、自分でも何をやっているのか分からなかったが、「これでやっと楽になれる」という淡い期待で、後ろめたい安らぎを噛み締めることができる。あるいは、防衛機制としての退行を実行するため、学生時代の行動を繰り返しているのかも知れない。


 キイィィィーーー……。

 突如響いたのは、金切り声にも似たブレーキ音。坂斉はスマホを取り落とし、思わず両耳を手で塞ぐ。徐々にブレーキ音が小さくなり、すぐに無音になった。

 我に返った坂斉は、おもむろに立ち上がり、周囲を見回す。今更ながら、自分以外の人間が誰も居ないことに気が付いた。彼が居るのは先頭車であったが、運転士すら見当たらない。死んだような目から、見開いた目になって、あちこち見回す。

 やがて、プシュウゥ……と音を立てて、ドアが勝手に開かれた。外界、すなわち暗黒の世界には、無人駅があった、駅名標には、解読不能で『文字化け』したような言葉が書かれている。

「だ、誰かいませんか」

 坂斉は声を張り上げたが反応はない。電車のドアは閉じる気配はなく、坂斉は十分程度立ち尽くしていただろうか。

(もしかして、きさらぎ駅……?)

 都市伝説研究会で何度話題になったが、ひょっとしてここはあの駅なのか? きさらぎ駅とは、現実世界には存在しないはずの無人駅であり、迷い込んだら脱出が難しい異世界にあるという。記憶が正しければ、駅名標には「きさらぎ駅」と読める文字で書かれているはずだが……。ここはきさらぎ駅に似た、また別の異世界なのかも知れない。

 焦りからか、恐怖からか、はたまた異世界に逃げ込むことができたという安堵からか、坂斉は電車を降りることに決めた。いざプラットフォームに降り立ち、その場で振り返ると……乗って来たはずの電車が忽然と消えていた。代わりに、木々に覆われた丘に、複数の鳥居が立っているのが見えた。夜の鳥居とは、心霊現象を予感して恐怖を感じるものだが、この時は違った。

 呼んでいるのだ。何ものかが。言葉で言い表せない、何かが。聴いたこともない音が、彼を招いている。祭囃子や、縁日の太鼓、それらに混じって、くすぶった雷鳴のような電子音すら聴こえる。それは不思議と安心感をもたらした。坂斉の魂が、本来あるべき場所に戻って来たとさえ感じる。

 暖かな炎に誘惑される蛾のように、坂斉はフラフラと歩き出した。「!」マークの警戒標識のそばを通過し、石段を登って数ある鳥居をくぐる。刹那、「おかえり」と快活な少女の声に囁かれた気がした。


  ◆ ◆ ◆

 石段を登りきると、小さな広場に二つの屋台と水盤舎があった。いくら見上げれば満天の星空と云えども、大した照明がないにもかかわらず、なぜか真昼のように明るい。

 看板には花火大会らしきポスターが掲示されているが……「夏祭り」と辛うじて読める他は文章が「文字化け」していて、浴衣姿の少女はQRコードが描かれた紙を顔に張り付けていて、得体が知れない。いくら都市伝説の類が好きだと言っても、予備知識が全くない状態だと流石に怖かった。

「あれは……?」

 広場の奥に目を遣ると、坂斉は思わず声を漏らした。ここから更に二つの鳥居をくぐると、いよいよ神社の境内であった。

 狛犬の代わりに、丸っこいペンギンの石造が両脇に二つ。鬱蒼とした森との境界をなぞるように、石灯篭がずらりと立ち並ぶ。向かって左には社務所、右にはおみくじ掛け、やはり屋台もいくつか設置されており、緋色の布が敷かれた縁台もある。

 どこからともなく響く、愉快な祭囃子。跳ね回るように弾かれる弦楽器、空を旅するように余韻を残す吹奏楽器、大地を踏みしめるような打楽器。ここでもやはり、雷鳴というか、電子楽器が時折響いてくる。和風の暗い森に不釣り合いな賑やかさに、坂斉はどことなく恐怖すら覚えた。

 本殿らしきものは見当たらず、(恐らくは)拝殿のみが中央に存在している。拝殿の前にある正方形の台には、赤の敷物が敷かれている。巫女が神楽を舞うための舞台なのだろうか? 空中に浮かぶ二つの動画。科学的に解釈するなら、機械で空中に投影された動画。本能で感じるなら、霊力で実体化された思念。

(なんだここ……お祭りなのか?)

 坂斉は困惑しながら四方八方に目を遣った。境内を歩き回る、様々なモノ。浴衣を着た人間はごく少数。帯刀し武者鎧を装備した狼人間や、幼児ほどの背丈な二足歩行する小動物。はたまた、デフォルメした造形のロボットや、巨大な一つ目の全身黒い存在まで闊歩している。

 どうも人間とは思えない存在も多数いるため、坂斉はできる限り目を合わせないよう、矢継ぎ早に一体ずつを確認していく。だが、ふとした拍子に何度か彼らと目が合い、時には首を傾げられたりもしたが、襲って来ることはない。それどころか手を振って挨拶してくれるモノもいる。

(意外と……友好的?)

 坂斉は戸惑いながらも、手を振り返すなどして挨拶を返した。異世界に迷い込み、孤独死したという都市伝説もいくつか聞いているが、友好的なモノと出会えたから、多分その心配はなさそうだ。


 突如、拝殿と舞台が沈む。坂斉は、自らが空中に浮かび上がったかと錯覚し、慌てて両足を動かす。靴裏から反発力を感じたので安心する。どうやら地面ごと境内の中央が沈んだらしい。

 間もなく、舞台に光の立方体が現れる。境内で右往左往しているモノたちが立ち止まり、すぐに静寂が訪れる。光の立方体は少しずつ透けて、しまいには弾けると――舞台に立っているのは、一人の少女だった。

 彼女は狐耳を持っていた。きっと向かい風を浴びれば、爽やかに浮かび上がるような、ウェーブのロングヘア。地毛は茶髪と思われるが、ポイントカラーとして所々が鳥居のように赤く染め上げられている。

 着ている服は、巫女装束と言うよりは、黒を下地にした金色に輝くサイバー風の衣装。ネオンライトのように、虹色のラインがいたるところにあしらわれている。膝下まで伸びた裾は、ドレスのように流麗に靡く。光そのものを纏うような、浮世離れした衣装である一方、露出された真っ白な首元や太腿がなんと眩しい。

 坂斉は現れた少女に見惚れていた、たったの二、三秒間は、幸せな走馬灯を見せつけられているように、数分間の出来事のように感じた。

 やがて、舞台の後部にあるスピーカーから音楽が流れ始める。ピアノの前奏、それからの音色については、あえて喩えるなら、クラブで流れるような重低音が震えるかのよう。メロディアスな高音は、ある種鈴よりも澄んでいる。

(ラ、ライブ……?)

 思わず坂斉が一歩退くと、あらゆるモノたちが握っている鈴を鳴らしたり、惜しみない拍手を少女に送る。坂斉は彼らの真似をして、とりあえず拍手をする。自分だけ浮いてしまって、白い目で見られたりしたら恥ずかしい。それに、黙って同調圧力に従わないと、怒った魑魅魍魎に襲われるかも知れない。まだ彼らに対して警戒するに越したことはない。

 ――ネオンライトのように次々と、歌詞が彼女の背後に浮かぶ。漢字、ひらがな、カタカナ、近未来の都市の標識に描かれるようなフォント。主に白色、時に赤や緑色に染まって、歌の進行に合わせて縦横無尽にアニメーションする。機械だろうが霊力だろうが、どちらだとしても、文字と歌詞のアニメに寸分の狂いがなく、神業であると疑う余地はない。

 そして奇妙なことに、彼女の声を聴くと元気が出る。エネルギッシュで、青空のように透明な少女の声で、ラムネを味わうように微かな刺激、そして可愛いらしさが癖になる。実際に彼女が上下に身体を弾ませているように、無邪気に軽快なスキップをしているような心地になれる。


 気が付けば、境内は不可思議な光に包まれていた。それこそクラブのように、カラフルな四角形の光が、地面を回転し、つむじ風のように境内を包む。鬱蒼とした森から切り離され、異世界へと旅立つように。両手を広げて天を仰ぐ少女――あるいはご神体と共に。

 坂斉は圧倒されていた。人ならざるモノたちが熱狂している。自分と同じ姿形の人間らも含め、歓声を上げたり、拍手を打ち鳴らしている。未だ異世界への恐怖が拭えない坂斉は、それを何かに対する狂信の儀式にすら思えたが……。

「……楽しい」

 坂斉の口から漏れ出た、無意識下の事実。周囲で熱狂している人間、そして魑魅魍魎たちの気持ちも、なんとなく分かる。人間は多かれ少なかれ、悩みが尽きない生き物だ。きっと魑魅魍魎にも悩みはあると思う。自分以上に闇を抱えた人間はいないと坂斉は自負しているが、そんな自分でさえも楽しいと感じるなら、他のモノたちが楽しくない訳がない。


 そうして曲を歌い終えた彼女が、明るい声を発した。

「おはよう! 警戒荘へようこそおかえりなさい! 警戒ブロオドキャストCHERRYこと、警戒ちゃんでーす!」

 片手を頭よりも高く上げ、指と視線をあちこちに向けながら、挨拶する警戒ちゃん。「警戒ちゃーん!」という音が坂斉の頭に流れ込んだ。正体不明だが、声にならない声が頭に響いたのだ。

(警戒ちゃん、か……)

 変わった名前だな、と坂斉は思った。そう言えば、最初の鳥居のそばに警戒標識があって、妙に身構えてしまったが、あれは一種の表札でもあるのだろうか。

「本日は皆さんで一緒に、楽しんでいきましょー!」

 警戒ちゃんが楽しそうに喋っている間、境内のあちこちで浮遊する数々のカメラからは、シャッターを切る音が次々と聞こえた気がする。せっかくだから、坂斉もスマホを取り出し撮影しようとした。異世界で撮影した写真と銘打ってSNSで投稿、バズってしまえば、都市伝説研究会の友人たちも、見直してくれる可能性がなくはない。

 だが、スマホの待ち受け画面がひどいグリッチノイズで埋め尽くされて、坂斉の操作を受け付けない。辛うじて画面上部のアイコンが視認できるが、電波マークは最大と圏外表示を交互に繰り返し、特定不明のWi-Fiと繋がっては切断される。思えば、バッテリー容量が100%になっているのは、何時間も充電せずにネットサーフィンしていたにしては、明らかにおかしい。


「続きましては、この曲! Wake-up Call!」

 警戒ちゃんが一瞬背伸びをしながらそう言うと、二曲目が始まった。坂斉は我に返ると、スマホを仕舞って舞台に視線を移した。この異世界で他に行くアテもないし、この安全地帯から動かずにいるのが賢明だ。それに、興味があった都市伝説らしき何かを間近で見られるのを、心のどこかで楽しんでいる部分もあった。

 どうやらその曲は、警戒荘について面白おかしく歌われた曲らしい。さっき警戒ちゃんが「警戒荘へようこそおかえりなさい!」と言っていたからには、多分この境内こそが警戒荘なのだろう。

 ライブが始まる前は不穏な雰囲気だったこの境内だが、曲の方はむしろ軽快で晴れやかな日常について歌われている。星空はすっかり青空に変わっていたが、この明るい空が本来の警戒荘なのだろうか? ラップ調に繰り出される英語の発音が小気味よい。左右に身体を揺らしたり、その場でステップを踏んでいるモノたちを見ると、坂斉のつま先も勝手にリズムを刻みはじめる。


 愉快な二曲目が終わると、拍手と共に光の粒子やハートマークが降り注ぐ。最初は意思疎通ができるか怪しく思っていた魑魅魍魎たちだが、非言語コミュニケーションができるのを何度も目撃したことで、段々と近い存在のように思えた。それが坂斉が抱いている感情を、身振り手振りで代弁するような内容ならば、尚更のこと。

「我はね、この曲ねー、朝に聴くとね、すっごく元気が出るんですよ」

 なんて喋って、照れるように「ハハハハ!」と警戒ちゃんが笑った刹那。一瞬姿が見えなくなると、パッと現れたのは青色のフードジャケットを羽織った彼女だった。オシャレに夢中な思春期のようにフレッシュで、今ドキといった形容詞が似合うファッション。ミステリアスな雰囲気と打って変わったが、坂斉はより引き込まれてしまう。

「なんか皆、結構驚いてくれてる方が沢山いて、すごく嬉しいです!」

 可愛らしい声色で、警戒ちゃんのMCが続く。たしかに、坂斉はさっきから度肝を抜かれてばかりいる。困惑しながらも様子を見ていると、すぐに三曲目が始まった。


 それはキュートな学園生活についてうたわれた曲。時折放たれるガバキック的な低音が快感なアイドルソング。

 ふと思う。ここは本当に異世界なのだろうか? アングラサイトで実行した異世界行きの都市伝説は白昼夢だったに過ぎないのだろうか?

 人も、人ならざるものも、鈴に代わって握ったサイリウムを振っている。「かわいい……!」という声が頭で木霊する。

 坂斉はこのアイドルに、段々と夢中になりかけていた。生まれて初めての『推し』になるかも知れない。坂斉はアイドルという存在があまり好きではない。そもそもアイドルは「偶像」という意味で、冷静で平坦な性格の坂斉は、偶像に現を抜かすのは馬鹿らしいと思っていたからだ。

 ――改めて、ふと思う。彼女は無理に笑っているのではないだろうか。家でも職場でも罵詈雑言を受け、疑心暗鬼に陥っている坂斉は、現実世界でもアイドルの裏の心をつい探ってしまう。あの声も、作っている余所行きの声なのやもしれぬ。一度妄想が始まると止まらない。この異質な世界とは、どう考えてもミスマッチな明るい曲の数々は、無理にでも明るく振舞わなければならない理由があるのだろうか。

 他のモノたちがサイリウムを振ったり、キラキラとした光を放って応援している最中、坂斉だけは警戒ちゃんの笑顔を穴が空くほど見ていた。そうこうしている内に、三曲目が終わり、やはりMCを挟んで次の曲が始まった。

 四曲目、五曲目、ともなると、坂斉の魑魅魍魎に対する恐怖はすっかり無くなった。それにしても、警戒ちゃんの歌う楽曲は緩急様々で、MCで言及されたがその全てがオリジナルソングだという。

 今更ながら、無数の石灯篭がレーザーを放っていることに気が付いた。高度に統制が取れたレーザーたちの動きは、幾何学を織り成し、電子世界ならではの絶景を境内に生み出した。星空は絶えず移ろい、青空にも、宇宙から見下ろした青い地球の景色にも、千変万化する。

 坂斉はまたもや思案する。ここが異世界であることは十中八九間違いない。それでいて、きさらぎ駅とは違う可能性が高い。そして、電脳的なライブ演出の数々を目の当たりにして、一つの仮説が生まれた。ここは待ち望んだ電脳世界なのではなかろうか?

 思い至った瞬間、坂斉はにわかにニヤケ顔になった。決して叶うはずのない、楽園への辿り着けたのであれば、歓喜するのは至極当然。隣の人間は、おおよそ正気とは思えない目つきで「警戒ちゃーん!」と歓声をあげているが、ここが電脳世界の楽園ならば、叫びたくもなるものだ。坂斉は納得したように頷いた。

「警戒ちゃん……!」

 祈りを捧げるように唱えると、坂斉の心の闇が晴れるようであった。坂斉には、光を放ったりハートを飛ばすことはできない。だが、「警戒ちゃん」の一言は、魑魅魍魎たちが霊力を行使するのと同じように、彼に唯一できる応援であり、警戒ちゃんを奉る同胞としての誓いを立てる呪文であった。


 それから六曲目。六曲目は浮遊感に溢れていて、それでいて警戒ちゃんらしいエネルギーに満ちていた。ここ一番の盛り上がりを見せるところで、!マークの形をした光が境内を埋め尽くす。

 たった一時間前の坂斉だったら、光が出現した途端驚愕して尻もちをついていたかも知れない。今の彼は、驚きよりもむしろ感動が勝った。魑魅魍魎の叫び声は、祭りの掛け声、あるいは笑い声のように思えた。文明から隔絶された星空さえ、まるで天上の楽園のように。


「……ん?」

 と、すっかり頬が緩んでいた坂斉だったが、次の出来事ばかりは流石に腰を抜かした。星空が消失し、黒の虚空になったまでは良い。空間の裂け目が次々と飛来しているのだ。裂け目の向こう側には、青空、夕空、その他都市ビルなどが目視できる。

「あぁ~!? すごい、楽しみ過ぎちゃったから! 世界が! 歪もうとしちゃってる!」

 警戒ちゃんが半ば裏声になって叫ぶ。どうやら異常事態らしい。未だ境内は!マークの形をした光で埋め尽くされているが、それらは不安を煽るものになった。

「あ~おかしいなぁ……そんなハズじゃなかったのになぁ……」

 警戒ちゃんが呆然と空を見上げる。人間はもちろん、魑魅魍魎たちですら押し黙って、歪みつつある世界を見上げている。と、警戒ちゃんがハッと我に返ると、周囲を見回しながら強い眼差しと共に訴えた。

「み、皆さんの力を! 是非ぜひ我にください! 皆さん、鈴はお持ちでしょうか!? 皆鈴持ってる!?」

 警戒ちゃんは手を上げつつ、少しばかり前のめりになって、境内入口の石像を指し示した。あのペンギンの石像だ。そこに観客たちが次々と押し寄せ、順々に手を触れると、どこからともなく鈴が現れる。一曲目よりも前から鈴を持っているモノもいたが、あそこで配布されていたのかと合点がいく。

 柄にもなく、集団心理に突き動かされた坂斉も、ペンギンの石像に急行し、触れる。鈴を手に取ると、何とも言えぬ冷たさが伝わって来る。

 徐々に境内によく分からない人影らが発生する。慌てている警戒ちゃんは「ヤバイ、ヤバイ!」と観客たちに鈴を持つよう急かしている。人影……坂斉は、人外よりも人間の方が怖いと思う(この境内にいる人間は別として)。空間の切れ目から見える、忌まわしい都市の景観が目に入ると、トラウマが刺激されて冷や汗をかく。


 ややあって、大半のモノが鈴を手に取った。

「皆鈴持った!? 持ったね! そしたら我に鈴を、鳴らしてください!」

 そう言って警戒ちゃんが観客に背を向けると、白い光の球に包まれる。あの舞台に警戒ちゃんが現れた瞬間と同じ、真っ白な光だ。それから白い光球は上昇し、小さな太陽のように虚空を照らした。

れの神床かむどこけまくもかしこ
 天照大御神産土大神等あまてらすおおみかみうぶすなのおおかみたち警戒神社じんじゃ大前おおまえ
 おろがまつりてかしこかしこもうさく」

 警戒ちゃんが祝詞のりとを唱え始めた。人が変わったように、神妙な声である。上空に向けて、あらゆるモノが鈴を振る。坂斉も倣って鈴を振る。各々の鈴からは白い粒子が発生し、それらを吸い込んだ光球はより輝きを増す。神々しい光線が降り注ぐ。

まことみちたごことなく
 負持おいもわざはげましめたま
 家門高いえかどたか身健みすこやかに」

 光球の中で、警戒ちゃんが祝詞を唱え続ける間、観客たちもひたすら鈴を振り続けた。唱えれば唱えるほど、警戒ちゃんの声が必死になっていく。

為人ためひとためつくさしめたまへと
 かしこかしこみおねがもうす」

 見事、警戒ちゃんが祝詞を唱え終えると、空間の切れ目ごと虚空が消え、!マークの形をした光も鳴りを潜める。光球も霧消し、内部に居た警戒ちゃんは、緩やかに地上に降り立った。

「皆ー! ありがとー! 無事、なんとかなりました!」

 両手を振ってお礼を言う警戒ちゃん。一際嬉しそうな声だなと、坂斉は感じた。祝詞とは神に対して唱える言葉だが、何かを鎮めていたのだろうか。然らば、神が暴走したとでも? 一抹の不安を覚えて、坂斉は伏し目がちとなる。


「お礼と言っちゃなんですが、皆さんにプレゼント届けたいと思います! 聞いてください、我の新曲! 『熱帯夜。』!」

 と、天の川を彷彿とさせるように燦々と、それでいて穏やかなメロディが流れる。

 警戒ちゃんの背後で浮き上がる歌詞は、まるで映画のエンドロールのように。夏祭りの帰路に、流星群を見上げて誰かと一緒に歩くかのように。祭りが終わった寂しさよりも、まだ楽しい出来事が続くという期待に思いを馳せられる、微かな切なさと多大な爽やかさが入り混じった曲。

 そうだ、こういう夏を過ごしたかった。こういう賑やかな縁日で、沢山の友達を作りたかった。あの欺瞞に塗れた世界を壊すくらいの勢いで、命を懸けて、心ゆくまで。

 今一度、鈴を握る手に力を籠めて。他のモノがそうするように、坂斉は鈴を振り、光の粒子を警戒ちゃんに送る。世界を繋ぎ止める想い、あるいは現実世界に対する破滅の願いを籠めて。

 『熱帯夜。』が終わると、少し長めのMCが始まる。アイドルに関する知識がない坂斉には、あまり内容が理解できなかったが、警戒ちゃんは観客の一人ひとりに対して名前を呼び、心底嬉しそうに「ありがとう~!」と述べている。自分も名前を呼ばれたいと、坂斉は羨ましそうに人間や魑魅魍魎を見回していた。

 完全に彼女の魅力に夢中になっていた。いつまでも彼女の声を聴いていたい。しかし、何事にも始まりがあれば終わりもある。ついに最後の曲となった。


「行きましょう! メインテーマ、境界結歌けいかいけっか!」

 かごめかごめを彷彿とさせる不気味なイントロ。次いでAメロ、警戒ちゃんの背後の字幕は、文字化けを起こしている。!マークの形をした光が発生したかと思えば、羽が舞い落ち、蛍火が舞い上がるなど、出現するモノに一貫性がない。時には歌舞伎の掛け声のような、古めかしい声を飛ばしたかと思えば、ゴリッゴリの電子音がけたたましく響く。

 この世界そのものが、バグったインターネットのように、視界が波打ち歪む。もしも令和の時代に百鬼夜行が襲来したら、このような暗黒の祭囃子で騒ぎ立て、現実も電脳も蹂躙するのだろう。

 心地よい。他の観客とと同じように、坂斉は両手を上げて歓喜する。自身の感性が変質していることを自覚しつつも、それに動揺する様子はない。

(これで最後か……)

 その一方で坂斉は、恐怖や絶望を感じていた。心霊現象によるものではない。あの現実世界に戻る時間が嫌なのだ。曲の演出なのか、それとも石段を降りたところにある踏切からなのか、電車が通る時の警報が聞こえてきた際に『現実』を突きつけられてしまった。例えばドラマの最終回を観終わって、虚無感に囚われていたような人間を見下していたが、今なら彼らの気持ちが分かる。

 曲が終わっても、踏切の警報音が延々と鳴っている。それが消え入ると共に、警戒ちゃんは何も言わずに背を向け、拝殿の内部へ消え去ってしまった。死角に隠れたのではない。出入口を通った瞬間、忽然と消えてしまったのだ。


「アンコール! アンコール!」

 誰からともなく、アンコールを求める声が上がった。今までは頭の中で木霊している情報だったものが、今は声としてこの耳でハッキリと聞き取れる。魑魅魍魎たちの言葉が、何となく分かるのだ。黙っていた人間も堰を切ったように、アンコールを求めている。アンコールという概念は、アイドルに疎い坂斉であっても意味するものは理解していた。

「アンコール! アンコール!」

 坂斉も鈴を振り上げ、警戒ちゃんのアンコールを求めた。ちょっと前までの冷笑的な自分が、今の自分を見たらさぞ滑稽に思えるだろう。だとしても、なりふり構わず警戒ちゃんに縋るだけの理由があった。

 そんな坂斉たちの祈りを耳にしてか、警戒ちゃんが再び姿を現す。和弦楽器のイントロと共に、再び舞台に降り立つ。

 それは、坂斉にも起こり得たかもしれない、爽やかな夏景色の思い出……いや、これから取り戻せる未来と信じたくなるような、夏景色を疾走する美しい曲。

 坂斉の目の前に、ありきたりな、それでいて懐かしい青空が広がった瞬間、思わず涙が零れた。大人になってから、子供の頃に戻りたいと願わなかった日は一度もない。自転車に乗って、夢を追いかけるようなあの日々を――。だが、実際には、機械や霊力によって星空は変貌していなかった。青空は、坂斉が見ている夢であった。

「本当に今日皆と出会えて嬉しいです!」

 間奏中、警戒ちゃんが全力で声を張り上げる。

「我と友達になってくれますかー!? 友達募集中でーす!」

「はい、もちろん!」

 坂斉は後先考えず、反射的に叫んだ。それにより発生するかも知れない、あらゆるリスクを考慮せずに。都市伝説に詳しい坂斉は、迂闊な発言によって二度と現実世界に戻れなくなったという話について、一つや二つは知っているはずだった。

 警戒ちゃんは、返答するように歌を再開する。夢の中の坂斉は、澄み切った空に浮かぶ積乱雲を目指すように、ひたすら坂を駆け登っていた。余韻を残すようなギターを、天の彼方まで見送っても、尚も走り続けている。


 それから暫くの間は、警戒ちゃんのMCが続いていたらしい。他の観客たちは、舞台に上がった警戒荘の住人たちに拍手を送ったり、何かお知らせに対して惜しみない賞賛を捧げていたようだったが、坂斉は幸せな八月を終わらせたくなくて、ずっと夢を見続けている。警戒ちゃんの声が聞こえる限りは、きっと祝詞を唱えられる神が力を増すように、この夢は力強く景色を広げ続ける。

「それじゃ皆さん、また会う日まで、バイバーイ!」

 突如聞こえたその言葉で、坂斉が見ている青空が消えた。目が覚めてしまった。警戒ちゃんが今度こそ、拝殿の中へと消え去っていく。本当の本当にお別れだ。

 境内で響いていた長い拍手もまもなく消え、そぞろに観客たちが石段へと向かっていく。心にポッカリ穴が空いた坂斉は、立ち眩みを覚えたようにふらっと仰け反った後、その場に座り込んでしまった。


「楽しかったー!」
「オリ曲増えたなー」

 人間や魑魅魍魎たち――いや、同胞たちの声が明瞭に聞こえる。こうして声が聞こえるようになると、現実世界の人間のような悪意や実害が無い分、現実世界の人間よりも仲良くなれそうな気がする。坂斉はそう思って、死んだ魚のような目になりながらも、頑張って立ち上がる。

 坂斉は帰路に就く石段を降りる同胞たちの後を追った。熱狂の余韻に任せて、今なら彼らに話し掛け、質問をぶつける勇気がある。同じ場所、同じ空間で、同じ体験をしたという経験は、心理的な距離感を大幅に縮める。

 あの警戒ちゃんは何者なのか? どうして自分は、そして同胞たちはここにやって来たのか? あの境内、多分警戒荘と同一視されているあの場所の秘密は? 世界が歪もうとした、あの現象は?


 どれから質問するべきか思案しながら、石段を降りきった坂斉だったが、群衆の壁に遮られて立ち止まる。同胞たちは、行く手を遮られているらしい。踏切が閉じられていのだ、警報音も聞こえないのに。跨ごうとしたモノもいたが、見えない壁があるらしく、そこから先に進めない。

「そっちに行けない」
「いけない」
「なんでだろう」
「踏切が上がらずに帰ることができない」
「電車待ち?」
「踏切閉まっちゃいましたね」
「帰宅難民?」
「まさか……神隠し?」

 同胞たちが困惑している。その心情が伝染したのか、坂斉も微かな不安に駆られる。一分ほど、どうするべきか分からずに立ち尽くしていたが……。

「みんなで境内に残って騒ごうぜ」
「いいの? やりすぎると、また世界が歪むんじゃない?」
「せっかく鎮めたのに……」
「いいじゃん。また闇があればそのうち警戒ちゃんまた歌えるし、多分喜ぶでしょ」

 同胞たちは、あろうことか愉快そうに踵を返し、再び石段を登り始めた。立ち尽くしている坂斉と擦れ違う際、彼らは「一緒に暮らすか?」とか「お、良い闇抱えてますね~」とか、意味深な言葉を口々に投げ掛けた。元々、現実世界から逃避したかった坂斉は、無言で強く頷くと、彼らの後を追って境内に引き返す。


 ――坂斉が抱える闇は、まだ晴らすことができない。喪失した幸せを、現実世界で取り戻すことは不可能だろう。この異世界に残されたモノは、星の数ほどある。苦しい世界に帰るくらいなら、警戒荘で暮らす方がずっと良い。

【了】

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